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Review 『フィッシュマンの涙』 ~幻滅の時代に誕生した、愛しきモンスタームービー

Text by Kachi
2016/12/12掲載



 最近イ・ジャンホ監督の『風吹く良き日』(1980年)を久々に観る機会があって、本当に今更の如く感動した。ご存じの通りこの映画は、1988年の五輪開催に向かっていくソウルを舞台に、地方から都会へ希望を胸に上京してきた3人の若い男性が、現実に蹴倒され、しかしまた這いあがっていく様を活写した不朽の名作である。劇中でアン・ソンギ扮するトッペが、思いを寄せる都会的な娘(彼女はトッペを田舎者としてからかっている節がある)と盛り場へ行き、慣れないディスコ・ミュージックに身体を任せるシーンで、郷里の伝統舞踊をにわかに思い出したトッペが、突如軽快な機械音楽にあわせて踊りまくる瞬間に、閉塞を打ち破る果てのないパワーを感じたのだった。

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 ストーリーもキャラクターもリアリズムが基底をなす『風吹く良き日』と、ある日突然魚人間に変化(へんげ)してしまった男を主人公にした寓話的映画『フィッシュマンの涙』とは、一見かけ離れているようだが、韓国映画の魅力の心髄、すなわち作り手の社会についての鋭敏な視点と感覚と、それが鮮烈にスクリーンに刻まれていることにおいて、本作は過去の名作に決して引けを取らない傑作である。

 ある放送局のテレビマン、サンウォン(イ・チョニ)は、今日もくだらない番組の担当にうんざりしていた。彼にはやり残した仕事があった。新薬開発の臨床実験に参加し、その副作用で手足のついた魚の成りになってしまったパク・ク(イ・グァンス)のことだった。見習い記者だった当時、どうしてもスクープをあげたかったサンウォンは、ネット掲示板にパク・クの情報を書き込んでいたフリーターのジン(パク・ポヨン)に近づき、ついに魚男パク・クへの接触に成功。ニュースは瞬く間に国中を駆けめぐり、パク・クは一躍時の人となるが、彼の父親サンチョル(チャン・グァン)が転がり込み、事態は思わぬ方向へ…。

 韓国の時事用語に「N放世代」というのがある。将来を放棄せざるを得なくなった若者世代を表す造語だ。経済的、社会的要因で恋愛・結婚・出産を諦めた若者を「三放世代」、加えて近年は、マイホーム・人間関係・夢・就職をも手放した「七放世代」も存在する。「魚男と寝た女」のジンは、奔放な男性遍歴を重ねながら、どこか醒めている。30万ウォンの謝礼と引換えに魚に変わってしまったパク・クも、お金と職さえあればこんな実験に手を出さなかったはずだ。皆多くは語らないものの、三つか、七つか、それ以上の何かを手放している。さらに悲劇なのは、何とか手にしたテレビの現場で、先輩から執拗にいびられている地方大学出身のサンウォンのように、犠牲を経て必死に獲得したものさえ、手ごたえを得るにはほど遠い。

 ジンのように、仕事にも就かず人間関係も希薄な世代の憂鬱が、大韓民国的アボジそのものである抑圧的なサンチョルには全く伝わらない。当然二人には軋轢が生じる。観ているこちらも、サンチョル氏にはだいぶイライラするのだが、チャン・グァンという俳優の雰囲気のなせる技なのか、どこか憎めない。単なる世代間の対立に落としこまない点が、本作の巧妙さなのだ。

 人間の手足が生えた魚が波打ち際に横たわる、ルネ・マグリット作の絵画「共同発明」を見たクォン・オグァン監督は、「グロテスクなまでに歪んだ韓国と、行き詰まりを感じて深い憂鬱にとらわれた若者たちの姿を描く映画を作りたい」と思ったという。魚男パク・クは、現代社会のイコンなのだ。政治や社会の風向きで一気に形勢が変わる迎合的報道、パク・クの副作用を科学の大きな発展のための「小さな犠牲」と黙殺する国、問題の本質を見ないがゆえに熱しやすく醒めやすい大衆といった、「大きな力」への疑念や反発も、作品の底に流れている。パク・クよりもずっと醜悪で不気味なのは、きれいで優しい顔で彼に群がる野心と欲望なのである。

 そうした強い怒りの中に効いている、ユーモアがまた非凡である。本作の魚人間は、親しみの湧くモンスター造型という点では出色の出来映えではないか。表情を作るようにかすかにキョトキョトする目玉や、ちゃんと喋りにあわせてぽくぽく動く両頬のグロテスクな愛嬌。指の間に生えた水掻きのためにミトン型手袋しかはめられないところなど、リアルな魚らしさもありつつ、それでいて人間臭い佇まいが物悲しくも、じわじわと面白さが湧いてくる。

 この数週間のうちに韓国で起こった政治の混乱に、全国民が怒りの声をあげている。日本社会も、対岸の火事で済むわけがない。幻滅の時代では、誰もが「魚人間」になり得るのだ。だが絶望にばかり目を向けても仕方がない。魚人間パク・クの存在は、辛辣で、悲しくて、わずかだが希望を伝えてくれたのだ。


『フィッシュマンの涙』
 原題 돌연변이(突然変異) 英題 Collective Invention 韓国公開 2015年
 監督 クォン・オグァン 出演 イ・グァンス、イ・チョニ、パク・ポヨン
 2016年12月17日(土)より、シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー
 公式サイト http://fishman-movie.jp/

Writer's Note
 Kachi。2016年私の3本。さざなみのように後からも感動が沁みてくるイ・ヒョンジュ監督『恋物語』。マンネリズムからの変奏が心地良いホン・サンス監督『あなた自身とあなたのこと』。ナ・ホンジン監督が6年の沈黙を破り送り出した超ド級の怪物『哭声/コクソン』。


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Review 『徳恵翁主(トッケオンジュ)』 ~歴史の波に翻弄された朝鮮王朝最後の皇女をソン・イェジンが熱演

Text by hebaragi
2016/11/30掲載



 日韓の現代史については、学校で詳しく習った人は少ないのではないだろうか。筆者も大人になってから自分で調べて知識を得たものがほとんどだが、徳恵翁主(トッケオンジュ)についてもその例外ではない。大多数の日本人にとっても彼女の存在は知られていないに違いない。

tokkeonju.jpg

 日韓併合後の植民地支配の時代には様々な悲劇が起き、『族譜』(イム・グォンテク監督)などの映画でも描かれてきたが、本作品は朝鮮王朝最後の皇女・徳恵翁主をめぐる物語である。主演はソン・イェジン。彼女の2016年の公開作品としては『悪い奴は必ず死ぬ』『荊棘の秘密』に続く3作品目になる。遅い夏休み、ソウルの映画館で見てきた『徳恵翁主』は筆者に強烈な印象を残した。

 映画のストーリーはこうだ。

 徳恵翁主は、朝鮮王朝の皇帝・高宗(コジョン)の側室の子として生まれた。皇帝の5人目の子どもで、唯一の女の子であったため、特別な愛情を受けて育ったといわれる。しかし、わずか13歳のとき、その意に反して、着物を着させられて日本に強制留学させられる。故国への帰郷の思いを募らせる日々を送る徳恵翁主に、日本は、対馬の34代藩主の孫・宗武志との政略結婚を強いる。そして、日本が進めたいわゆる「内鮮一体」の目的のために広告塔的な役割を担わせられることになる。また、高宗の息子で日本に連れてこられた英親王を中国・上海に亡命させる企てに加担したり、独立運動に巻き込まれるなど数奇な運命をたどる。さらに、生母の死、娘の失踪など、波乱万丈の人生を送ることを余儀なくされる。

 彼女をめぐる数々のエピソードの中で印象深かったのは、朝鮮人労働者の集会に出席させられ日本語で演説を強要された際、途中から原稿にない内容を朝鮮語で必死に語りかけていたところだ。「故郷の朝鮮を忘れず、希望を捨てないで」と。その後、帰郷の日を待ち望んでいた日々が終わり、ようやく1945年、日本の敗戦・解放の日がやってきた。彼女はいち早く韓国への帰国の船に乗ろうと下関港に向かうが、待っていたのは出国を認めない役人の冷たい仕打ちだった。解放された故国・韓国では、新しく民主共和国が樹立され、朝鮮王朝時代の皇女を受け入れなかったためだ。帰国できないショックのあまり、彼女は病を患い、日本の病院に長期入院を余儀なくされ、夫とは離婚することになる。徳恵翁主を帰国させる任務にあたった独立活動家キム・ジャンハン(パク・ヘイル)の尽力によりようやく帰国を果たしたのは日本に渡ってから37年目、50歳になった1962年のことだった。ソウルの金浦空港に降り立った彼女を出迎えた女官たちは、日本に強制留学させられた当時とは変わり果てた彼女の姿を目の当たりにし号泣する。ラストシーン、帰国後、ソウル市内の宮殿でひっそりと生活を送る彼女の姿が描かれ、エンドロールを迎える。

 全編を通して、ホ・ジノ監督の演出が素晴らしく、悲劇の皇女の生涯が強い印象を残す。また、ソン・イェジンの表情も秀逸で、歴史に翻弄されて戸惑いを隠せない徳恵翁主を見事に演じていた。そして、高宗役のペク・ユンシク、徳恵翁主の側近の女官であり、唯一の友人であるボクスン役のラ・ミラン、そしてキム・ジャンハンの同僚で独立活動家ボクトン役のチョン・サンフンら共演陣の演技も秀逸で、重厚で奥行のある作品になった。そして、本作品には、日本人が二人登場していることも注目すべき点といえる。ひとりは徳恵翁主の異母兄の妻・李方子役として登場した戸田菜穂であり、ストーリー展開のうえで重要な役柄を演じる。もうひとりは、韓国KBS2TVの外国人女性によるトーク番組「美女たちのおしゃべり」への出演で知られるタレント・秋葉里枝であり、病院の看護師として登場する。

 本作品には、植民地支配の時代の街並みやソン・イェジンらのコスチュームなど、見どころが盛りだくさん。また、独立活動家たちと日本軍の銃撃戦やアクションシーンは、映画のもう一つの見どころといえよう。徳恵の切ない表情や独立運動家たちの必死の表情を目の当たりにして、日韓の歴史を改めて見直さなくてはと思った。

 主演のソン・イェジンは、この映画の台本を何度も読み返して泣き明かしたという。さらに、制作過程で資金難に陥った際、彼女が私財10億ウォンを出資して映画を完成させたとのことだ。それほどまでに、ソン・イェジンにとって徳恵翁主の人生は、強烈な歴史上の現実に思えたようだ。映画『徳恵翁主』は、歴史的事実と異なる誇張されたシーンが多いとの議論もあるが、実在の人物のドキュメンタリーとしてではなく、日韓の歴史を考えるためのひとつのきっかけとして、ぜひ多くの日本人に見てほしい作品である。


『徳恵翁主(トッケオンジュ)』
 原題 덕혜옹주 英題 The Last Princess 韓国公開 2016年
 監督 ホ・ジノ 出演 ソン・イェジン、パク・ヘイル
 日本未公開作
 公式サイト http://thelastprincess.modoo.at/

Writer's Note
 hebaragi。ソン・イェジンの作品は『永遠の片想い』以来全てフォローしてきたが、『徳恵翁主』は彼女の新たな魅力が発揮された作品だ。センシティブな時代背景を扱ったテーマではあるが、ぜひ日本でも見られることを期待したい。


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Review 『将軍様、あなたのために映画を撮ります』 ~映画に魅入られる、その狂気と孤独

Text by Kachi
2016/9/20掲載



 世界的映画人の単なる自伝映画ではない。今も謎多き巨匠の失踪について、新たな事実を発見するための映画でもない。かつて米大統領から「悪の枢軸」と名指しされた国家による、憎むべき犯罪を糾弾する作品とも言い難い。観る者はただ、本作に鮮烈に刻印された劇映画のような現実に、起きた事件の重大さも忘れて胸を躍らせる。

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 1978年に相次いだ、女優の崔銀姫(チェ・ウニ)と、彼女の元夫で映画監督、申相玉(シン・サンオク)の北朝鮮拉致事件。その詳細は、1989年に出版された申相玉の手記『闇からの谺―北朝鮮の内幕』(文春文庫)でも明かされており、韓国映画に精通している諸兄姉は、今さら遠い過去を映画化することの意義を訝るかもしれない。本作の特徴は、崔銀姫や当時の政府高官、二人が亡命に駆け込んだ米大使館職員など歴史の証人たちのインタビューや、今は亡き申相玉や金正日の肉声を集積するだけでなく、映画のワンシーンを効果的に引用するなど、映像で物語を構築することで、事件の「映画性」を際立たせているところにある。急展開するストーリー。スローモーションのように感じる時間。拉致されてから二人がたどった運命は、劇中引用される、申相玉による崔銀姫主演作のフッテージに続く一場面のように映し出されてゆく。

 映画マニアとして知られる金正日が著した膨大な著書『映画芸術論』(邦題『人間の証し』2000年、同朋舎)によれば、北朝鮮という国家を支えているチュチェ(主体)思想にもとづいた共産主義的な映画作りにおいて重要なのは、映画を傑作たらしめる「チョンジャ/종자」(朝鮮語で「種子」)があるかどうか、すなわちチュチェ思想が映画のバックボーンにあるか否かだという。この著書が、北朝鮮の映画製作を低調なものにしてしまう。そこで金正日が計画したのが、崔銀姫と申相玉の拉致だった。

 ある時、金正日から「自分はウンチみたいだろ?」と唐突に聞かれた崔銀姫は、大笑いする臣下たちの中で一人当惑したと語る。金日成は抗日パルチザンとして戦った偉大な英雄であり、建国の父。自分はただ、その息子でしかない。権勢をふるう独裁者という虚像の下の、卑屈で、猜疑心の塊という実像が立ち現われてくる。ひそかに録音された金正日の肉声からは、映画作りへの渇望がにじみ出ている。

 一方の申相玉も、撮影所の存続のために、時の朴正煕政権に迎合し国策映画を撮るも、映画の検閲をめぐって次第に関係が悪化。『バラと野良犬』(1975)のキスシーンをきっかけに、映画社の登録を取り消されてしまう。国家の文化統制に泣かされた申相玉にとって、皮肉にも北は、映画作りへの情熱を思うまま燃やすことができる別天地だった。生きるために「北の人形でいよう」と決意した崔銀姫は、しかし一日たりとも南へ帰る日を思わないことはなかったそうだが、申相玉は、潤沢な資金を用意し「映画の政治的イデオロギーは問わない」と言い放つ金正日のもと、生き生きと映画製作に没頭していく。だが、申相玉の北朝鮮映画が国際的な評価を受けるようになると、金正日は申相玉に、映画祭のオフィシャルな場で「南での映画作りに自由はない」と喧伝してくるよう命じるなど、二人の政治利用を目論むようになる。

 拉致事件が二人の人生を狂わせたことは言うまでもない。当然ながら、拉致は糾弾されるべき国家犯罪で、金正日の生い立ちなど、何ら斟酌すべき理由ではない。だが誤解を恐れずに言えば、ほんの一時、金正日と申相玉とは、映し鏡のような存在だったのかもしれない。映画に魅入られるとは、かくも狂気と孤独に満ちた営みなのだ。


『将軍様、あなたのために映画を撮ります』
 原題 The Lovers and the Despot 2016年 イギリス
 監督 ロス・アダム、ロバート・カンナン 出演 チェ・ウニ、シン・サンオク、金正日ほか
 2016年9月24日(土)より、渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
 公式サイト http://www.shouguneiga.ayapro.ne.jp/

Writer's Note
 Kachi。今年6月、ショートショートフィルムフェスティバル&アジアにラインナップされていた『権力の鏡』(2015)は、水害に見舞われた北朝鮮の風景がゆっくりと沈んでゆくさまをアニメーションで作り上げた、フランス産アート映画。北朝鮮が常に直面する現実的脅威である韓国や日本とは異なる視点に、戸惑いとともに興味深く観ました。


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Review 『暗殺』 ~1,270万人が熱狂した、暗殺者たちの信念

Text by Kachi
2016/7/11掲載



 華麗なドレスを身に纏ったチョン・ジヒョンが、次々と銃弾を浴びせていく。ガーターに取り付けたホルスターから漂う悲壮な色香に、喝采を送りたくなる。悪役とはいえ、イ・ジョンジェが醸し出す、神経症の美男子ぶりに惑わされる。『暗殺』は実に興奮させてくれる映画だ。

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 1933年、中華民国の杭州に拠点を置く韓国臨時政府。独立運動家で党首のキム・グ(キム・ホンパ)の指揮のもと、日本の政府要人の暗殺計画を遂行すべく、速射砲の異名を取るサンオク(チョ・ジヌン)、爆弾職人ドクサム(チェ・ドンムン)、そして凄腕のスナイパー、アン・オギュン(チョン・ジヒョン)ら、独立軍の強者たちが呼び寄せられていた。彼らを束ねるのは、キム・グの右腕にして警務隊長のヨム・ソクチン(イ・ジョンジェ)だったが、彼は密かに日本軍と通じていた。さらに、正体不明の殺し屋ハワイ・ピストル(ハ・ジョンウ)が、オギュンたちを狙っていた。卑劣な思惑を知らないまま、暗殺団は日本統治下の京城に乗り込み、ついに運命の日を迎える…。

 例えば『暗殺』同様、1930年代の京城を舞台にした『モダンボーイ』(2008)は、時代の先端をいく軽薄なお洒落男子に扮したパク・ヘイルと、彼を手玉にとる妖艶な恋人を演じたキム・ヘスのコンビネーションは楽しいものだったのだが、キム・ヘスが祖国独立を目指すテロリストの一人だったことが発覚すると、物語のトーンは一変。最後、パク・ヘイルは、恋人の遺志を継ぐように、テロ活動へ身を投じていく。日帝統治という時代背景は、登場人物たちに悲劇性を与えるのは必然で、その陰影が良作たらしめていたことは確かだが、一方で作品そのものも暗く沈んだ印象に仕上がるのは否めなかった。『暗殺』のハワイ・ピストルにも、日本による統治が影を差しているが、「若旦那」と彼を呼び慕う、従者にしてお目付け役の爺や(オ・ダルス)との掛け合いが、暗さを感じさせない。香港ギャング映画を髣髴とさせる二丁拳銃の横撃ちスタイル、クラシックカーに箱乗りしながらの銃撃戦など、心が躍る。ソクチンの義指も大げさで、欠損を際立たせるようだが、そうした細部のデフォルメが、映画を愉快にしてる。

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 娯楽性を追求する中、演出にも神経が行き届いている。金のためだけに生きる、無政府主義者のハワイ・ピストルだったが、彼がある非道を目にした瞬間、指先のかすかな震えに、押し殺した憤怒が表現される。また日本語が飛び交う本作にあって、ハ・ジョンウの話す日本語が際立って自然なため、日本人役で登場しているはずの役者陣の拙さが耳についてしまう憾みがある中、親日派の実業家カン・イングクを演じたイ・ギョンヨンは、その拙さが逆に演出として成功していた。すなわち、日本人と日本語で会話するシーンは極めて慇懃だが、母国語に戻ると、そのなめらかな口ぶりによって、老獪で残忍な素顔が垣間見える、というふうにである。

 アン・オギュンたちやハワイ・ピストルの信念とは、反日思想や政治イデオロギー以前に、己に恥じない生き方をすることだった。悪賢く上手く立ち回っているように見えたヨム・ソクチンだが、ハワイピストルやアン・オギュンのように、孤高でいられない。ソクチンの心にあったのは恐怖と諦めだけで、信念などなかったからだった。無残な最期を遂げていく者の誇り高さと、絶望に身を任せた者の末路の愚かさ。そして希望は、掴もうした者の手にしか届かない。


『暗殺』
 原題 암살 英題 Assassination 韓国公開 2015年
 監督 チェ・ドンフン 出演 チョン・ジヒョン、イ・ジョンジェ、ハ・ジョンウ、チョ・スンウ、キム・ヘスク
 2016年7月16日(土)より、シネマート新宿ほか全国順次公開
 公式サイト http://www.ansatsu.info/

Writer's Note
 Kachi。『暗殺』は、とにかく大勢で大歓声をあげながら観たい映画です。「千万妖精」ことオ・ダルス様の「待ってました!!」なオイシイ登場シーン、ぜひご期待ください。


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Review 『視線の間』 ~国家・組織・家族の中で、あなたならどう行動しますか

Text by 井上康子
2016/7/6掲載



 『視線の間』は、国家人権委員会の「人権映画プロジェクト」により製作された13番目の作品で、6月に韓国で一般公開されたばかりだ。「人権映画プロジェクト」には、長編やアニメーション作品もあるが、短編オムニバス形式の「もし、あなたなら/視線」シリーズとしては『ある視線』に続く7番目の作品で、チェ・イックァン監督『私たちにはトッポッキを食べる権利がある』、シン・ヨンシク監督『誇大妄想者(たち)』、イ・グァングク監督『焼酎とアイスクリーム』の3編で構成されている。韓国に留まらない、広く現代社会が抱える問題をユーモアやファンタジーも交えて、自然に考えさせてくれる。

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『視線の間』韓国版チラシ


『私たちにはトッポッキを食べる権利がある』


 色気より食い気の女子高生ジスはお腹がすけば即、校門前にあるトッポッキ屋に駆け込む。トッポッキ(餅を甘辛く炒めた、韓国の代表的な軽食)を食べるのが彼女の至福の時間だ。だが、学校は勉強に集中させるため、登校後は校門閉鎖の措置を取る。「大学に合格するまではおまえたちはゾンビだ」と教師はのたまい、飢餓状態に陥ったジスはゾンビになって教師に襲い掛かる。チェ・イックァン監督(『ヴォイス』『ママ』)は、韓国映画アカデミー(映画産業を重視する韓国ならではの国立の映画人養成機関)院長として組織の中で仕事をする中で「個人と組織の間に発生する問題に関心を持つようになった」という。「トッポッキ命」と主張し、学校の威圧に屈することなく、アクロバティックな活躍を見せる主人公は笑いと憧憬を誘う。


『誇大妄想者(たち)』


 自分の行動だけでなく、自分が声に出していない考えまでも他人が知っていることに気づいたウミン(SHINHWAのキム・ドンワンが演じている)は不安を抱く。彼に近づいて来たキム博士は「権力者が人々を監視し、科学技術を使って心理をコントロールしている」と説く。国家権力の監視の恐怖を描いているが、スノーデン氏の暴露のような抵抗の話ではない。抵抗者に見えた博士は実は恐怖から無抵抗になっている。彼の言葉「私たち皆が平等になる日が訪れるまでは濡れた落ち葉のように(権力者に見つからないように行動せず黙して)生きていく必要がある」に代表される、一貫したブラック・ユーモアで服従に慣れることの不気味さを際立たせる。

 驚いたことに、シン・ヨンシク監督(『俳優は俳優だ』『不器用なふたりの恋』)は、『ドンジュ』(日本統治下の1945年、留学先の日本で拘束され死亡した、韓国を代表する詩人ユン・ドンジュを描いた作品)のシナリオ・ライター兼エグゼクティブ・プロデューサーとして、当時のリサーチをする中で、組織に順応することを教える日本の全体主義教育の弊害が、今も韓国に残っていることを知り、その問題を反映させたそうだ。


『焼酎とアイスクリーム』


 保険の勧誘をしているセアは成績を上げるのに必死だ。道端で出会った女性から、怪我で歩けない自分に代わって焼酎瓶をアイスクリームに交換して来てほしいと頼まれた時も、彼女を勧誘することを目的に承諾する。だが、焼酎瓶も女性もいつのまにか消えてしまう。何かと金の無心をする母をセアは疎み、怪我から働けなくなっていた女性は娘に援助を求めるが拒否される。家族がいるのに関係を断ち切る、断ち切られるというのは何と切ないことか。二人の孤独感が呼応し、現実と非現実が交錯する幻想的な情景が拡がる。イ・グァングク監督(『ロマンス・ジョー』)は、父親の体調が悪化したことを契機に孤独な死をイメージしていったそうだ。不安定な働き方のために家族を援助する余力のない若者の問題も背景にありそうだ。


「監督の自律性を尊重し、ずっと人権映画を作る」


 「もし、あなたなら/視線」シリーズ第1作『もし、あなたなら~6つの視線』のチョン・ジェウン監督が「国家人権委員会に対し作品に口出ししないでほしいと申し入れ、約束が守られた」と述べたのをアジアフォーカス・福岡映画祭2003で聞いた時に、質の良さはそうやって確保されたのかと納得したが、本作を含む6編の人権映画のプロデューサーを務めた人権委広報協力&人権映画企画業務担当主務官キム・ミナ氏も「最も重要なことは創作の自律性を最大限尊重すること。それでこそ良い映画ができる」と力強く述べている。また、「人権映画は本作で最後と報道されていることは誤り」で「今年は予算がないが、予算を取るために最大限努力をしてずっと映画を作る」という頼もしい発言もしている。今後も作品を見ていきたいものだ。


『視線の間』
 原題 시선 사이 英題 If You Were Me 韓国公開 2016年
 監督 チェ・イックァン、シン・ヨンシク、イ・グァングク 出演 キム・ドンワン、オ・グァンノク、パク・チュヒ、ソ・ヨンファ、パク・チス
 日本未公開作

Writer's Note
 井上康子。『うつくしいひと』は熊本出身の行定勲監督が、同じく熊本出身の姜尚中氏を主人公に抜擢し、熊本城でロケして作られた。作品を見て間もなく、実際の城の風景は変わり果ててしまったが、歴史ある城を背景に主人公が若き日を回想しながら歩くシーンは何とも重厚だった。


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