Report 第24回釜山国際映画祭(BIFF2019) ~分断に直面するとき、どうあるべきかを気づかせる映画たち
Text by Kachi
2020/7/11掲載
2014年6月の記憶
2014年6月のソウルを忘れられずにいる。折しもブラジルW杯の最中で、仁川国際空港の到着ロビーのモニターでは、韓国代表の試合が映っていた。ありふれた光景だが、モニターの前の人たちの空気は、目の前の試合ではない、どこかもっと遠くを見ているようにうつろだった。その2ヶ月前に国ごと鈍色の海へ沈んでしまったように感じた。ただ、悲しみとともに韓国の人々の心に宿ったのは、政治問題とはわが事なのだという、民主化運動以来の強い怒りだった。その火のような思いが、人々を光化門広場へと駆り立てていく。

『君の誕生日/Birthday』
イ・ジョンオン監督『君の誕生日/Birthday』は、フィクションとして、今もなお悲しみの底にいる遺族の姿を映し出すことで絶望に寄り添おうとする。無職の父ジョンイル(ソル・ギョング)と離婚を望む母スンナム(チョン・ドヨン)、子供らしく振る舞いつつもどこか不安を隠す幼い娘イェスル(キム・ボミン)の3人家族のほころびた関係を明らかにしていく中で、セウォル号事故が、ある平穏な家族の日常を永遠に戻らない暗闇へ放り込んでしまったと痛感させる。事故についての検証ドキュメンタリーが多数製作され、未だに解明されていない事実を詳らかにする動きとなっている。他方、本作の役者たちの喪失感は演技ではあるが、チョン・ドヨンは『シークレット・サンシャイン』の母親を、ソル・ギョングは『ソウォン/願い』の父親を彷彿とさせて、亡くなった304人の高校生たちの家族のそれに重なり映画の中で放たれる。そのとき、劇映画の力を改めて感じる。
「History(男性の歴史)」ではなく「Herstory(女性の歴史)」へ

『Things That Do Us Part/私たちを引き離すもの』
『82年生まれ、キム・ジヨン』は書籍・映画ともに好評を博した。この作品が先鞭をつけた形になったフェミニズム文化の潮流だが、BIFFにあっては、毎年花盛りだ。特に昨今の韓国では「History(男性の歴史)」を「Herstory(女性の歴史)」としてとらえ直す試みが続いていて、フェミニズム的視点の映像作品が次々と作られており、イム・フンスン監督『Things That Do Us Part/私たちを引き離すもの』や、キム・ドンリョン監督、パク・キョンテ監督『The Pregnant Tree and the Goblin/妊娠した木と鬼』に表れていた。

『The Pregnant Tree and the Goblin/妊娠した木と鬼』
前者は『危路工団』のイム監督が、済州島4.3事件や民主化運動といった闘争の歴史で語られてこなかった女性を主人公にするドキュメンタリーであり、後者は議政府(ウィジョンブ)に住む元慰安婦の女性が、同じく慰安婦だった同僚が亡くなったことを知り一人で弔いをはじめるうち、黄泉路と交差するかのような不思議な旅へと足を踏み入れていく虚実入り混じった不思議な映画だ。いずれも伝統的な映画の語り方には収まらない実験的な手法で、彼女たちが背負った物語にアプローチしていく。以前、韓国の実験映画史について、「1980年代の民主化闘争の真っ只中にあった時代は、芸術的に飾ることよりも、率直に憤りが表現される手法が好まれたことで、映画史の中のミッシングリンクとなっている」という話を聞いた。翻って考えれば、女性を描く映画でこうした前衛的な手法を取られるということは、それだけ現代の韓国社会における女性問題のフェーズが、先進的であるといえるのかもしれない。
弱い者たちの強い連帯
コ・フン監督『Paper Flower/紙の花』。事故で脊椎麻痺の息子ジヒョク(キム・ヘソン)を一人で育ててきた葬儀会社の納棺師ソンギル(アン・ソンギ)が、ウンスク(ユジン)とノウル(チャン・ジェヒ)母子と出会う。ウンスクがジヒョクのホームヘルパーを買って出たことで、体の自由を失って以来心を閉ざしていたジヒョクも、また頑ななソンギルも少しずつ変わっていく。

『Paper Flower/紙の花』
昨年、母を亡くして以来、筆者は人が死ぬことと生きることのはざまを、強く意識するようになった。映画や文学など、あらゆる表現のモチーフとして「死」は古典的だ。アン・ソンギの名作『祝祭』をオマージュするシーンは、韓国映画ファンには嬉しい。老練な“おくりびと”に扮したアン・ソンギは、“円熟味”という言葉では表しきれない深みをみせる。その一方、死の様相が『祝祭』の時代とは激変したことも浮き彫りになる。劇中、様々な理由で社会のつまはじきになった者たちが肩を寄せあう食堂の店主が、突然死してしまう。従業員は自分たちで弔いたいと懇願するが、ソンギルの上司は「親族ではない」という理由で突っぱねてしまう。今や単身世帯や核家族がスタンダードとなり、血縁だけで生きて死んでいく時代は、とうに過ぎ去った。「昔は本物の生花を棺に入れていたが、貧しい者は高価で買えなかった。だから紙で花を作って入れたんだ…」。映画の終盤、ソンギルはそう語る。夫から激しい暴力を受け、心と体に癒やしがたい傷を負うウンスクだが、彼女のまなざしも手も常に温かだ。旧い共同体を失っても、新たな結び目で人とつながろうとすることが、現代の優しさなのではないか。韓国社会に希望があるのは、弱く挫かれる者たちがそれでも互いに寄り添い、互いのわずかな力や優しさを分かちあっているからだ。一方で、その紐帯をただ美しいと感動で消費する時代はもう終わりにすべきであるというところまで、この作品は目が届いている。
パク・ジョンボム監督『Not in This World/この世界にない』。路上生活者のジョンチョル(パク・ジョンボム)は、ストリートミュージシャンのジス(ムン・イェジン)の歌を聴き、お礼にと果物をもらったことがきっかけで交流するようになる。しかしジスは、音楽活動を反対する両親に無一文で家を追い出されてしまう。

『Not in This World/この世界にない』
パク・ジョンボム監督といえば、監督・主演をひとりでこなし、かつ長尺の作品で「生きる苦悩」そのものに肉薄するスタイルだ。ジョンチョルが暮らす山の中では、職にあぶれた不良青年たちが、同じく行き場のない少女たちに体を売らせる一大売春地帯を形成している。仲間に加わったジスはやがて金庫番として、暴力で組織を牛耳っていく。ジョンチョルは天涯孤独である一方、亡くなった父親が守護霊のようにジョンチョルに寄り添う。困窮したジスに襲われ、金品を奪われ重傷を負ったジョンチョルは彼女の裏切りに苦悩するが、父は「彼女の手を離してはいけない。こんな世の中で、他人に物をくれるような人間がどこにいる?」「それでも彼女を信じるんだ。お前が諦めてしまったら、この世の中で彼女を信じる人間が誰もいなくなってしまう」と説き続ける。
非現実ともいえるディストピアの極北は、ほとんど同じことが現実に起きているのかもしれないと、薄ら寒い思いがする。タイトルの『この世界にない』は、幻滅と絶望に満ちた現在に対する眼差しを感じながらも、さすがはパク・ジョンボムで、ラストに小さくも力強い光を残してくれた。人という生き物は等しくもろい。だが、人だけが持ちうる感情というものに、望みをかけてもいいのかもしれない。この人は、祈るように映画を作り続けている。
BIFFの姿勢が映し出す韓国社会
今回、古典の名作『誤発弾』やカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞した『オールド・ボーイ』などがプログラミングされた〈Special Program in Focus 韓国映画100年の偉大な10本〉が上映され、新旧のシネフィルを大いに喜ばせた。しかしその中に、『サマリア』(2004年ベルリン国際映画祭銀熊賞)も、『うつせみ』(同年ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞)も、『嘆きのピエタ』(2012年ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞)も選ばれなかった。
根っからのシネフィルだったポン・ジュノやパク・チャヌクと違い、ストックのないキム・ギドクは自分の内なる観念や衝動しか題材にできない。そこで出来上がった、不完全で歪んだ愛のどうしようもなさをファンタジーとして描き出した映画は、彼のそんな映画人生ゆえに唯一無二だった。しかし、ギドクは映画の中だけにあるはずの歪んだ愛情を、ファンタジーではなく現実に、それも暴力という最も卑怯な形で、生身の女性に向けたのである。確かに筆者個人も、ギドクの作品を愛していた。『弓』を観たとき、愛とはこんなにも間違うものなのかと涙した記憶がある。だがあくまで「映画は映画だ」。心を踏みつけにされた誰かの痛みよりも、傑作の美点の方こそ価値をもって語られる習慣と歴史を、変えなければならない。
『お嬢さん』で二人の女優がラブシーンを演じたとき、パク・チャヌク監督は自身を含め現場から離れ、遠隔操作でリモート撮影し、女性スタッフに音声を録音させる形で臨んだ。現在、韓国の映画作りの現場は変わりつつあり、BIFFがギドク的な映画のあり方に「否」をはっきり表明したことは、こうした変化への連帯を感じる。「映画祭が何を上映するかということは、一種の批評である」とは、映画評論家・山根貞夫氏の言葉だ。名のある映画祭での上映は、それだけで栄光を得ることに等しく、禊ぎが済んだかのような印象を与えてしまう。被害者にとって、自分を傷つけた人間がいつまでも称賛の声を浴びるとき、誰も味方はいないと絶望的な孤独を感じるに違いない。誰かの犠牲の下でこそ傑作が出来上がるという誤解と無関心を捨て去り、新たなあり方を国際的に示そうとした意志だと頼もしく感じたのだ。
イム・ソネ監督『An Old Lady/69歳』。ヒョジョン(イェ・スジョン)は、入院中に若い男性看護師からの性被害に遭う。事実を知った同居人のドンジン(キ・ジュボン)は、告発して法に訴えようと奔走するが、ショックからヒョジョンは心を閉ざしてしまう。さらに看護師の男性は、彼女との性行為は同意の上だったと主張する。

『An Old Lady/69歳』
映画が始まってまもなく、若い男性が69歳のヒョジョンをレイプしたと分かった一瞬、筆者は強い衝撃を受けた。と同時に、そのショックで筆者自身に無意識に内在する差別を目の当たりにさせられた。若さ“にだけ”価値があるわけでも、年齢で被害者の“値打ち”がつけられることも間違いだ。性暴力を「他人によって自尊心を破壊される卑劣な行為」と言うドンジンの心の底からの憤りに救われる。
分断に直面したとき、自身が分断する側にいるのか、あるいは分断される側にいるのか。筆者がかろうじてまだ「若い」と呼ばれる年齢だからこそ、『An Old Lady/69歳』をまなざす自分が、無意識にも年齢で分断する側にいることに気づかされたように、切り捨てられる側にいなければ、分断に気づくことは出来ないのかもしれない。かつて、韓国映画が自分に内在した分断に気づかせてくれたが、こうして何度でも、自身の誠実さを問われるのだ。
日本の映画人の多くは、韓国映画の質や製作のスタンス、業界のあり方への羨望を、口々に述べるようになった。一方、BIFFの姿勢が映し出す韓国社会は、強者/弱者という単純で大きな二項対立を飛び越えて、弱者の中のヒエラルキーのような複雑な難しさをどう解きほぐしていくかにまで、歩みを進めているようである。
第24回釜山国際映画祭(BIFF2019)
期間:2019年10月3日(木)~10月12日(土)
会場:釜山シネマセンターほか
公式サイト http://www.biff.kr/
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