Report 韓国クィア映画事情 ~第21回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭より
Reported by Kachi
2012/9/29掲載
あの大スターの映画が騒動になったワケ
かつて、ある映画がちょっとした物議を醸したことがある。イ・ビョンホン主演の『バンジージャンプする』(2001年)。ビョンホン演じるイヌが、運命の女性テヒと愛し合うも離れ離れになり、17年後にテヒの生まれ変わりと再会する…というラブ・ストーリーなのだが、そのテヒが転生したのがイヌが受け持つ高校の男子生徒であり、男同士が急速に惹かれ合う展開が同性愛を想起させるということで、韓国内で論争が巻き起こったのである。
その後、朝鮮時代の暴君・燕山君と美形の旅芸人の愛を描いた『王の男』(2005年)が大当たりし、2008年にも『霜花店(サンファジョム) 運命、その愛』で、王とその寵愛を受ける臣下の悲恋の物語がこれまたヒットした。ここで繰り返されたのは、王と家来の“禁断の関係”と悲劇的な結末。そして『バンジージャンプする』論争もそうだったように、男性同士の恋愛を題材にしながら、作品においても監督・関係者からも強調されるのは「同性愛ではなく、もっと普遍的な愛の話、人間愛」ということだ。まるで「同性愛の映画なんてない」とでも言うように。

これらの事実から見えてくるのは、同性愛を「人間愛」と普遍化し、記号のように扱ってしまう、もしくはそうせざるを得ない韓国社会の姿だ。そもそも韓国は強固な家父長制が根強い社会。クィア(注1)について真正面から描く韓国商業映画はないのだろうか? そんな疑問を持っていた矢先、第21回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(以下、TILGFF)の「アジアボーイズ短編集」で韓国作品が上映されることを知った。TILGFFは、日本各地で開催されるクィア映画祭の中でも最も伝統のある映画祭。韓国クィア映画の現在を知るべく、映画祭運営委員会代表の宮沢さん、そして「アジアボーイズ短編集」をプログラミングされた林さんにお話を伺った。
(注1)クィア(Queer) LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)など、性の領域におけるマイノリティを包括する言葉。
意外と多い韓国クィア映画
アジアの中では、韓国はかなりクィア映画が作られているほうだという。ただし、短編、それも学生の手で撮られた作品が多い。今回「アジアボーイズ短編集」で上映された短編『夜間飛行』(2011年)もソン・テギョム監督の卒業製作だ。短編映画は自由な発想を盛り込んで低コストで製作することができるが、上映はインディーズ系の映画祭などに限定されてしまうのが難点。しかし、最近では主要映画祭でもクィア作品が評価されるようになってきている。釜山国際映画祭では2010年に、韓国初のゲイ・カミングアウト・ドキュメンタリー『チョンノの奇跡』(2011年)がベスト・ドキュメンタリー賞にあたる「PIFFメセナ賞」を受賞した。また、カンヌ、ベルリン、ベネチアの三大映画祭がクィア賞を設けるなど(注2)、発表の場が広がりつつあるのだ。ちなみに、『夜間飛行』は第64回カンヌ国際映画祭シネファウンデーション部門で3等を獲得していて、以来クィア映画祭からの招待が増えたそうだ。
(注2)カンヌ国際映画祭のクィア・パルム賞(2010年開始)、ベルリン国際映画祭のテディ賞(1987年開始)、ベネチア国際映画祭のクィア獅子賞(2007年開始)。

韓国初のゲイ・カミングアウト・ドキュメンタリー『チョンノの奇跡』
韓国には、ソウルLGBT映画祭(Seoul LGBT Film Festival)やクィア文化祝祭(Korea Queer Culture Festival/KQCF)が存在しているが、足を運ぶのはクィア関係者、アート好きの学生に限られてしまい、娯楽として見に行くのではないのが現状。更にアジア全体にいえることだが、クィアが登場する作品はその数が把握できないくらい存在していても、それらを体系的に作り続ける監督が少ないという。
また、男性の同性愛=ゲイを描いた作品は多くても、女性の同性愛=レズビアン作品はなかなかみつからない。『親切なクムジャさん』(2005年)で、クムジャが収監された女子刑務所では、女囚を牛耳る「魔女」(コ・スヒ)の性暴力や、ある女囚とクムジャとの愛が匂わされたが、主題だったわけではない。韓国では、親しい女性同士手をつないだり抱き合ったりする肉体的な接触は日常的なので、友達/同性愛の線引きが曖昧な部分がある。それは、逆に言えばレズビアンもの“扱い”になり得る作品は多いということだ。今年日本公開された『サニー 永遠の仲間たち』(2011年)の女性同士の熱っぽい関係や、年頃にしては友情に押され気味な印象の男性への恋心の鈍感さも、レズビアンもの“扱い”になる要素だという。
そんな中、キム・ジョングァンのオムニバス長編『もう少しだけ近くに』(2010年)では、同性愛者を自認して生きてきたが、女性と触れ合ったことで性的アイデンティティが揺らぐゲイが繊細に描かれていた。異性愛か同性愛かのどちらかを決めることが実は難しいことであるという、セクシュアリティの多様性に気づかされる一場面だった。
〈攻撃〉と〈抑圧〉、そして〈理解〉へ ~イ=ソン・ヒイルとキム=チョ・グァンス
ゲイをカミングアウトするテレビ番組(注3)もあり、クィア映画の土壌を育て、クィアが解放されつつある韓国。ただし、過去にゲイを告白した俳優が不当解雇されたりと、表に出るものも出ないものも含めてまだまだクィアに対するバッシングがあることも事実である。現代の韓国は、クィアに対して〈攻撃〉と〈抑圧〉、そして〈理解〉が入り交じっているのだ。
(注3)韓国のケーブルテレビで2008年4月から放送された「カミングアウト」のこと。同性愛の視聴者からの「カミングアウトすべきか」という相談に番組内で乗り、最後に公表するか決断する。なお、この番組の司会は、韓国芸能界で初めてカミングアウトをしたホン・ソクチョン。2000年のカミングアウト後、彼はすべての番組を降板したが、不当な契約解除もあったと語っている。

『後悔なんてしない』
2008年に日本で公開された『後悔なんてしない』(2006年)は、韓国映画界で初のオープンリーゲイ(注4)の映画監督、イ=ソン・ヒイルによって製作された。孤児院育ちのスミンと裕福な青年ジェミンの恋愛という、セクシュアルな場面も含めて真正面からゲイを描写している。ジェミンが同性愛者であることを知りながら母親は結婚を進めてしまうという社会的抑圧によって二人の愛は破滅に向かうが、何とか踏みとどまってすがすがしいラストを迎える。ここにはもう“禁断の関係”も、悲劇的結末もない。
(注4)自分のセクシュアリティを自分の意志で他者に伝えることを「カミングアウト」というが、社会全体に向けてカミングアウトを行っている人のことを特に指す。
『後悔なんてしない』のプロデューサー、キム=チョ・グァンスもオープンリーゲイである。第3回アジアンクィア映画祭で上映された彼の短編『愛は100℃』(2010年)では、同性愛への攻撃がはっきりと描かれている。聴覚障害者のミンスは、銭湯で知り合った垢すりの少年と愛し合うようになるが、彼は別の客から「ホモ」「お前を殴ると手が汚れる」と差別的な言葉で罵倒され殴りつけられる。恋心を抱いていたクラスメートにからかわれて失意を覚えた経験のあるミンスは少年を助けられずに立ち去り、一人泣くことしかできなかった…。程度の差こそあれ、どのようにホモフォビア(注5)が心身ともにクィアを傷つけてきたかが垣間見える。
(注5)ホモフォビア(Homophobia) 同性愛・同性愛者に対して、恐怖感・嫌悪感・拒絶・偏見、または宗教的教義に基づいて否定的な価値観を持つこと。
第19回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭はじめ各地のクィア映画祭で上映されたキム=チョ監督の短編『ただの友達?』(2009年)は今の韓国社会をリアルに表している。兵役中のミンスを訪ねたソクは、面会の場でミンスの母親と鉢合わせしてしまう。カミングアウトをしていない二人は「ただの友達」とごまかすが、休暇をとったミンスがソクと愛し合う所を母親に見られたことで、二人の関係はばれてしまう。ミンスの母親はキリスト教徒の設定になっていて、息子が同性愛者であることの衝撃が観る者により強く伝わる。さらに、バスの中で知り合った女の子に「彼氏からゲイであることを告白された」と泣きつかれ、自分たちが愛し合うことで誰かが悲しむ現実に「男に生まれなければよかった」とまで思いつめてしまうソク。だがミンスは「母さんごめん、でも自分は幸せなんだ」と自分の生き方を肯定し、ソクとの愛の成就を感じさせるところで終わる。中でも『親切なクムジャさん』で「魔女」役を演じたコ・スヒのカフェ店長が目を引く。ミンスを紹介したソクに「彼があなたの話してた友達?」と微笑むシーンでの彼女はミンスの母親と対比され、「ただの友達」ではない二人の本当の関係を知る良き理解者のように思える。
欧米クィア映画との違い ~〈自由〉の欧米
今年のTILGFFで上映された『彼と彼女のゲイビー大作戦』は、親友であるゲイとヘテロセクシャル(注6)の男女が「昔ながらの方法」で子供=ゲイビー(同性カップルの赤ちゃん)を持つまでの奮闘を描くドタバタコメディだ。主人公マットのゲイの友人も、レズビアンのカップルの子づくりに協力している。欧米は同性婚の認められている国や地域が存在し、カミングアウトし、クィアとしてパートナーと結婚し、子供を持ち、夫と妻として法的に認めらることが可能だ。それを反映してか作品の中のクィアは、ありのままの自分を受け入れた姿で描かれていることが多いようだ。
(注6)ヘテロセクシャル(Heterosexual) 同性愛者の反対、異性愛者。

『彼と彼女のゲイビー大作戦』
アジアでは同性婚は認められていない上、カミングアウトすること自体にプレッシャーがある。キム=チョ・グァンスの最新作は今年6月に韓国公開された『2度の結婚式と1度の葬式』(2012年)という長編だが、ここでのテーマは「偽装結婚」。世間の批判をかわすために、ゲイとレズビアンのカップルが結託し二重生活を送るのだ。欧米クィア作品で描かれるのが社会における〈自由〉なら、アジアは〈抑圧〉といえる。だが、そんな事情はなかなか欧米には伝わりづらく、「時代錯誤」「いまさら偽装結婚?」と感じられることも多いようだ。
また、これは文化による興味深い差異だが、韓国の「呼兄呼弟」(親しい男性同士で、目上を「兄貴」と呼ぶ習慣)が示す義兄弟の関係などは、欧米などでは「同性愛」とみなされたりする。戦争や任侠映画に見られる「お前のためなら死ねる」という友情を超越した濃い契りは、イタリアのマフィアやアメリカのゴッドファーザーの「家族の強い絆」とはまた異なるようだ。
TILGFFアジア作品
今年のTILGFFでは、「アジアボーイズ短編集」で『ミッドナイト・ドライブ』(香港/2012年)、『夜間飛行』(韓国/2011年)、『アンコール』(台湾/2011年)、『スマイル』(韓国/2009年)の4本のアジア・クィア短編映画が上映された。

『夜間飛行』
恋人同士だった高校時代の二人と別々の人生を送る現在の二人とをカットバックでつなぎ、今も互いを想う気持ちの切なさを浮き彫りにした『ミッドナイト・ドライブ』や、卒業公演を控え母へのカミングアウトを考えている少年とその恋人、息子がゲイだということに気づき始めて悩む母、そんなシングルマザーの彼女を支える男性のそれぞれの思いを重層的に表現した『アンコール』など、構成や伏線に巧みさがあった香港と台湾の2本に比べると『夜間飛行』は展開に起伏はない。だが、男性相手に体を売る少年とその客の、少しずつ縮まっていく距離の絶妙な表現に唸らされた。「変かな? 付き合ったら」と問う少年に、客の男性は直接的ではないがあまりにも官能的に応えるのだ。

『スマイル』
『スマイル』は、浮気癖のある恋人の笑顔が忘れられず苦しむ男性がある決断をするまでが詩的に綴られる。自分をかえりみない恋人の姿をどんなに叫んでも止まらず遠ざかるタクシーに重ねる。にじむような夜景が彼の心象風景のようだった。実は『スマイル』は、ある瞬間まで主人公の青年がゲイであることははっきり示されず、クリスマスに家を訪ねた時に恋人が笑顔で迎える場面でそれと分かるようになっている。クィアがオチとして使われていることに賛否はあろうが、恋人の笑顔は「彼はゲイだったのか」という軽い驚きに満ちており、男性が愛してやまない笑顔の恋人が唯一写るシーンは強く印象に残った。
韓国に限らずアジアのクィア作品の特徴は、感情を丁寧に追い、繊細に描写するその手法だ。逆にいえば、コメディタッチでクィアを描くことは少々苦手ということだ。映画祭運営委員会代表の宮沢さんによれば、TILGFFの観客は明るく笑える作品を好むという。「アジアボーイズ短編集」の4本は大笑いする類いの作品ではないが、見終わった後も消え難い静かな余情は、コメディ好きの観客も魅了したことだろう。
クィア映画を見ることの意義
日本では、多くのクィア・タレントがテレビで活躍している。一見するとクィアは韓国よりも受け入れられ、理解されているようにも感じられる。しかし取材によって実感したのは、それはクィアというよりも、テレビの中での個性付けとしての“おかま”キャラ、いわゆるオネエ言葉を使い、いつもいい男を探している、というキャラクターが際立っているということだった。
「アジアボーイズ短編集」をプログラミングされた林さんは、ステレオ・タイプなクィアを「そんなの真実ではない」という批判も、「割り切って考えるべき」という考えも、それぞれあって良いのだ、と話す。そしてTILGFFの役割は、そんな意見をジャッジメントすることではなく、「決して特殊ではないクィアの人たちが、平凡に生きながら、今現在どんな問題に直面しているかを伝える」こと、その時代にクィアが抱えている問題を示していくことだと語ってくれた。

ヴィト・ルッソの半生を追ったドキュメンタリー『VITO/ヴィト』
同性愛者人権運動のリーダーとして今も讃えられるヴィト・ルッソによる、ハリウッド映画で同性愛がどう描写されてきたかを追った『セルロイド・クローゼット』。その中にこんな台詞がある。
「同性愛者の権利獲得は、公民権運動で残された最後の課題なのだ」
韓国においても、民主化の歴史の中で忘れられてきた少数派、クィアがやっと存在を認識され始めたのだ。
ヨーロッパから明るいニュースが飛び込んで来た。アジアフォーカス・福岡国際映画祭2012で『バラナシへ』が上映されたチョン・ギュファン監督の新作『重さ/The Weight』(2012年)が、ベネチア国際映画祭でクィア獅子賞を受賞したのだ。「知らない」ことは「いない」「認めない」ことにつながるから怖い。映画というメディアは、「知らない」を「知っている」にするために最良なツールだ。今回の受賞が、クィア映画がアジアでもっと撮られるようになる、そんな後押しになればと願っている。
取材後記
TILGFFでは「アジアボーイズ短編集」の他に『VITO/ヴィト』と『彼と彼女のゲイビー大作戦』を見ました。『VITO/ヴィト』は『セルロイド・クローゼット』の原作者ヴィト・ルッソの半生を追ったドキュメンタリー。「笑っていいの?」というネタも盛り込まれていましたが、会場は大笑いに包まれる場面も。私の隣に座っていた男性二人(おそらく恋人同士)は、「同性愛者は教会から『いいかげん悔い改めろ』と言われた」というエピソードに大爆笑でした。
映画祭の最中にもかかわらずお話をお聞かせいただいたTILGFF代表の宮沢様、広報担当の樋口様、そしてアジアのクィア映画事情についてたくさん教えて下さった林様、皆様からのレクチャーがなければ、この記事は書けませんでした。記して感謝いたします。なお、本文中のミスは執筆者によるものです。

TILGFF代表・宮沢さん
第21回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭
2012年9月14日(金)~9月17日(月・祝)@スパイラル ホール
公式サイト http://www.tokyo-lgff.org/
Reporter's Profile
Kachi。1984年、東京生まれ。図書館勤務。『重さ/The Weight』も待ち遠しいですが、まず『2度の結婚式と1度の葬式』が早く日本公開されないかとそわそわ…。チャーミングなキム=チョ・グァンス監督にぜひ来日して欲しいです。
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