Review 『建築学概論』の魅力とヒットの理由
Text by 加藤知恵
2012/11/20掲載
コリアン・シネマ・ウィーク2012にて、日本初公開となる『建築学概論』を見た。「非常に洗練された、無駄のない上品な映画」、「水のように透明でクセがなく、それでいて見た後に強烈な切なさに襲われる映画」というのが第一印象だ。

現在の主人公を演じるオム・テウンとハン・ガイン
韓国での公開当時、恋愛映画史上最多となる410万人の動員を記録した本作品。ストーリーは、建築事務所で働くスンミンの元に、突然15年前の初恋の女性ソヨンが現れるというファンタジーな展開で幕を開ける。2人が出会うきっかけは、大学入学後に初めて受けた「建築学概論」の講義。爽やかなピアノの音色と共に蘇る、純粋な初恋の記憶。美しい大人の女性へと成長したソヨンは、自分の家の設計を彼に依頼する。「住む人間を知ってこそ、その人にあう家が作れる」と、彼女を理解しようとするスンミン。その過程では、共通の記憶を確かめあうように、過去と現在の幾つもの場面が交差する。そしてソヨンの家が徐々に完成に近付くとともに、2人の関係性も進展を見せるのだが…。
韓国ではここ数年、恋愛映画はヒットしないというのが定説だった。過去250万人以上の動員を記録した恋愛映画4本、『私たちの幸せな時間』(2006年、313万人)、『ユア・マイ・サンシャイン』(2005年、305万人)、『私の頭の中の消しゴム』(2004年、256万人)、『私の生涯で最も美しい一週間』(2005年、253万人)は、いずれも5年以上前の作品だ。それでは初恋の記憶をさかのぼるという一見ありふれたテーマのこの映画が、なぜこれほどまでの記録を生んだのか。同日に開かれたシンポジウム「韓国映画の魅力と韓国映画産業の現況」では、監督本人が理由として次の3点を挙げている。
まず1つ目は、過去の場面が1990年代前半を舞台にしていること。『サニー 永遠の仲間たち』や『危険な相見礼』など、昨年上半期には1980年代を背景にした作品が興行的に成功し、過去回帰の設定はブームの様相を見せていた。しかし1990年代を題材にしたのは本作品が初めてだ。当時最先端だったメモリ1ギガのPC、ファッション、ポケベル、そして流行歌。これらの描写は実際に1990年代に学生時代を過ごした現在の30代・40代の人々の共感を呼び、通常映画のターゲットとされる20代の観客のみならず、幅広い年齢層からの支持を集めた。
2つ目は「家づくり」という目新しい素材。家の設計・工事の場面には、実際に大学で建築学を専攻し、建築事務所で実務にも携わっていた監督自身の知識と経験が活かされている。また「家を建てる過程と人を愛する過程は同じ」と独自の恋愛観・建築観を語る監督。作品中では、単なる財テクの手段ではない「幸せのための空間」としての家の在り方が提言され、同時にその家に住む人間への愛情も細やかに描かれている。過去回帰のブームと同様に、そのような温かな視点が物質的・経済的な豊かさを追い求める競争や目まぐるしい速度の生活に疲れた現代韓国人の心を捉え、癒しを与えたのではないかというのが本人による分析だ。
そして最後は効果的かつ豪華なキャスティング。今作品はダブル・キャストを採用し、過去と現在の場面を異なる俳優が演じている。安定した人気を誇るオム・テウン(現在のスンミン)とハン・ガイン(現在のソヨン)、『高地戦』(2011)や『番人』(2011)で高い評価を受けた若手実力派イ・ジェフン(過去のスンミン)。更にはこれがスクリーンデビュー作となる、アイドルグループ miss A のスジ(過去のソヨン)。主演4人の顔触れだけでも話題性は抜群だ。

過去の主人公を演じるイ・ジェフンとスジ
韓国のブログをチェックすると「キャストに惹かれて見たが、期待値を遥かに超えて内容が良かった」という感想が多い。そしてもう一つ気付いたのは、この作品にはリピーターが多いという事実。友達同士やカップルで、あるいは親子で一緒に3・4回も見たという人が少なくない。
私自身も2度鑑賞している。そして2度目を見終え、「これは恋愛ではなく人生そのものがテーマの作品なのだ」と考えを改めた。現在のスンミンとソヨンは、今まさに人生の大きな岐路に立っている。結婚を機にこれまでの職場を離れ、母との別れを決意し、アメリカという地で新たな道を歩もうとするスンミン。ステイタスの向上を目指してソウルで過ごした日々をリセットし、故郷の済州島で父と穏やかに過ごす生活を選択したソヨン。2人にとって、現在の自分の出発点となる時期に経験した初恋の記憶と向きあい、その関係の修復を試みることは、いわば自分の全コンプレックスを含んだトラウマの塊を乗り越えるようなものだ。そしてその結果流れる涙には、単なる男女の別れ以上の「過去との完全な決別」による痛みが込められている。エンディングから伝わるのは、人生を振り返り、反省し、そして痛みを抱えながらも前に進もうというメッセージ。だからこそ本質的にはハッピーエンドでありながら、強烈な切なさに襲われるのだ。
あらゆる世代に共感が可能な素材でありながら、見る人の性別や年齢、見るタイミングによって捉え方が異なる。同じ人間であっても見る度に新たな発見があり、見飽きることがない。そして切ないストーリーに感情が揺さぶられ、最終的には人生の選択を後押しされるような癒しをも感じられる。それがこの映画の愛される理由ではないかと思う。
監督は韓国版DVDに収録された公式インタビューにおいて、「『建築学概論』は人生の宿題だった」と語っている。映画の道を歩むことを決め、初めて撮りたいと思った素材。初稿から10年間、「味気がないストーリー」と批判を受けながら、それでも「本当に映画として成功しないのか答えを知りたい」と執着し続けた作品。その背景には、映画に掛ける情熱だけでなく、映画を選択することで諦めた建築への思いも垣間見える。10年の間に何百回・何千回もの推敲を重ねながら、その間の監督自身の経験や成長をも全て反映させ、やっと完成を迎えたのがこの作品だ。細部までイメージしつくし、こだわり抜いた珠玉のシナリオと演出美をぜひ堪能していただきたい。
コリアン・シネマ・ウィーク2012
2012年10月20日(土)~10月23日(火)@韓国文化院・ハンマダンホール
公式サイト http://www.koreanculture.jp/
『建築学概論』
原題 建築学概論/英題 Architecture 101/韓国公開 2012年
監督 イ・ヨンジュ 主演 オム・テウン、ハン・ガイン、イ・ジェフン、スジ
コリアン・シネマ・ウィーク2012、2012大阪韓国映画週間上映作
2013年初夏、新宿武蔵野館、シネマート心斎橋ほか全国順次公開
公式サイト http://www.kenchikumovie.com/
特集 コリアン・シネマ・ウィーク2012&2012大阪韓国映画週間
Interview 『合唱』 チョ・ジョンレ監督
Interview 『合唱』 ハム・ヒョンサン先生&チョ・アルムさん
Interview 『建築学概論』 イ・ヨンジュ監督
Interview 『ハナ 奇跡の46日間』 ムン・ヒョンソン監督
Review 『建築学概論』の魅力とヒットの理由
Writer's Profile
加藤知恵。東京外国語大学で朝鮮語を専攻。漢陽大学大学院演劇映画学科に留学。帰国後、シネマコリアのスタッフに。花開くコリア・アニメーションでは長編アニメーションの字幕翻訳を担当している。
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