Review ホン・サンス偏愛家が語る『ひと夏のファンタジア』『今は正しくあの時は間違い』、そして『あなた自身とあなたのこと』 ~知ることは過去、愛すことは今
Text & Photo by Kachi
2017/2/4掲載
2016年に日本で一番愛された韓国映画は何かと問われたら、やはり『ひと夏のファンタジア』に尽きるだろう。6月に劇場公開されて終映を迎えた後も、秋から続いた各映画祭や特別上映会など引く手あまたで、チャン・ゴンジェ監督の姿を見かける機会も多くあった。その恩恵で前作『眠れぬ夜』もアテネ・フランセ文化センターで再上映され、監督の旧作が新しいファンに届いたことは喜ばしかった。

TAMA CINEMA FORUMのトーク、韓東賢氏(左)と菊地成孔氏(右)
そして昨年11月、第26回映画祭TAMA CINEMA FORUMの<ホン・サンス/チャン・ゴンジェ -映画でめぐる夢と出逢い->にて、『ひと夏のファンタジア』と『今は正しくあの時は間違い』が上映された。チャン・ゴンジェが「第二のホン・サンス」と称されるのは割と定着しているように思っていたが、こうして併映する試みは初めてだったのではないか。上映後には、社会学者の韓東賢氏と、『ひと夏のファンタジア』を激賞した評が韓国版映像ソフトのブックレットに掲載されたという、ミュージシャンで映画批評家の菊地成孔氏が登壇してのトークが開催された。菊地氏は「この2本は異様に胸をキュンとさせる。我々は『ひと夏のファンタジア』のような夢と現実の反復から逃れられない。夢でしか得られない極端な感情があり、夢だからこそ胸がキュンとするし、一瞬で恋の結末が変わることを『今は正しくあの時は間違い』で見せられるからキュンとする」と熱く話した。

『ひと夏のファンタジア』
奈良県五條市の旅情をかき立てる風景や、夢と現(うつつ)とを行き来するような物語構成など、語りどころの多い『ひと夏のファンタジア』だが、一番観客に強く印象づけたのは、ラストでのヘジョン(キム・セビョク)とユウスケ(岩瀬亮)のキスシーンだろう。トークショーで菊地氏も言及していたが、このシーンは本当の不意打ちで作られている。映画前半、映画作りに必要なのは「準備をしない」ことという会話が登場人物同士で交わされていたが、なるほど、そこがすでに伏線になっていたのだ。ユウスケのリードによるキスは、監督が「拒まれてもいいので、キスしようとするように」と岩瀬に伝え、キム・セビョクには別の指示を出していたというのは、演出方法としては少々禁じ手のように思うけれど、不意打ちから甘美な場面が立ちあがってくるというのは、あのシーンが生み出す名状しがたい、胸がキリキリするような切なさが十分証明している。そして、あの場面の成り行きがある程度キム・セビョクに委ねられていて、彼女が反射的にあの反応を選んだのなら、ラストシーンの素晴らしさは、ひとえにキム・セビョクの役者的勘がもたらしたものだと、彼女を大いに称えたい。
これもトークで菊地氏が触れていたが、『今は正しくあの時は間違い』をきっかけとした監督と女優の恋愛騒動を、韓国映画に詳しい方々ならばご存じだろう。筆者は、ホン・サンスがこうしたゴシップを振り舞いたことを、特に驚かずに受け入れた。数々の浮き足だった男女関係や道ならぬ恋を作品で示してきたホン・サンスだから…、という単純な意味ではない。フィクションが現実を侵犯したのだということでもない。近作『自由が丘で』や後述する新作『あなた自身とあなたのこと』といった、語りの実験的な作品と比較した場合、『今は正しくあの時は間違い』は、どこかいつもと異なる気分をまとった映画であったからだ。

『今は正しくあの時は間違い』
たとえばホン・サンスといえば、男と女の仲が深まる途上としての、差し向かいでの酒席が不可欠で、それを長回しで捉えた構図が「ホン・サンス スタンダード」だったが、『今は正しくあの時は間違い』でエピソードの大きな転換点となる刺身屋での一幕は、ハム監督(チョン・ジェヨン)とヒジョン(キム・ミニ)が横並びで座り、それを手前から縦に捉えた構図で、趣の異なる男女の近さを感じさせたのだ。
さらに胸が騒いだのは、男と女が出来上がっていく作劇を補強するズームだ。ホン・サンスは以前、ズームを使用する理由について「ここで何を見せるかを同じ空間で見せられること」、「俳優がカットでつながる演技を意識しなくてよい」、「ロングテイクの中にリズムが出来、笑いも生まれる」などを挙げていた(とはいえホン・サンス映画の偏愛家たちは、より深い意味を見出さずにいられようか)。確かに『次の朝は他人』で使われるズームは、主人公の映画監督がバーの女主人を凝視するカットで用いられ、ワケありの相手と瓜二つな彼女を執着たっぷりにまなざす顔を示して笑いを誘ったが、『今は正しくあの時は間違い』では、ハム監督が妻子持ちだと知ったヒジョンの衝撃と失意を見せるためだった。ズームは抜き差しならない二人の恋路というストーリーの主旋律に収れんされ、(作品の質を決して毀損するものではないにせよ)端的に言って全体が過度に分かりやすい話になったのだ。『今は正しくあの時は間違い』を明らかにメロドラマとして成立させようとする欲望がそこに脈打っていたのだと、今も思えてならない。
第29回東京国際映画祭で披露された新作『あなた自身とあなたのこと』は、画家のヨンス(キム・ジュヒョク)が主人公だ。ある時、恋人のミンジョン(イ・ユヨン)について、あちこちで男と呑んでは喧嘩をふっかけているという噂を、友人(キム・イソン)から聞かされる。「酒を飲み過ぎない」という二人の約束を破ったことに憤慨したヨンスは、帰宅したミンジョンを問い詰めて口論に。結果、ミンジョンから「距離を置こう」と言われてしまう。翌日、ヨンスはミンジョンの自宅や職場に出向いて許しを請おうとするが、肝心の彼女には会えず、焦燥が募る。

『あなた自身とあなたのこと』
ところで、劇中では不思議なことが起こっている。ジェヨン(クォン・ヘヒョ)は、カフェで偶然ミンジョンに出くわし親しげに声をかけるが、彼女は「自分はミンジョンではない」とやんわり突っぱねる。やがて「私はミンジョンの姉妹だ」と答えると、「ミンジョンもきれいだが、君もなかなかだね」と、男はすんなりと彼女を受け入れてしまう。サンウォン(ユ・ジュンサン)は同じくカフェにいたミンジョンに、「以前出版社で働いていただろう?」としつこく話しかけるが、またもや女は「記憶にない」と答える。それでも男は、この“ミンジョンそっくりの彼女”と、下心見え見えに一杯を楽しんでしまう。
『あなた自身とあなたのこと』は、SFなのかオカルトなのか、自分を含めた過去の記憶を一切喪失してしまう女性の悲劇なのか…。観客としては、どうにかしてこの映画のつじつまを合わせたい。つかまえられないミンジョンと、どうにか彼女に近づきたい男たちとのじりじりする鬼ごっこ、あるいはかくれんぼが、そんな観客を巻き込み繰り広げられていく。“ミンジョンそっくりの彼女”は、「私を知っているの?」というセリフを、男たちへ繰り返す。しかし、彼らが分かったように「君はミンジョンだろ?」と言い放っても、彼女を決してモノには出来ない。
思えば私たちは、相手の過去についてばかり知りたがっている。年齢や名前はもちろん、短気、穏和、ポジティブやネガティブといった性格でさえ、これまで自身が遭遇した出来事への平均的な反応から導いた情報だと言ってもいい。そうした「過去」と、目の前に向きあっている「今」は、果たしてどれほどイコールで結ばれ得るのだろう。“ミンジョンそっくりの彼女”は、亡霊のような過去から自由になって、「今」という瞬間に存在する自分を愛してもらいたいのだ(そうした人間の願望は、すでに前作『今は正しくあの時は間違い』というタイトルに現れていた!)。かくまで「今」が絶対的に肯定されるべきなのは、人生が後戻りできず、未来に何があるかも分からないなら、今見えているこの瞬間を肯定するぐらいしか手立てがないからではないか。私たちの生活には、どれほどの「知らない」があふれているか。その知らなさの中に、人生の秘鑰(ひやく)を探すことが、私たちの営みのすべてなのだ。
小説ではイメージが不可視であるという特性を使って、人称のトリックが使われる作品がいくらでもある。語り手が「私」と言ったところで、劇中の誰の言葉なのかは判然とせず、時に信頼できない語り手が、読み手を幻惑するからだ。しかし映像として表現される映画という芸術では、「私」が特定され、ミンジョンはただ一人として観客に認識される。にもかかわらずホン・サンスは、映画ではほとんど困難に近い人称の冒険に挑み、大胆な跳躍で私たちを楽しませた、というよりも、楽しむ方法を提示してくれた。世界が一本の乱れない線で結ばれるという考えがもはや誤謬で、『あなた自身とあなたのこと』の結末のように知らないことをそのまま抱きしめる幸福に、気づかせてくれたのだ。
第26回映画祭TAMA CINEMA FORUM
期間:2016年11月19日(土)~11月27日(日)
会場:パルテノン多摩、ベルブホール、ヴィータホール
公式サイト http://www.tamaeiga.org/2016/
第29回東京国際映画祭
期間:2016年10月25日(火)~11月3日(木・祝)
会場:六本木ヒルズ、EXシアター六本木ほか
公式サイト http://2016.tiff-jp.net/ja/
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