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Review & Report 新大久保映画祭2016、コリアン・シネマ・ウィーク2016、第29回東京国際映画祭 ~過去の傷痕はいかにして映画となり、それに観客はどう向きあうか

Text & Photo by Kachi
2017/1/23掲載



 2015年の10月、音楽ドキュメンタリー『パーティー51』(2014年)の上映後に登壇した出演ミュージシャンたちは、同年8月に日本で行われていた国会前デモについて、一様に驚きの声を上げていた。「今の韓国では、“戦争反対”というスローガンを掲げても、そんなに人は集まらないと思う」と彼らの一人が言ったことが、記憶に残っている。

 そんなことを思い出しながら、海の向こうで連日行われている朴槿恵退陣デモの様子を見守っていた。時局がうなりを上げるように動いていく韓国と、あらゆる火種が雲散霧消したように穏やかなふりをする日本という国とを引き比べて、憂鬱になった。「崔順実ゲート」についてワイドショーが物見高く報じるたび、嫌気が差した。退陣デモの参加者は、現政権への純粋な怒りもさることながら、学歴偏重による苛烈な競争や不安定な雇用など、不満の対象は一様ではなかったようだが、そうした彼らの内にうずまく怒りを、筆者は自分に重ねあわせていた。

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『危路工団』

 新大久保映画祭2016で上映されたヒューマン・アート・ドキュメンタリー『危路工団』(2015年)は、つぶやくような労働歌謡「夜勤」で幕を開けると、労働者たち、とりわけ女性の苦闘が綴られていく。労組の女性執行部を切り崩そうとする同僚男性らに裸で抗議した女性たちは、KCIAに抱き込まれた仕事仲間が投げつけた糞尿で汚れた(1978年、東一紡織ヌードデモと糞尿投擲事件)。朝鮮戦争以降、韓国で最初に起きたストライキでは、労働運動の旗手・全泰壱(チョン・テイル)が労働基準法の遵守を叫んで焼身自殺を図った(1970年)。その後も、ストライキを敢行した労働者たちは、幾度も弾圧を受けた(1985年、九老同盟ストライキ)。パク・ソンミ監督の短編アニメーション『希望のバス、ラブストーリー』(2012年)や、オ・ソヨン監督のドキュメンタリー『塩花の木々、希望のバスに乗る。』(2011年)などで知られる、女性溶接工キム・ジンスクさんの韓進重工業クレーン立てこもり事件、プ・ジヨン監督『明日へ』(2014年)の題材となったスーパー座り込み事件、『もうひとつの約束』(2014年)のモチーフになったサムスン電子女性従業員死亡事件にも触れる。韓国国内だけではない。2014年にカンボジアで起こった労働デモとその武力鎮圧には、韓国企業が関わっている可能性が囁かれている。日本も、過重労働の果てに社員が自殺する国だ。雇用する側と労働現場の歪みは、すでに見知らぬ国の問題ではない。

 ふと、同映画祭の会期中に観た『風吹く良き日』(1980年)が頭をよぎった。床屋の「洗髪課長」ことチュンシク(イ・ヨンホ)の妹チュンスク(イム・イェジン)は、九老工業団地で働いている女性工員だった。彼女のように無邪気な娘たちがどれほどの困難をたどったかと思うと、目の前が暗くなった。『危路工団』で映り込む、店先などで日がな一日緩慢なお辞儀を繰り返す女性型の電動マネキンは、どうして女性の姿でなければならないのか。そして、エピソードのつなぎに登場する女性は、個人としての意見や思いを剥奪されているかのように、目や顔を覆われて街なかに佇んでいる。

 コリアン・シネマ・ウィーク2016で上映された『サムネ(参礼)』(2016年)。シナリオ・ハンティングのためにソウルからやってきたスンウ(イ・ソノ)と、地元の若い女性ヒイン(キム・ボラ)とのささやかなラブストーリーに、オカルティズムが唐突に挿入され、ここ何年かのコリアン・シネマ・ウィーク作品によく見られる、観客を幻惑するような構成である。

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『サムネ(参礼)』

 タイトルの参礼郡は、韓国の地方の一都市で、近年は日本統治時代から残る旧式日本家屋や倉庫をリモデリングし、「参礼文化芸術村」として観光地化されている。ヒインは都会志向が強く、少し派手でいまどきの可愛いさがある。一方で彼女は、東学党の乱を率いて日本軍に残忍な処刑をされた烈女の血が、自分に流れていると思い込んでいる。烈女について真偽は定かではなく、むしろ架空の存在ではないかということが劇中で提示されるものの、ヒインはその土地の痛みに絡め取られて身動きが取れないのだ。文化芸術としての日本家屋という光の面に見え隠れするのは、やはり日帝時代の遺物という闇だ。ここから出て行きたいと強く望むヒインに対し、スンウは傍観者でしかない。そうしたスンウの無力さから照らし出された、虐げられた記憶の深手に想いを馳せる。

 第29回東京国際映画祭でサクラ グランプリに輝いた『ブルーム・オヴ・イエスタディ』(2016年、ドイツ=オーストリア)は、日本を省察するよすがとしたい一本だった。

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『ブルーム・オヴ・イエスタディ』

 著名なホロコースト研究家トト(ラース・アイディンガー)のもとにインターンとして訪ねてきた、フランス系ユダヤ人ザジ(アデル・エネル)。無遠慮なザジに振り回されてトトは辟易するのだが、やがて彼女の祖母が、ホロコーストで命を落としていたことを知る。トトの家系はナチスの親衛隊で、そのことが彼の神経を苛んでいた。

 クリス・クラウス監督は、「ドイツではホロコーストの映画はたくさん作られるが、それが他ならぬ自分たちの問題なのだと認識しない。自分は関係ないと思っている人が多い」と話した。ドイツでは近年、ネオナチの台頭がめざましい。過去は決して過去ではない。今も世界を歪めているのは、まさしく負の遺産だからだ。ザジのような人が近くにいたら相当困らせられるだろうが、映画を盛り立てるチャーミングな女性でもある。「ドイツ映画にとって最大のタブーは、感じの悪いユダヤ人を描くことだ」と指摘した監督は、その禁忌を破って、こうした映画的キャラクターを作り出した。

 フィリピンで今最も脂が乗った映画監督の一人、ラヴ・ディアスの新作『痛ましき謎への子守唄』(2016年、フィリピン)は、上映8時間を超える大作。フィリピンの悠久の痛みを感じさせる映像叙事詩だった。舞台は1896年。フィリピン独立運動の父として慕われた、医師にして作家のホセ・リサールが処刑され、映画は解放を目指す人々の悲劇と受難から始まる。ほどなくして、リサール同様独立運動を率いた革命家・ボニファシオ兄弟も捕らわれ、殺されてしまう。アンドレス・ボニファシオの妻グレゴリア(ヘイゼル・オレンシオ)は、夫の亡骸を探すため、森の深奥へ歩みを進める。こうしたメイン・ストーリーに、リサールの愛国的小説の登場人物らが加わり、現地に古くから伝わる怪人が、劇中人物と観客を惑わす。

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『痛ましき謎への子守唄』

 フィリピン独立運動の歴史を繙くと、文学による平和的革命を目指したリサールが斃れた後、ボニファシオ兄弟は一転して武力革命を押し進めたが、貧困層の出自だった彼らと対立する富裕派がスペイン軍と結託し、兄弟を処刑した。スペイン軍人の妾としてスパイになり、運動家たちを壊滅に追いやったセサリア(アレサンドラ・デ・ロッシ)とグレゴリアは、恩讐を越え、汲めども尽きない悲しみを慰めあう。祖国への思いに駆られて行動した人間が、等しく傷ついたのだった。

 昨年、日本で公開された『暗殺』(2015年)は、日本統治下の血なまぐさい悲劇の時代が背景であるものの、イ・ジョンジェ演じるキャラクターが、祖国独立へ奮闘するも絶望し、志を捨てざるを得なかった親日派という、血肉が通った人物として韓国側から描かれたことは大きかった。日本劇場公開が待たれる『ドンジュ』(2016年)で、ユン・ドンジュに陰湿な取り調べを続けた日本の特高警察の表情にも、心の揺れが現れていた。歴史に残る傷痕は、国を越えた共時性がある。『ブルーム・オヴ・イエスタディ』『痛ましき謎への子守唄』もそうであるように、単に敵/味方という対立軸で二分することでは、歴史の諸相を直視したことにならない。同時に、語られなかった惨事を存在しないものとするのではなく、その余白にある残虐さと悲しみをスクリーンの中に見つけていくことを、私たちは忘れてはならないだろう。

 作品数、または新作か旧作かという表層で映画祭を評価した場合、ここ数年の東京国際映画祭では、コンペティションでの韓国映画は2本である。コリアン・シネマ・ウィークではもう一本の新作映画として『どのように別れるか』(2016年)がラインナップされていたが、直前で上映中止となった。どうやらファンタジックな作品だったようなので、お披露目されていれば『サムネ(参礼)』となかなかおもしろい組み合わせだったはずだ。好意的に見れば、韓国映画がある意味日本の外国映画の中でジャンルとして成熟しきったことの表れなのかもしれない。

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新大久保映画祭で来日された『風吹く良き日』のイ・ジャンホ監督

 だが、新作にだけ価値があるというわけではない。「なぜ今、この作品を上映するのか」ということへの明確な意志が重要なのだということも、思い知らされた。新大久保映画祭は3回目とまだ若い映画祭だが、今回は上映作品同士が上手くシンクロしていて、「映画祭に通う楽しみ」が会期を通じて持続していた。俗物音楽プロデューサーが、ひょんなことから血縁関係のない多国籍な6人の子どもとオルタナティブ家族(血縁中心でなく、共同体家族など親密性によって構成された家族)を築いていく『パパ』は、2012年製作の日本未公開作で、韓国節炸裂のウェルメイドなホームコメディでありながら、他者への不寛容が社会に満ちた今こそ、上映することに大きな意味を感じた。30年以上も前の『風吹く良き日』と、2015年公開の『危路工団』とが、社会批判という作り手の眼差しで通じあった瞬間も、身震いがしたものだ。

 最後に、個人的に最も幸福な気分になれた作品『ダイ・ビューティフル』(2016年、フィリピン)を紹介したい。ミスコンテストのクィーンで、トランスジェンダーのトリシャ(パオロ・バレステロス)が突然亡くなった。親友バーブス(クリスチャン・バブレス)は、トリシャの遺言「私が死んだら、メイクも衣装も日替わりにして」を守り、毎日有名女優にそっくりの死化粧をほどこし、着飾る。パーティーさながらの通夜を中心に、トリシャの波乱と涙、そして愛に満ちた人生が、あでやかな絵巻物のようなフラッシュバックでスクリーンに現れていく。

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『ダイ・ビューティフル』

 監督は、東京国際映画祭の常連ジュン・ロブレス・ラナ。同監督の過去作『ブワカウ』(2012年)や『ある理髪師の物語』(2013年)で見られた、葬送のシーンにある哀しみとおかしみが、一気に開花している。やるせないことや悲劇が多い人生を、ラナ監督一流のユーモアと優しさで包みこんだ本作は、観る者に暖かな涙をもたらしてくれる。観ることそれ自体に多幸感を覚える、そんな映画であった。


第3回新大久保映画祭
 期間:2016年11月3日(木・祝)~11月7日(月)
 会場:韓国文化院、歌舞伎町シネシティ広場、SHOWBOX、労音大久保会館、日本硝子工業センタービル
 公式サイト http://shinokubofilm.com/

コリアン・シネマ・ウィーク2016
 期間:2016年10月26日(水)~10月29日(土)、10月31日(月)
 会場:韓国文化院ハンマダンホール、TOHOシネマズ新宿
 公式サイト http://www.koreanculture.jp/

第29回東京国際映画祭
 期間:2016年10月25日(火)~11月3日(木・祝)
 会場:六本木ヒルズ、EXシアター六本木ほか
 公式サイト http://2016.tiff-jp.net/ja/


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