Film & Book Review 『トガニ 幼き瞳の告発』
Text by 井上康子
2012/7/17掲載
光州にある聴覚障害支援学校で2000年から2005年にかけて教職員らが8人以上の生徒に性的虐待を繰り返していた実際の事件が題材。内部告発によって事件が明らかにされたものの、加害校長らは極めて軽い判決を受けたに留まり、執行猶予であった教員が復職するという異常な事態までが放置されていた。

執行猶予の判決を法廷で知らされた聴覚障害者たちが声にならない叫びを上げたことを伝えた短い新聞記事を読んだ作家・孔枝泳(コン・ジヨン)は衝撃を受け、この事件を元にした小説を書き上げる。文字通り、声を上げて訴えることができない聴覚障害者は社会的に最弱者であるのに司法の場でも見捨てられるということが社会派小説家と呼ばれる彼女には見過ごせないことだったに違いない。
「なぜ、学校の中で常習的に行われていた性的虐待が見過ごされて来たのか」
「なぜ、加害者らは極めて軽い判決を受けるに留まったのか」
が明らかにされる中で見えてくるのは、学校内部で経営者一族である校長たちが一般の教員たちを支配していること、古くからの地縁・血縁に基づき、教育者・牧師・警察・司法と社会の支配層が利害関係ゆえに癒着した関係を持っていることである。虐待を受けた障害児たちの助けを求める訴えは黙殺され虐待が繰り返される。救済されるべき司法の場でも執拗に追い詰められる。さらに残酷なことに加害校長らが被害児の保護者たちに高額な示談金を提示し、極度の貧しさから保護者たちが拒否しきれずに示談に応じてしまったため、裁判は継続できなくなる。
ファン・ドンヒョク監督(『マイ・ファーザー』)による映画も原作同様に「なぜ、弱者は見捨てられるのか」というテーマを持っている。原作と映画で異なるのは、原作は主人公の教師イノと彼を助ける人権活動家ユジンの経歴を1970年代後半までさかのぼって描いているのに対し、映画では経歴を省略している点である。原作が支配層の問題を主人公たちを通して軍事独裁政権下から続く歴史的な問題として表わそうとしているのに対し、映画は主人公たちの役割を被害児を擁護する立場に留め、今ここにいる被害児たちの虐待を受ける恐怖や裁判でも救済されないことの痛みを観客に伝えることを重視している。

原作では、ユジンは軍事独裁政権下で民主活動家だった父親を拷問によって惨殺された経歴を持っており、「わたしは、ただ自分が変えられないようにするために戦っているんです」と彼女が語る言葉は、父親のように「拷問によって思想の転向を迫られることがないように」、被害児の保護者のように「貧しさからプライドを捨てて示談に追い込まれることがないように」という著者自身の強いメッセージとして胸に染みてくる。また、イノは被害児を擁護したために過去の教え子との性的関係を暴かれ町を離れるように追い込まれてしまうのだが、支配層に対置すれば彼も被害児同様に弱者であることを描いて問題をさらに掘り下げており、著者の描写の巧みさに感動する。
映画は映像と音声の力で、被害児たちの痛み・恐怖・不安、それに喜びをそのままに示して観客の共感を誘う。聴覚障害があっても特定の周波数の音だけは聞くことができるために「校長室から流れる歌手チョ・ソンモの歌を聞いた」と証言した被害児は、立証のために法廷で歌を聞かされることになる。自分の役割を果たさなくてはならないという緊張感でこわばった表情の彼女が果たして歌を聞き取ることができるのかとハラハラして観客は彼女を見守ることになる。緊迫感の中で彼女の背後から流された歌は『いばら(カシナム)』で、被害児にとってまさに「いばら」であった虐待を強くイメージさせる歌である。「聞こえる」と挙手する少女はチョ・ソンモの哀しい祈りのような歌声によって荘厳さを帯び、強くカタルシスを感じさせる見せ場になっている。

主人公と被害児たちが食堂でチャジャンミョンを食べるシーンがある。知的障害もある少女がみんなで食べるという楽しさからニッコリほほ笑むと、改めて「こんなに無垢な少女が虐待され見捨てられることは許されない」という思いがわき上がり、映像が感性に訴える力を強く持っていることを実感させられる。韓国では小説も反響を呼んだが、映画はそれ以上に大ヒットし、映画を観た人々の反響の大きさから事件の学校は廃校に追い込まれ、子どもへの性的虐待を処罰する改正法が「トガニ法」として成立する。この映画の力の大きさを示すものである。
『トガニ 幼き瞳の告発』
原題 トガニ(るつぼ)/英題 Silenced/韓国公開 2011年
監督 ファン・ドンヒョク 主演 コン・ユ、チョン・ユミ
2012年8月4日(土)より、シネマライズ、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
公式サイト http://dogani.jp/
Reviewer's Note
井上康子。福岡市在住。1980年代にNHK教育TV「アジア映画劇場」(佐藤忠男解説)でアン・ソンギ主演『風吹く良き日』を観て以来の韓国映画ファン。孔枝泳の小説も好きで、日本語に翻訳された作品が少ないのを残念に思っています(映画化され邦訳も出版された作品に『サイの角のように1人で行け』『私たちの幸せな時間』がある)。今回は待ち望んでいた小説版『トガニ 幼き瞳の告発』(新潮社、蓮池薫訳)と映画を併せて楽しみ、さらにお伝えする機会をいただいて、私にとって至福の時間になりました。
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