Interview 『ポーランドへ行った子どもたち』 チュ・サンミ監督「歴史の中で忘れられる個人の傷に連帯したい」
Interviewed by 荒井南
2022/6/13掲載
朝鮮戦争が勃発した1950年代。荒廃した朝鮮半島から、親を失った孤児たちが秘密裏にポーランドへ強制移送されていた。そうした事実を『ポーランドへ行った子どもたち』を観て初めて知った。第二次世界大戦で大きな打撃を受けたポーランドが、同じく厳しい情勢に置かれた異国の孤児たちを我が子のように受け入れ、慈しんだことに深い感銘を受けた。今回、本作を手がけたチュ・サンミ監督にオンラインでインタビューする機会に恵まれた。その言葉の端々には、戦争孤児をはじめとした痛みを抱える人々へ連帯する人類愛が垣間見える。
《『ポーランドへ行った子どもたち』をめぐる、ある脱北少女との出逢い》
チュ・サンミ監督は、『接続 ザ・コンタクト』や『気まぐれな唇』などで知られた俳優だ。元々演出に興味のあった彼女は、出産・育児で俳優活動を休止していた際、中央大学大学院映画制作科に通って映画監督を目指し、これまで三本の短編映画を手がけた。あるとき、監督は知り合いの出版社を訪ねた。そこで偶然、1950年代に朝鮮戦争の戦争孤児たちがポーランドへ送られていた事実を知る。チュ・サンミ監督は、このことから着想を得た『切り株たち(仮題)』という劇映画を撮影するため、脱北者の少年少女たちを集めてオーディションを行う。『ポーランドへ行った子どもたち』は、このときキャスティングされたイ・ソンさんという少女とポーランドへ向かい、戦争孤児たちの足跡を追うドキュメンタリーだ。

2006年、ポーランドでは朝鮮戦争の戦争孤児で祖国に帰れぬまま病死した少女キム・ギドクを題材にしたドキュメンタリー『キム・ギドク』が作られ、ヨランタ・クリソヴァタ氏による同名小説も書かれた。チュ・サンミ監督はこのギドクという少女を『切り株たち』の主人公に考えていた。しかし、イ・ソンさんはギドクではなく、別の少女オクスンに起用されている。
「オーディションでは、主人公の少女キム・ギドクを選べなくて、ギドクと一番仲の良いオクスンという少女の役が、三番手ではありますが最も大きい役だったんです。そしてドキュメンタリーのハイライトとして考えていたのが、キム・ギドクのお墓を訪問して、対話するシーン。それを撮るためには、韓国出身の私よりも脱北者のイ・ソンさんに一緒に行ってもらう方が良いと思ったからでした」
こうして始まった二人の旅は、俳優の先輩・後輩として、また監督と役者としての立場を越えて、どこか気易さを感じるふれ合いに満ちている。特にチュ・サンミ監督は、この旅を通してイ・ソンさんと信頼関係を築きたいという思いがあった。『切り株たち』の出演者たちは、脱北という壮絶な体験の中で深く傷ついていた。震えが止まらない少年や、泣きながら自身の経験を吐露する少女もいたが、チュ・サンミ監督曰く、自分の辛い部分を客観的にみつめることは、俳優にとって重要だった。しかしイ・ソンさんは、オーディションでも明るく肯定的な姿ばかり見せようとして、否定的なことを表現しようとせず、自分の受けた心の傷や経験を隠しがちだったそうだ。オクスンという役と向き合うためには、彼女には心を開いてもらう必要があったのだった。
劇中、監督の足に出来たまめを、イ・ソンさんが針で潰し、縫ってあげている。便利に何でも手に入る韓国と違い、薬局までの道のりが遠い北朝鮮で暮らしていた彼女の生活の知恵なのだそうだが、チュ・サンミ監督のイ・ソンさんへの信頼感が感じられるシーンでもある。ドキュメンタリー監督には、撮影対象へ近づくための様々な手法があるが、チュ・サンミ監督にとってそれは“まず自分から心を開く”だったのかもしれない。
『ポーランドへ行った子どもたち』は、朝鮮戦争に翻弄された子どもたちという歴史に深く踏み込んでいる一方、演出は軽やかだ。作品の途中に差しはさまれるイラストは、論理的になりがちなドキュメンタリーというジャンルに、人間味のある、ドラマ的な味わいを加えている。
「これが歴史ドキュメンタリーだとすれば、論理的に構成することも出来ます。でも、私の作品のテーマは“傷の連帯”でした。テクニックとして、旅の道のりや傷の流れというのを論理的に見せるのではなく、イラストを使う方法をとりました。傷と人との関係を、イラストで見せられたらなと思ったんです」

本作を彩る音楽も印象深い。特に、イ・ソンさんが透明感のある声で歌う曲たちは、心洗われるものがある一方で、どこか物悲しげにも響く。
「オープニングとポーランドの街なかを歩いているときに歌う曲は、すべてイ・ソンさんにオーディションで“知っている曲を何でもいいから全部歌ってください”と言って歌ってもらったものです。冒頭の「다시 만나리(タシ マンナリ)」は、北朝鮮の8月15日(光復節:韓国も同日)に歌うそうで、「また会いましょう」という意味です。でも北朝鮮では、“朝鮮半島はまだ統一していないから本当の意味での解放はまだ来ていない”という風に捉えているそうなんですね。私もその考え方に共感できるところがあるので、この曲を使いました」
こうした南北分断への思いは、ふとしたシーンに現れている。例えば、旧東西ドイツの監視地帯「ポイントアルファ」に今も残されている国境鉄条網を、チュ・サンミ監督とイ・ソンがそれぞれに分かれて歩く。“国境”を越え、笑顔で手を取り合う二人の姿はとても象徴的だ。
「この地域には、東西ドイツ統一について研究をしている財団があります。朝鮮半島の南北統一を目指す団体とのシンポジウムなどで、韓国とは協力関係にあるんです。そうした中、撮影で来たときに『ポーランドへ行った子どもたち』について講演をして欲しいという依頼がありました。行くと、ちょうどとても景色がよかったんですね。イ・ソンさんと二人で歩いて、“いい画になるんじゃないかな?”と、あまり深くは考えていなかったんです」
ちなみにイ・ソンさんは、この後ソウルの大学に進学した。劇中、ポーランドでの旅を終えた感想について、彼女は「もっと成長しなければ」と語っていた。監督の話では、彼女は在学中にとある公演に出演して、とても成熟して深みの増した演技を披露していたという。今後完成する『切り株たち』でも、きっと新たな姿を見せてくれるに違いない。

《ドキュメンタリー映画で得た手ごたえと、痛みを抱く人々への“傷の連帯”》
チュ・サンミ監督にとって、『ポーランドへ行った子どもたち』は初めてのドキュメンタリー映画だ。監督自身としては、何年も時間をかけたドキュメンタリーと違い、生存者の証言インタビューを撮り歴史的な事実を組み合わせ2ヶ月程度で作った本作は「他のドキュメンタリストに比べると、本当に簡単に作ったと思っている」という。それでも、映画人としては大きな手ごたえを感じたようだ。
「特に、イ・ソンさんとの物語は意図したものでは無かったんですね。彼女とは“私一人で行くよりも、脱北者の方といった方がいいだろう”くらいの軽い気持ちでしたし、ギドクのお墓に行って対話する、くらいにしか考えていなかったんです。でも実際にポーランドへ行ってみて、イ・ソンさんとなかなか上手くコミュニケーションが取れなかったりする話は、“メインである戦争孤児の話ではないけれどBストーリーとして使えるな”、と思ったんです。現場に行って撮りながらでてくる即興的な部分は、ドキュメンタリーの良いところだなと感じました。“作ることの出来ない真実の話”という意味で、ドキュメンタリーは魅力的だと思います。私が尊敬するダルデンヌ兄弟などは、ドキュメンタリー出身ですよね。世界的な巨匠が実はドキュメンタリーが出発点だったということは結構多くて、やってみたら面白いジャンルでした」

北朝鮮を題材にしたフィクションやドキュメンタリー作品は、枚挙に暇がない。『ポーランドへ行った子どもたち』は、これまで撮られてきた北朝鮮についての映画とは一線を画している。監督が言うように、長らく韓国では、政治もメディアも保守とリベラル陣営とが明確に分かれた状況が続いている。特に北朝鮮問題については双方の対立が深く、南北関係に関する映画を作るときは、スパイなどが登場する完全なエンタメ作品に偏る傾向がある。一方、ドキュメンタリーの場合、保守かリベラルかはっきりとどちらかの立場を取ることが多い。しかしチュ・サンミ監督は、「政治的なものではなく、もっと本質的な部分」を見据えていた。監督はそれを「戦争孤児たちに対する視線であり、人類愛」と呼ぶ。
そうしたメッセージは、韓国の観客によく伝わった。メディアは、政治的な立場に関係なくこの映画について取り上げた。多くの大学や研究所、政治団体などからの希望で、団体鑑賞のティーチインでは、様々な思想を持つ観客たちも、戦争孤児たちへの視線や、彼らを保護していたポーランド教師たちへの感謝の思いは一致していたのが感じられたという。南北統一に関して否定的に捉えていた人たちが、やはり統一しなければいけないと思ってくれたことも、監督は嬉しかったそうだ。
ポーランドへ映画監督として訪れたチュ・サンミ監督だったが、母として新たな視点を見つけた旅だったとも語る。そもそも、監督が戦争孤児に関心を持つきっかけは、自身が辛い「産後うつ」を経験したことだ。テレビドラマで子役が泣いていると、自分の子どもを投影してしまうほどだった。そんな時、テレビドキュメンタリーで、飢餓に苦しむ北朝鮮の子どもを目にした。真っ先に込み上げたのは「この子のお母さんはどこにいるの?」という、一人の母親としての率直な感情だった。戦争孤児や脱北者など、時代や歴史という大きなうねりの中で痛みを抱える人がいる。チュ・サンミ監督は“傷の連帯”という言葉を使い、彼らや彼女らに心を寄せていく。
「歴史的な事実というのはなかなか近づきがたいというのがあるのですが、実際に現地へ行って話を聞いたりすることによって、歴史的な実話と個人的な経験というのが出逢う接点を見つけて、パーソナルなものとして考えられるようになったと思っています。これからは、例えば日本植民地時代の話だったり、朝鮮戦争における様々な事件など、歴史に埋もれた傷をある一人のものにつなげていく作品を撮りたいと思っています」
朝鮮半島をはじめとする東北アジアの歴史を紐解いたとき、無論、日本はこれまで人々から何を奪い、どう傷つけたかについて考えなければならない。チュ・サンミ監督は「誰が悪いと指摘したいわけではなく、歴史的な背景を考えた場合の話」と断ったうえで、「日本の植民地支配が無ければ南北の分断は無かったのではないかとも思うので、ポーランドの戦争孤児の歴史というのは、日本の植民地時代ともかかわりがあるのではないでしょうか」と、思いを明かす。この映画を、日本人としてどのように受け止めるべきなのだろうか。「特に子どもたちのことを考える」という監督は、最後にこう話してくれた。
「日本・韓国・中国で植民地時代を過ごし、深い傷を受けた人がたくさんいて、その中心には子どもたちがいる。受けなくても済んだはずの傷を幼い時期に負うという、戦争の一番悲劇的な結果が戦争孤児だと思うんです。そういう子どもたちを、はるか遠いポーランドや東ヨーロッパの人たちが抱きしめて、トラウマを治癒してくれたということを、東北アジアの人として知って欲しいです。今現在、ウクライナ侵攻によって家族を失う子どもがたくさんいます。そうした戦争孤児たちのことを、世界共通のものである愛で見守って欲しいと願っています」

『ポーランドへ行った子どもたち』
原題 폴란드로 간 아이들 英題 The Children Gone to Poland 韓国公開 2018年
監督 チュ・サンミ 出演 イ・ソン、チュ・サンミ
2022年2022年6月18日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次公開
公式サイト http://cgp2016.com/
Interviewer's note
荒井南。ペンネームKachiから本名へ変えました。現在、nobody と MOVIE WALKER PRESSでも執筆中。韓国映画にまつわる文章を書き続けて10年が経ちますが、映画に情熱を持つチュ・サンミ監督の言葉に触れた今回、改めて背筋が伸びる思いがしました。
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