Review ハートアンドハーツ・コリアン・フィルムウィーク 『春の夢』『バッカス・レディ』『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』 ~憂鬱と悲しみを癒やす映画の旅
Text by Kachi
2017/7/23掲載
ソウルの地下鉄6号線「ワールドカップ競技場」駅で降りて、韓国映像資料院へと足を運ぶ。ただでさえ最寄り駅から遠い、韓国映画の聖地へ徒歩で向かったある時、何かのはずみで、反対側の京義線「水色」駅の方へ渡ってしまった。列車の架線の向こう側にデジタルメディアシティのビル群が見えるけれど、一向にたどり着けない不安がよぎる。駐車場入り口でくすんだ色のビニールがはためく、古式ゆかしいモーテルの顔つきだけでも、ここが高級ホテルや放送局がひしめく上岩洞と平行して立つ街なのだろうかという戸惑いと、名状しがたい高揚感を覚えたことを鮮明に覚えている。

『春の夢』
「上岩の人はみな準備ができている表情をしているけれども、水色洞では全く準備のできていない表情に出会える」とは、そんな水色洞を物語の舞台にした『春の夢』のチャン・リュル監督の言葉だ。「準備のできていない表情」という言い回しほど、水色洞の人と町並みを表現するのに、これ以上の似合いはないと感じた。
イクチュン、ジョンボム、ジョンビンの『風吹く良き日』よろしくな「ぬけさくトリオ」と、彼らの憧れのイェリ。3人は我こそイェリをものにしようと足を引っ張り合い、彼女が一人切り盛りする居酒屋で日々とぐろを巻いている。けれども、温室育ちで気楽そうなジョンビンは持病で頻繁に卒倒してしまうし、北出身のジョンボムは勤め先の社長から理不尽なクビを宣告されている。イクチュンも昔のワル仲間との悪縁を断ち切れないようである。活発なサッカー少女ジュヨンはイェリへの叶わぬ想いに胸を焦がす。にぎやかな宴もすべて泡沫に帰すことを想起させるアバンタイトルのように、みなかりそめに笑顔を浮かべながらも、憂鬱やもどかしさ、時に深い絶望をその身に宿している。
ヒロインであるイェリの大胆さと余裕に3人はすっかりやられているが、北で生まれた彼女も母親を病気で亡くし、その上、一度は自分たちを捨てた父親が全身麻痺で寝たきりとなり、介護に追われている。一度、理想的な男性がイェリの店を訪れるが、まるで幻のように去って行ってしまう。「こんなではない私の人生が、どこかにあり得たはず」という夢想が目先で消えていく孤独は、誰に分かろうはずがない。チャン監督といえば、過去作『唐詩』での女性の舞踊シーンが印象深いが、『春の夢』でイェリが披露するゆるやかな舞は、優雅でありながら物悲しい。男3人が1人の女を巡り、ゆるい恋のさや当てに邁進する様や、モノクロームのルックはホン・サンスを彷彿とさせる。だがチャン監督の作品群は、多くにしてその水底にやりきれない悲しみがたゆたっていて、本作も通底するものがある。

『バッカス・レディ』
「バッカス1本いかが?」と、栄養ドリンクを差し出すのが誘い文句。『バッカス・レディ』は、鍾路に位置するタプコル公園で、“バッカスおばさん”と呼ばれる高齢女性たちが春をひさいでいるというショッキングな主題―しかも実話である―に目が行きがちであるが、まるでノンフィクションのような筆致と、味わい深いペーソスで、高齢娼婦の人生の夕暮れを描ききっている。
主人公のソヨンは、かつて“洋公主”(在韓米軍を対象にした売春婦)で、今は初老の韓国人男性が相手である。しかし、近頃は実入りも芳しくない。客も高齢ゆえに、病や死で姿を見せなくなっていた。ある時、半身不随で人生を悲観した過去の馴染み客から、安らかに死なせてほしいと懇願される。
死ぬほど気持ちよくさせてくれる性技の持ち主として評判の彼女が、現実に死ぬ手伝いをするというのは、実にブラックな洒落だが、冒頭、ある訳ありの男児を、ソヨンがもののはずみのように保護してしまった本当の理由を誰も分からないように、表向きに見えるものと事実には大きな隔たりがあり、しかも他人はうかがい知れないものである。ある瞬間にソヨンがつぶやいた「本当のことは誰にも分からないもの。外側だけで決めつけるのね」という台詞は、彼女の人生に染みこんだ労苦についてにも言えることなのだ。

『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』
日帝時代を舞台にした作品は、その中で傷ついた人々の記憶に焦点が当てられ、スクリーンに表現されることがほとんどである(もちろん、そうあるべきである)。『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』は、尹東柱(ユン・ドンジュ)とそのいとこである宋夢奎(ソン・モンギュ)が京都で逮捕され、特高警察による執拗な取り調べの場面から始まる。無論、私たちが省みるべき歴史的悲劇とは無縁ではない。だが、この映画が趣を異にしているのは、悲惨な時代に砕け散った青春にこそ主眼が置かれている点だ。若さを生きる不安や嫉妬が、美しいモノクロ画によって柔らかく活写されているのだ。
イ・ジュニク監督は東柱と夢奎の関係を「尹東柱にとって宋夢奎は、自身の影のような存在」と考えたという。では「影」の夢奎にとって、東柱はいかなる存在だったのだろう。散文が新聞に掲載されるほどの文才を持ちながら、なぜ彼は武力による革命運動に身を投じたのだろうか。
劇中、時に東柱と夢奎は激しくぶつかり合う。「自分も独立運動の仲間に加えてほしい」と訴え、「お前は詩を書け」とはねつけられる東柱は、劣等感に似た感情を募らせていく。夢奎は直接的な革命にしか国家の希望を見出せなかったのかもしれないが、それ以上に、東柱とその詩才のため、ペンを銃に変えたのではないか。東柱が永遠に無垢なままであらんことを望んだがために。
父子の軋轢で命を落とした悲劇の息子『思悼』(邦題『王の運命(さだめ) ―歴史を変えた八日間―』)。心身の深い傷から必死に立ち直ろうとする少女の名を冠した『ソウォン』(邦題『ソウォン/願い』)。イ・ジュニク監督の作品のいくつかは、そのタイトルが、ある特定の人物に対する、慰めに満ちた呼びかけになっている。『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』の原題は、『ドンジュ』である。彼の存在に心を揺り動かされた者たちが、その名を呼んでいる。

ハートアンドハーツ・コリアン・フィルムウィーク
『春の夢』
原題 춘몽 英題 A Quiet Dream 韓国公開 2016年
監督 チャン・リュル 出演 ハン・イェリ、ヤン・イクチュン、パク・ジョンボム、ユン・ジョンビン
2017年7月22日(土)より、特集上映「ハートアンドハーツ・コリアン・フィルムウィーク」の1本としてシネマート新宿ほか全国順次ロードショー
公式サイト http://www.koreanfilmweek.com/
『バッカス・レディ』
原題 殺してあげる女 英題 The Bacchus Lady 韓国公開 2016年
監督 イ・ジェヨン 出演 ユン・ヨジョン、チョン・ムソン、ユン・ゲサン
2017年7月22日(土)より、特集上映「ハートアンドハーツ・コリアン・フィルムウィーク」の1本としてシネマート新宿ほか全国順次ロードショー
公式サイト http://www.koreanfilmweek.com/
『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』
原題 동주 英題 DongJu; The Portrait of A Poet 韓国公開 2016年
監督 イ・ジュニク 出演 カン・ハヌル、パク・ジョンミン
2017年7月22日(土)より、特集上映「ハートアンドハーツ・コリアン・フィルムウィーク」の1本としてシネマート新宿ほか全国順次ロードショー
公式サイト http://www.koreanfilmweek.com/
>>>>> 記事全リスト
- 関連記事
-
-
Review 『チャンシルさんには福が多いね』 ~チャンシルと一緒にこれまでの人生を振り返ってみる 2020/11/21
-
Review 『エターナル』 ~悲しきキロギアッパを描くだけで終わらないミステリーの秀作 2018/03/03
-
Review 『今、会いましょう。』 ~北朝鮮の人と共にいる韓国人の私 2019/08/12
-
Review 『拝啓、愛しています』 ~シニア世代を見つめる人間愛に満ちたまなざし 2012/12/03
-
Review 『藁にもすがる獣たち』 ~「人を狂わせるものは金」という原理に忠実に作った黒い群像劇 2021/02/18
-
スポンサーサイト
Review 『軍艦島』 ~過酷な状況で必死に生きる人々を描くアクション・エンターテイメント・ドラマ « ホーム
» Interview ハートアンドハーツ・コリアン・フィルムウィーク 『あの人に逢えるまで』カン・ジェギュ監督 ~分断という辛さだけでなく、情緒的なものも見ていただけたら
コメントの投稿