Review 『フィッシュマンの涙』 ~幻滅の時代に誕生した、愛しきモンスタームービー
Text by Kachi
2016/12/12掲載
最近イ・ジャンホ監督の『風吹く良き日』(1980年)を久々に観る機会があって、本当に今更の如く感動した。ご存じの通りこの映画は、1988年の五輪開催に向かっていくソウルを舞台に、地方から都会へ希望を胸に上京してきた3人の若い男性が、現実に蹴倒され、しかしまた這いあがっていく様を活写した不朽の名作である。劇中でアン・ソンギ扮するトッペが、思いを寄せる都会的な娘(彼女はトッペを田舎者としてからかっている節がある)と盛り場へ行き、慣れないディスコ・ミュージックに身体を任せるシーンで、郷里の伝統舞踊をにわかに思い出したトッペが、突如軽快な機械音楽にあわせて踊りまくる瞬間に、閉塞を打ち破る果てのないパワーを感じたのだった。

ストーリーもキャラクターもリアリズムが基底をなす『風吹く良き日』と、ある日突然魚人間に変化(へんげ)してしまった男を主人公にした寓話的映画『フィッシュマンの涙』とは、一見かけ離れているようだが、韓国映画の魅力の心髄、すなわち作り手の社会についての鋭敏な視点と感覚と、それが鮮烈にスクリーンに刻まれていることにおいて、本作は過去の名作に決して引けを取らない傑作である。
ある放送局のテレビマン、サンウォン(イ・チョニ)は、今日もくだらない番組の担当にうんざりしていた。彼にはやり残した仕事があった。新薬開発の臨床実験に参加し、その副作用で手足のついた魚の成りになってしまったパク・ク(イ・グァンス)のことだった。見習い記者だった当時、どうしてもスクープをあげたかったサンウォンは、ネット掲示板にパク・クの情報を書き込んでいたフリーターのジン(パク・ポヨン)に近づき、ついに魚男パク・クへの接触に成功。ニュースは瞬く間に国中を駆けめぐり、パク・クは一躍時の人となるが、彼の父親サンチョル(チャン・グァン)が転がり込み、事態は思わぬ方向へ…。
韓国の時事用語に「N放世代」というのがある。将来を放棄せざるを得なくなった若者世代を表す造語だ。経済的、社会的要因で恋愛・結婚・出産を諦めた若者を「三放世代」、加えて近年は、マイホーム・人間関係・夢・就職をも手放した「七放世代」も存在する。「魚男と寝た女」のジンは、奔放な男性遍歴を重ねながら、どこか醒めている。30万ウォンの謝礼と引換えに魚に変わってしまったパク・クも、お金と職さえあればこんな実験に手を出さなかったはずだ。皆多くは語らないものの、三つか、七つか、それ以上の何かを手放している。さらに悲劇なのは、何とか手にしたテレビの現場で、先輩から執拗にいびられている地方大学出身のサンウォンのように、犠牲を経て必死に獲得したものさえ、手ごたえを得るにはほど遠い。
ジンのように、仕事にも就かず人間関係も希薄な世代の憂鬱が、大韓民国的アボジそのものである抑圧的なサンチョルには全く伝わらない。当然二人には軋轢が生じる。観ているこちらも、サンチョル氏にはだいぶイライラするのだが、チャン・グァンという俳優の雰囲気のなせる技なのか、どこか憎めない。単なる世代間の対立に落としこまない点が、本作の巧妙さなのだ。
人間の手足が生えた魚が波打ち際に横たわる、ルネ・マグリット作の絵画「共同発明」を見たクォン・オグァン監督は、「グロテスクなまでに歪んだ韓国と、行き詰まりを感じて深い憂鬱にとらわれた若者たちの姿を描く映画を作りたい」と思ったという。魚男パク・クは、現代社会のイコンなのだ。政治や社会の風向きで一気に形勢が変わる迎合的報道、パク・クの副作用を科学の大きな発展のための「小さな犠牲」と黙殺する国、問題の本質を見ないがゆえに熱しやすく醒めやすい大衆といった、「大きな力」への疑念や反発も、作品の底に流れている。パク・クよりもずっと醜悪で不気味なのは、きれいで優しい顔で彼に群がる野心と欲望なのである。
そうした強い怒りの中に効いている、ユーモアがまた非凡である。本作の魚人間は、親しみの湧くモンスター造型という点では出色の出来映えではないか。表情を作るようにかすかにキョトキョトする目玉や、ちゃんと喋りにあわせてぽくぽく動く両頬のグロテスクな愛嬌。指の間に生えた水掻きのためにミトン型手袋しかはめられないところなど、リアルな魚らしさもありつつ、それでいて人間臭い佇まいが物悲しくも、じわじわと面白さが湧いてくる。
この数週間のうちに韓国で起こった政治の混乱に、全国民が怒りの声をあげている。日本社会も、対岸の火事で済むわけがない。幻滅の時代では、誰もが「魚人間」になり得るのだ。だが絶望にばかり目を向けても仕方がない。魚人間パク・クの存在は、辛辣で、悲しくて、わずかだが希望を伝えてくれたのだ。
『フィッシュマンの涙』
原題 돌연변이(突然変異) 英題 Collective Invention 韓国公開 2015年
監督 クォン・オグァン 出演 イ・グァンス、イ・チョニ、パク・ポヨン
2016年12月17日(土)より、シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー
公式サイト http://fishman-movie.jp/
Writer's Note
Kachi。2016年私の3本。さざなみのように後からも感動が沁みてくるイ・ヒョンジュ監督『恋物語』。マンネリズムからの変奏が心地良いホン・サンス監督『あなた自身とあなたのこと』。ナ・ホンジン監督が6年の沈黙を破り送り出した超ド級の怪物『哭声/コクソン』。
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