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Report 第23回釜山国際映画祭(4) ~歴史修正主義と闘い、ジェンダーロールの呪いを解く…『キム・グン』『記憶の戦争』『軍隊』『ボヒとノギャン』

Text by Kachi
2018/12/16掲載



 今年の韓国映画界では、保守政権下では作られなかった、あるいは公権力の横やりで上映が困難になる、いわば第2・第3の『ダイビング・ベル』になりえたアグレッシヴなドキュメンタリーが生み出された。セウォル号沈没事件の原因を、航路から科学的に分析していったこれまでにない真相究明ドキュメンタリー『2014年4月16日 その日、その海』はその好例だろう。今回の釜山国際映画祭(以下、BIFF)でいえば、『光化-ろうそくの火で歴史をおこす/Light A Candle, Write A History - Candlelight Revolution』は、ソウルの目抜き通り「光化門広場」で行われた大規模な朴槿恵退陣要求デモ、いわゆる「ろうそくデモ」が、いかにして時の政権を追い込んでいったかの記録である。今こそ作られるべき、大変現代性をはらんだ作品であった。こうした映画が残ることの意義はもちろん理解したうえで言えば、ニュースなどでも見られたデモの様子にカメラを回し、参加者の数人にインタビューをしただけでは、映画の出来栄えとして少々物足りない。市民が政治を勝ち取る道のりとなった「ろうそくデモ」は、韓国民主化運動再びといった様相であり、政治への不信と閉塞感にあふれた日本に住む者としては熱い想いで見守っていた。そんなドラマティックな出来事が題材として優れているのは当然で、少々撮影対象の良さに寄りかかりすぎていた。

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『光化-ろうそくの火で歴史をおこす』

 昨年、『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』が韓国で大きな興行成績をあげる裏で、こんな報道が出ていた。ソン・ガンホ扮するソウルのタクシー運転手キム・マンソプのモデルとなった人物キム・サボク氏が、実は朴正煕暗殺未遂事件として有名な「文世光事件」に浅からぬ縁があるというものだ。朝鮮総連の関わりが明らかにされているこの事件で、サボク氏は主犯である文の運転手をしていたという。かねてより光州事件は、朝鮮総連や在日韓国民主統一連合(当時は韓民統)による陰謀論を指摘する動きがあったが、このことを理由にキム・サボク氏は、映画で描かれたような人物ではなく、北の重要な任務を担うスパイであったという論争が巻き起こった。

 当時の証言を省みたり、歴史を丁寧にひもとけば、こうした言説は現実や常識から逸脱したいわゆる“トンデモ論”以外の何ものでもない。しかし、これを「ああいう手合いは相手にしなければいい」とあえて闘わなかったことが、差別的言辞をほしいままに垂れ流す“ネトウヨ”たちの増加であり、今の日本の陰湿な不寛容さの温床になったことを考えると、敢然と声をあげるべき問題である。カン・サンウ監督『キム・グン/KIM-GUN』は、映画という手段で歴史修正主義と静かに闘う映画だ。

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『キム・グン』

 冒頭、元陸軍大領で軍事評論家の池萬元(チ・マノン)氏が弁舌をふるっている。光州事件の際、全斗煥政権が送り込んだ鎮圧隊と戦った、市民軍の顔の輪郭やパーツの位置をもっともらしく科学分析し、「北朝鮮の労働党で写真に写る幹部の誰それに間違いない。つまり市民軍は、北の工作員なのだ」と主張して、覆面をした彼らを“光州No.1”というナンバリングで糾弾する。日本の右派論壇にもよくみられる歴史修正主義だが、池氏の街頭演説での様子をみると一定以上の支持を得ていて、妄言とは切り捨てられない危うさがある。

 この映画のメインビジュアルに使用されている、カメラに強ばった表情を向ける一人の市民軍の男性。監督は、この象徴的な人物「キム・グン」に焦点を当て、彼の足跡と正体を追っていくのだが、その過程であらわになるのは、民主化運動というものが熱気を帯びた季節であった一方で、人々が深く傷を負い、今もそこに閉じこめられている現実だ。

 本作のような映画は、たとえば「この作品が手柄になる」というような思い上がりがどこかに見え隠れすると、作り手自身の独りよがりに過ぎない結果物になる。しかし監督の姿勢には、そうしたナルシシズムは感じられない。事件について口に出せず沈黙して生きている人たちの怒りと慟哭を静かにみつめつつ、今なお生々しい誰かの傷に触れる手に、覚悟と優しさがあるのだ。

 長編ドキュメンタリー『きらめく拍手の音』で、イ=キル・ボラ監督にインタビューしたのは昨年のことだった。コーダ(CODA,Children of Deaf Adults:ろうの親を持つ健聴の子)という難しい自身の立場を、真摯に、しかし明るく捉える監督に、この不寛容の時代をどう生きるべきかを質問した際、障害者や人種差別、女性差別、マイノリティへの差別があり、他人という違う存在を認めない韓国の社会状況を指摘して「すべては“自分とは違う”という考え方を持つこと」と応えてくれた。そんな監督が次回作に選んだのが、ベトナム戦争における韓国軍の虐殺事件についてだ。ベトナム戦争の話題は韓国でも未だに触れがたく、映画の題材にすること自体が困難なはずだ。監督がかつて話した「自分とは異なる他者を認める」という言葉が、こうした形で表現されることに大きな意義を感じる。

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『記憶の戦争』

 『記憶の戦争/A War of Memories』(ドキュメンタリー部門:Biff Mecenat Awardスペシャル・メンション)で、イ=キル・ボラ監督は、幼い頃から耳の聞こえない両親の代わりに周囲と意思疎通にあたっていた経験を生かし、「韓国軍が住民を円形に囲み、銃で虐殺するのをこの目で見ていた」と語る、ろうあの被害者からも証言を得る。妹を殺された男性。ハミ村とフォンニィ・フォンニャット村、それぞれで起きた虐殺事件を生きのびた二人の女性、グェン・ティ・タンさん(二人とも同じ名前)。抑圧と傍観の中で忘れ去られかけている、文字通りの声なき声がすくい取られていく。

 二人の女性は、今年4月22日に韓国で開かれた「ベトナム虐殺真相究明模擬法廷」への出廷を決意する。韓国軍による民間人虐殺の真相究明を目指す「市民平和法廷」は、自分と家族が負った被害に対して、韓国政府の損害賠償金の支給と真相調査などを請求する訴訟だ。模擬法廷なので、法的効力はないが、ベトナム民間人虐殺について少しでも韓国社会でイシュー化することが目的だ。

 しかし、そこに元韓国軍人たちが立ちはだかる。「(自分たちが殺した)あいつらはベトコンで、一般市民ではない。我々は日本人やドイツ人とは違うんだ」と主張し、彼女たちへの抗議行動に出たのだ。平和法廷の場にも乗り込んできて、受付でスタッフに言いがかりをつける。歴史を都合良く変質させようとする者、抑圧する側の人間は誰も彼も同じで、凡庸な暴力的言説と行動を取るものなのだ。

 今、性被害や暴力などの多くの場面で「もう口を閉ざしてはいけない」と、被害者たちが勇気を持って社会に告発している。にもかかわらずその過程で再び傷つけられてしまう理不尽な現実には、怒りしかこみあげてこない。唯一、法廷に参加した女子中学生が「私たちがこの国で、おばさんたちのことを伝えていく」と語りかけていることに救いが見出せた。

 韓国とベトナムの国交正常化以降、歴代大統領の何人かは訪問のたびにベトナムに対する“遺憾の意”を口にしている。文在寅大統領も今年3月に行われたベトナム首相との首脳会談時、ベトナム戦争当時の韓国軍の参戦と民間人虐殺について「私たちの心に残っている両国間の不幸な歴史に対して遺憾の意を表わす」と述べた。しかし、今なお韓国政府は、ベトナムにおける戦争犯罪についての公式的態度を示していない。

 題材の普遍や特殊性の如何を問わず、監督が何を撮り、そのことをどう伝えたいのか。作り手の意思が明確に見えたのが、ケルヴィン・キョン・クン・パク監督『軍隊/ARMY』(ドキュメンタリー部門:Biff Mecenat Award)である。

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『軍隊』

 K-POPアイドルを彷彿とさせる端正な顔立ち。日焼け止めが汗で流れて白くなった肌を、周りにからかわれる。髪型とスキンケアに気を配り、服務の休憩中に彼女へいそいそと電話をかける。信仰を持ち礼拝堂で祈りを捧げることもある。このドキュメンタリーの主人公は、今どきの韓国人青年ウチョルだ。そんな彼にも、否応なしに訪れる兵役義務。『軍隊』は、韓国社会の構造と分かち難く結びつく兵役義務を題材にしたドキュメンタリーだ。

 軍隊というテーマ自体は、さして珍しいものではない。9週間に渡るアメリカ陸軍の基礎訓練を追ったフレデリック・ワイズマン監督の『基礎訓練』や、米海兵隊ブートキャンプの12週間に密着した藤本幸久監督の『ONE SHOT ONE KILL 兵士になるということ』などの先例がある。それらと趣向が異なるのは、『軍隊』はウチョルという一人の青年にフォーカスすることで、全体主義の中の個人の葛藤を表出させようと試みていることだ。

 途中、苦しんだウチョルが射撃訓練を拒否したり、陸軍側の「彼は鬱になった」との申し出があったりするが、カメラは最後まで彼をとらえ続ける。序盤、銃を手で操ることにも四苦八苦していたウチョルだったが、それでもラストシーンでの式典では、何事もなかったように扱いが巧みになっている。その精悍な横顔がりりしくも、どこか哀しく映る。

 本作は全くプロパガンダ的な作りではなく、兵役を否定も肯定もしていないが、青春の時期にこうした管理下に2年間置かれることの歪みに目を向けさせようとする。と同時に感じるのは、監督のナレーションにあった「韓国では男性の先輩から“人に生まれたならば兵役に行かなければならない”と言われる」に象徴される、韓国におけるジェンダーロール(社会から期待されている性役割)の厳密さだ。

 ドキュメンタリーとはタッチも異なる劇映画だが、アン・ジュヨン監督『ボヒとノギャン/A Boy and Sungreen』(FIPRESCI賞)はティーンエイジャームービーならではの爽快感もありつつ、しっかり社会性を押さえた良作だった。

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『ボヒとノギャン』

 思春期真っ只中のナイーブな少年ボヒと、彼の親友で元気な女子ノギャン。ある日ボヒはひょんなことから、幼い頃に事故死したと聞かされていた父が生きていることを知る。母に軽くいなされたボヒは、どこかに生きているかもしれない父親を探しに、ノギャンとひと夏の冒険に出るのだった。

 ボヒとノギャンはいわゆる“プラルチング(幼なじみの大親友)”で、学校でもそのことでからかわれたりしている。たしかに、引っ込み思案で繊細なボヒと、向こう見ずで活発なノギャンというカップリングは、正攻法のボーイ・ミーツ・ガールものならば、惹かれあってゴールインだ。そんなラストを予想したのだが、『ボヒとノギャン』は平凡な恋愛映画とはやや異なる世界線に存在しているのだ。どうやら私自身、男女の出逢いこそ恋愛になるという、ある種の“呪い”で眼がくもっていたのかもしれないことに気づかされる。

 日本も同じだが、年頃の男女が恋愛関係にならないことに問題があるのだろうか。また、たとえば結婚をして子供がいたとしても、何かのきっかけで“本当の自分”に気づいたとき、生き方を変えてみてもいいのではないか。しかし、「男は女を、女は男を求めるべきで、家庭を持って子供をなすべき」とやんわりと厳命してくる不寛容な現実は、なかなかそれを許してくれない。しかし、こうした作品の存在が、ジェンダーロールに縛られた社会の呪いをさっと吹き飛ばしてくれるはずだ。ボヒの義姉の恋人が、コメディリリーフとしていい味を醸していた。


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第23回釜山国際映画祭
 期間:2018年10月4日(木)~10月13日(土)
 会場:釜山市内各所
 公式サイト http://www.biff.kr/


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