Review TIFF『今は正しくあの時は間違い』 ~「こぼれ落ちてしまう素敵なもの」から紡がれるホン・サンスの映画言語
Text by Kachi
2015/12/14掲載
昨年12月、『自由が丘で』公開記念に東京藝術大学で開催された特別講義でのホン・サンス監督は、いつも目にするよりも、ずっと弁舌が冴え渡っていた。途中飛び入り登壇した加瀬亮を交えた長丁場の講義は、「たばこが吸いたいですね」と自ら切り出して終了するまで、よどみなく、笑顔で自身の映画手法を語り続けた。その中で特に私の心に深く刻みつけられたのが、物事に「ラインを引く」、つまり線引きをした部分にしか目が行かなくなることのつまらなさについてであった。端的に言えば、概念やイメージで物事をとらえることで映画がありきたりになるという意味である。監督は「線引きでこぼれ落ちてしまう素敵なもの」と言ったが、そうしたものを映画として表現する情熱を発言の端々に感じたのだった。

『今は正しくあの時は間違い』
新作『今は正しくあの時は間違い』の韓国版予告編は、もうすでに完成されたひとつの作品であった。逆再生される映像。話し手のセリフと全く異なってあてられている字幕。あまりに哲学的なタイトル。一体、この作品は観客をどこへいざなうのか。こんな予告映像を目にした時から、私は静かな熱狂を抱えたままだったが、第28回東京国際映画祭で本編を観てしばらくの間も、ずっとのぼせた状態であった。作品が素晴らしかったと同時に、あの講義で監督が話したことが、映画という形になって現れていたからだ。
映画監督のチュンス(チョン・ジェヨン)は、自作の上映と講演のために水原(スウォン)に来ていた。彼が観光スポットの華城行宮で出逢ったのが、画家のヒジョン(キム・ミニ)だった。彼女を喫茶店に誘い、アトリエを訪ね、一緒に酒を呑み…。徐々に互いの心は近づいていく。
妻子持ちのチュンスと、ヒジョンの抜き差しならないラブ・アフェアを、「あの時は正しく今は間違い」と「今は正しくあの時は間違い」という二部構成で語る。筋立てとしては、一部も二部も同じだが、その中の出来事では微妙に食い違いや反復が起きている。その差異と相似が、「今/あの時」、「正しい/間違い」というラインを取り払っていく。
『自由が丘で』は、年上の恋人を追ってソウルを訪れた日本人男性の数日間を、時系列がばらばらになった手紙のままに展開するという新感覚な映画の叙法で、私たちを本当にわくわくさせてくれたのだが、『今は正しくあの時は間違い』でも、物語は時間というくびきから物語が解放される。そして何よりこれまでも男女の艶ごとを軽やかにスクリーンに描き出してきたホン・サンスの、二人が恋に至る事象をほどく手つきの何としなやかなことか。チュンスとヒジョンの危うい二人に、社会規範を云々するのも忘れてしまう。まこと恋とは、お互いの反応の産物だ。上手くいくと思ったことが意外な災厄となり、失敗したと落胆した矢先に思わぬ幸運が転がり込む。過ちやボタンの掛け違えさえも、二人のこれからにどう作用するか分からないのである。
ホン・サンス作品を語ろうとするたび、嘆息するしかない。己の中にある陳腐な言葉が、ホン・サンスの映画言語に追いつく日はあるのだろうか。
第28回東京国際映画祭
期間:2015年10月22日(木)~10月31日(土)
会場:TOHOシネマズ六本木ヒルズ、新宿バルト9ほか
公式サイト http://2015.tiff-jp.net/ja/
Writer's Note
Kachi。ヒジョンを演じたキム・ミニのセリフ回しや仕草の艶っぽさと言ったら! 何かまだ言い足りないような、後ろ髪をひかれるようなしゃべり方には、誰だってずるずるとはまってしまいますね。
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