Review 『ホン・サンス/恋愛についての4つの考察』
Text by Kachi
2012/11/6掲載
ホン・サンスの2010年の作品『ハハハ』を試写で見ていて、ジュンシクとその愛人ヨンジュがスイカを食べるシーンが脳裏に焼き付いた。二人は包丁を入れた先から無造作にかぶりつくが、下品にむさぼり食うような印象では不思議とない。ホン・サンス作品が語る、だらしなくも品のある男女の恋愛模様、そしてさも美味しそうにたいらげられるスイカが、ヨンジュだけでなくホン・サンス作品の女性たちに共通しているみずみずしさとオーバーラップしているように思えてならない。この場面には、理屈ではなく感覚に訴えかけてくるホン・サンスの世界が端的に表されているのだ。
大スペクタクルも感動もない物語は、言葉でつじつま合わせて説明すると味気なくなってしまうのに、実際作品を見るとこんなにも面白く、愛される作り手というのはホン・サンス以外にあまりいない。彼の作品は一貫している。男たちは映画監督や役者・詩人などのクリエイターで、大言壮語はするが大抵うだつが上がらず酒を飲んでは周囲にくだを巻き、女好きの性に振り回されている。不倫・三角関係・昔の恋の再燃といろいろあるけれど、女たちはしょうもない彼らにたやすく口説かれてあっけらかんと一夜を共にしてしまう。実は伏線が盛り込まれていて、少しずつ繋がっていたり、また異なっていたりと巧みな構成なのに、くすくす笑いを誘い、いちいちつっこまずにはいられない会話や、自分たちも彼らの日々にいるような錯覚を覚えるほど自然な日常の描写には、そんな作為はみじんも感じられない。おそらくホン・サンスは恋に落ちる男女が、ひいては恋に振り回されるだらしない人間が可愛くてたまらないのだろう。ゆえに作品の中の彼ら彼女らは、たとえセクシャルな場面であっても下卑たものにならないのだ。そして今回、『ホン・サンス/恋愛についての4つの考察』と銘打たれて一斉上映される4作品『よく知りもしないくせに』(2009年)、『ハハハ』(2010年)、『教授とわたし、そして映画』(2010年)、『次の朝は他人』(2011年)では、これまでどちらかといえば受け身がちだった女性を、もっとしたたかで魅力的に描いている。それも分かりやすいセクシーさだったりものすごい美人というのとは違うというのが、一筋縄ではいかないホン・サンスらしい。

『よく知りもしないくせに』
『よく知りもしないくせに』。映画監督のギョンナム(キム・テウ)は審査員として映画祭に参加するが、いまいち居場所がない。おくびにも出さないが他人の評価を気にしていて、後輩がほめられるのが面白くなく「次は200万人が見るような映画を作る」とひそかに息巻く俗っぽさを持っている。人生の伴侶を見つけたいと言うが女たらしで、その上、女難の相があるらしく、友人の奥さんシン(チョン・ユミ)、映画祭プロデューサーのヒョニ(オム・ジウォン)と、行く先々で色っぽい災難に見舞われ、ほうほうの体で逃げ出すの繰り返し。先輩の若妻で昔の恋人スン(コ・ヒョンジョン)との焼け木杭に火をつけ、やっと伴侶を見つけたかと思いきや…。女の方は現実的で醒めていて「人生の伴侶」なんて言葉にほだされない。シンとの関係を疑い激高した友人にギョンナムが言った「よく知りもしないくせに」の一言は、しかしラストでスンから彼自身にも吐かれる。こうしてセリフ「よく知りもしないくせに」は、そう言い放った者にそのままそっくり返って輪のようにしてつながり、誰も、観客さえも、すべてを知ることができない空白を残したまま映画は幕を閉じる。

『ハハハ』
『ハハハ』。港町・統営(トンヨン)で過ごした夏を、映画監督ムンギョン(キム・サンギョン)とその先輩ジュンシク(ユ・ジュンサン)がふりかえる。ムンギョンは博物館ガイドのソンオク(ムン・ソリ)との、ジュンシクは愛人ヨンジュ(イェ・ジウォン)との艶っぽい思い出が、それぞれ、さながら映画の「カット!」のかけ声のような乾杯の合図であざやかにスクリーンに映し出される。ジュンシクはヨンジュに迫られっぱなしで、いつまでも煮え切らない関係を続けようとしながら甘い言葉をささやくのだが、その喉元に刃の切っ先を突きつけるような「じゃあいつ結婚してくれるの?」というヨンジュの一言にたじたじになる。ムンギョンも、その脚に(!)一目惚れしたソンオクを「気持ち悪い」と言われながら追いかけ続けてついに口説き落とすのだが、思わぬところで人生が交叉していたことに気づいて魔法が解けたのか、ソンオクは手元をするりと逃げていく。一方すんでの所ですれ違いを繰り返した運命のめぐりあわせに、のんきに酒宴をくり広げる男二人は気づかない。いや気づいてはいるのだろうが、互いの火遊びには深入りしそうにない。惚れっぽいわりにあっさりしていて、ソンオクを深追いしなかったムンギョンの軽みとともに、二人のやり取りに粋を感じた作品だった。

『教授とわたし、そして映画』
『教授とわたし、そして映画』。近年あまり作品が撮れなくなっている映画監督のジング(イ・ソンギュン)。学生時代のオッキ(チョン・ユミ)との恋に隠されていた秘密は、彼女が撮った一本の映画によって明らかになる。ジングはあの頃やっとオッキを手に入れて有頂天だったのに、彼女は男を、恋愛を冷静な観察眼で眺めていたのだった。妻の口から突然出てきた自分じゃない男の名前にジングの心はさざなみ立つが、オッキとの一件と同じようにジングは最後まで真相を知るよしもない。恋の諸々は男性の物語として語られて女性は男性の欲望に受け身、なんて思っていると痛い目に遭う。男によって語られた物語を女性の目で再び語り直し、『よく知りもしないくせに』や『ハハハ』で男性たちが語りもらした空白を埋め、「ほら、こんなことが」と女性が差し出してみせた本作はホン・サンスの新境地といえる。とはいえオッキの検証の結末には女性だって無傷ではいられない。冷や汗をかく向きも多かろう。恋愛とは諸刃の刃なのだと痛感する。

『次の朝は他人』
『次の朝は他人』。映画監督のソンジュ(ユ・ジュンサン)は先輩のヨンホ(キム・サンジュン)に会いに北村(プッチョン)という街へ向かうが、待ちぼうけをくらう。元恋人キョンジン(キム・ボギョン)を訪ねて一夜を過ごし、割り切っているとも未練たっぷりとも分からないあっさりとした別れをする。「他人に迷惑をかけてまですることではない」と、もう恋愛をしないと誓ったのに、その舌の根も乾かないうちにキョンジンとそっくりなバーのママ、イェジョン(キム・ボギョン二役)に一目惚れする。賢そうで肉感的な大学教授ボラム(ソン・ソンミ)が話す「偶然の出会い」のエピソードに、「人間は理由のないことの集合体で、無理に理由を付けている」と応じるソンジュのイェジョンとの出会いは運命なのか? それとも単なる偶然なのだろうか? 影のある感じのイェジョンは、ヨンホ先輩曰く「相当な訳あり」らしいが、たとえそうだろうと恋に身を投じずにはいられない純粋なぐらい無節操なソンジュはむしろすがすがしく、そんな彼にやや強引にキスされる瞬間、イェジョンも輝くのだ。そして、ボラムに思いを寄せているらしいヨンホ先輩と、「男を待っておかしくなるような女じゃないわ」と言ったのにソンジュに恋いこがれ続けるキョンジンが彩りを添える。モノクロで撮影されて抑制が利いた画面で絡み合う恋模様が艶やかだ。
どの作品に出てくる女性たちも、触ったら皮ふが薄そうで汁気の多い果物のような、官能的な印象を与える。美味しく味わった男性は、しかしうっかり噛んだ種の苦さに甘美な恋のしっぺ返しを思う。その苦さはハッピーエンドなのか、はたまたバッドエンドなのか…。ありきたりなラブストーリーにはない結末は煙に巻かれたようでいて、あふれる余情に「また次の作品を!」と言いたくなる。登場人物たちの、打算なく当然のように互いを求め合う姿は、(もし、そういったものがあるならば)原始的な恋の形そのものだ。そんな普遍的な姿を、ホン・サンスは、人物の表情を極端に追ったりして無理に観客の感情移入を誘うこともしない。一定の距離を保って時々ズームしてみたりする、気ままだが公平で、人間への愛おしさがにじんでいるようなカメラワークで映し続けるのだ。
特集『ホン・サンス/恋愛についての4つの考察』
『よく知りもしないくせに』 原題 よく知りもしないで/英題 Like You know It All/韓国公開 2009年
『ハハハ』 原題 ハハハ(夏夏夏)/英題 Hahaha/韓国公開 2010年
『教授とわたし、そして映画』 原題 オッキの映画/英題 Oki's Movie/韓国公開 2010年
『次の朝は他人』 原題 北村方向/英題 The Day He Arrives/韓国公開 2011年
2012年11月10日(土)より、シネマート新宿ほか全国順次ロードショー
※ シネマート新宿では公開記念スペシャル・トークショーを開催。加瀬亮×ホン・サンスのトークあり。
公式サイト http://www.bitters.co.jp/4kousatsu/
Reviewer's Note
Kachi。1984年、東京生まれ。図書館勤務。ホン・サンスといえば、タイトルの妙も作品の魅力のひとつ。『気まぐれな唇』からホン・サンス作品を配給しているビターズ・エンド佐竹さんによると「なるべく作品の内容が伝わる邦題を考える」とのこと。ただし『ハハハ』は「これ以外、表現のしようがなかった」となかなか配給泣かせな秘話も…。ホン・サンス独特の雰囲気を壊さない邦題には、いろいろ苦労があるのでした。
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