Review 『ペースメーカー』
Text by 井上康子
写真提供:福岡アジア映画祭
2012/8/30掲載
脚のトラブルで引退した元マラソン・ランナー、チュ・マノ(キム・ミョンミン)は、友人が営むチキン屋の手伝いをして生活している。早くに両親と死に別れ、肉親は弟のソンホ(チェ・ジェウン)だけだが、彼とも疎遠になっている。ある日、マノの元監督で、2012年のロンドン・オリンピックに向けて、マラソン代表監督に就任したパク(アン・ソンギ)がやって来て、若い優勝候補のためにペースメーカーになるようマノに要請する。

「ペースメーカー」とは、マラソンなどで優勝候補がベストの速度を維持できるよう戦略的に投入される選手のことで、優勝候補のために風を防ぎ、他の選手の牽制も防ぐという役割も持つ。マノは断念したランナーの世界に復帰するか悩むが、また走りたいという思いからパクの要請を受け入れ、選手村での合宿生活をスタートさせる。オリンピックの事前競技会では経験の浅い若い選手のために、ベテランとしてペースメーカーの役割を果たしていくが、次第に脚の状態が悪くなり、「これ以上無理をすると走れなくなる」と医師に宣告される。オリンピックが最後の走りになると覚悟を決めたマノは、ペースメーカーとして他の選手のために走るのではなく、自身のために完走しようと決意する。
自分のために完走するというストーリーは、家族のトラブルに見舞われた主人公がそれでもアテネ・オリンピックのハンドボール決勝戦に出場することを決意した『私たちの生涯最高の瞬間』を想起するものであり、描き方によっては本作も感動作になったのだと思う。残念だったのは人物の描き方が大雑把だったことだ。マノが完走を決意する理由は作品の中でも重要なものであるが、その理由の一つは弟に自分がペースメーカーとしてではなく走る姿を見せたいというものだった。弟の学費のため自分は希望の進路を諦めるなど、実生活でもペースメーカーのような役割を果たしてきたマノ。ソンホはそのことを負担に感じ、兄とも疎遠にしていたのだが、ある日ついに「気が狂いそうだった」と怒りをぶつけ、マノは「そんなにおまえが負担に感じていたなんて…」と泣き崩れる。ここは観客の感動を誘う場面として設定されたのだろうが、なぜ、二人はそのような感じ方をするのだろうかと当惑してしまった。また、棒高跳びの若く美しいスター選手(コ・アラ)がマノに淡い恋心を抱くというのも作品のひとつの柱であったが、彼女が好意を抱く理由となったマノの発言「好きなことと得意なことのどっちを選ぶ?」は印象には残るが、なぜこの発言から恋心を抱くのかが理解できない。このように登場人物の思いが理解できないシーンが多く、感動には至らなかった。また、エンディングはご都合主義に走ってしまい、この作品のテーマを結果的に否定する内容になってしまっている。
ティーチインに参加したアン・ソンギからも「監督は舞台やミュージカルをやっていて映画は初めてだったので、たくさんの人とお金を必要とする映画の現場は大変だったと思います。特にこの映画はスケールが大きいので。初めての作品ならもっと小さな規模のヒューマニズムを描いた作品にすべきでした。この作品はスケールが大きく細かい部分に気を配るのが難しかったと思いますし、興行的にも成功したとはいえません。次は作品性のある映画を撮れば成功するでしょう」と率直で厳しい発言があった。

キム・ダルジュン監督
人物の描き方は不十分だったが、主人公を演じたキム・ミョンミンの演技、また演技以前の身体の仕上がりは期待を裏切らないものである。『私の愛、私のそばに』では難病患者を演じるため20キロ減量するなどストイックな役作りで知られ、作品毎に様々なキャラクターに変身してきた彼が、今回も完全にマラソン・ランナーになりきっており、一見の価値がある。また、実際にロンドンで撮影したというオリンピックのマラソン・シーンはスケールが大きく迫力がある。
キム・ミョンミンが義歯を付けて演じた目的をたずねられた監督は「歯並びが悪くても貧乏で矯正できないということを表わすため、そして、こちらが本当の理由ですが、走っているシーンを横から撮ることが多かったので、横顔に強烈な印象をもたせようと思いました。歳を取った馬が走るときに横から見ると歯が出っ張っているように見えますよね。そんな感じに撮りたかったのです」と答え、アン・ソンギがそれを受けて「毎日ランニングをしています。監督役だったので走ることはありませんでしたが、本当は歳を取った馬として走りたかったです」と発言し、会場が笑いに包まれた。
『ペースメーカー』
原題 ペースメーカー/英題 Pace Maker/韓国公開 2012年
監督 キム・ダルジュン 主演 キム・ミョンミン、アン・ソンギ、コ・アラ
第26回福岡アジア映画祭2012「コンペ作品」部門上映作品
映画祭公式サイト http://www2.gol.com/users/faff/faff.html
特集 第26回福岡アジア映画祭2012
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