Review 花コリ『かたつむり』&TILGFF『夜間飛行』 ~韓国クィア映画、その気骨に唸らされる
Text by Kachi
2015/9/14掲載
去る5月に東京で開催された「花開くコリア・アニメーション2015」で、ジン・ソンミン監督『かたつむり』(2013)に圧倒された。

『かたつむり』
家で1人マニキュアを塗るのが好きな男子中学生ソンファン。遊びに来た友達のヒョノも一緒にマニキュアを塗り、ヒョノは「このまま明日学校へ行こう」と誘う。だがソンファンは、マニキュアを絆創膏で隠す。約束通りそのまま登校したヒョノのマニキュアを、クラスを牛耳るジョンピルが見とがめ、執拗ないじめが始める。
7月の名古屋会場で設けられたティーチイン(花コリ2015名古屋会場 ジン・ソンミン「かたつむり」監督トーク録)で監督は、雌雄同体の生物である「かたつむり」をタイトルに冠したことについて「性的なコードというものも初めから意図していた」と語ったが、同性愛コードが作中の随所にこめられ、暗示の方法も巧みであった。本作は、校内いじめとマイノリティー差別をあぶりだした映画として、技巧的な美点のみならず見逃せない作品なのだ。
『かたつむり』で描かれる暴力は、殴る蹴るという単純なものばかりではない。女性の裸が描かれたトイレにヒョノを閉じ込め、はやし立てながらマスターベーションを強要する。仲が良いのを知っていて、わざとソンファンにヒョノをいたぶらせる。「マジョリティとしての男性像から逸脱する男子」(注)に目をつけて、「俺はホモじゃない。こいつとは違う」と殊さら主張するように集団でいたぶる。マッチョ(男性としてのたくましさ)な思考回路から生み出された周到ないじめなのだ。
(注)「ホモソーシャル・ホモフォビア・ミソジニー」[『女ぎらい』(上野千鶴子、2010年、紀伊國屋書店)に所収]を参照。
傷つき、孤独をつのらせていく2人。それでも、一人ぼっちのソンファンの痛みを引き受けるヒョノには、精神的な強さを感じさせられた。韓国のクィア映画に、また新たな展望が見えた。クィア映画の背骨、つまり作ろうとする時の気概が違うのだろう。
今年で24回目となる東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で、イ=ソン・ヒイル監督『夜間飛行』(2014)が日本初上映された。300の客席はほぼ埋まっており、私だけでなく多くのファンが待ちわびていたようだ。

『夜間飛行』
ヨンジュ(クァク・シヤン)、ギテク(チェ・ジュナ)、ギウン(イ・ジェジュン)の3人は、中学校からの親友。しかし、高校生になるとギウンは荒れ、ギテクをいじめるようになる。ヨンジュはソウル大を目指すほど優秀である一方、同性愛者であることと、ギウンへの思いを隠している。
イ=ソン・ヒイル監督作品には一貫したテーマがある。クィアであること、そして裕福と貧困といった格差だ。例えば長編デビュー作『後悔なんてしない』(2006)では、ナイトクラブで体を売る貧しい青年と、金持ちの御曹司との恋が描かれていた。『夜間飛行』は、主要な登場人物は学生だが、苛烈な受験戦争が生む権力関係によって、性的少数者として生きる者の苦悩がより鮮明になっていた。誰もが他人を蹴落とすチャンスをうかがっている中で、決して知られたくない秘密を握られることは、想像を絶する苦しみを味わうことになるからだ。自分より弱い立場の者を目ざとく見つけ、憎悪し、排斥していく。まぎれもなく社会の縮図だ。
ヨンジュはギテクが受けているいじめを教師に訴えるが、勉強させることしか考えていない彼らは、問題にもしない。ヨンジュとひそかに関係を持っていた青年は、同性愛者であることが明るみになり、逃げるように転校していく。彼が壁にスプレーで書きかけた「ここにもゲイはいる」の「ゲイ」の部分は、本作に登場するあらゆるものに置き換えることができる。労働争議で路上生活のさなかにあるギウンの父のような者の「ここにも労働者はいる」。学内での競争に敗れたり、いじめに遭う生徒の「ここにも僕はいる」。まるでいない者として排除されていく彼らの、声にならない叫びなのだ。
先に挙げた『かたつむり』のジン・ソンミン監督は、「ヒョノがゲイなのかどうか、私も分かりません。たぶん教室にいる誰もがヒョノがゲイかどうかは分からない、ヒョノ本人も分からないことだと思います」と語る。それはソンファンにも、そして、ヨンジュを拒み女性を抱いたりするが、それでもこみ上げてくる言い知れぬ思いに戸惑うギウンにも言えるのではないか。「自分は男」「私は女」という性自認は、誰もが出来て当たり前なのではなく、もっとボーダーレスで多様なものだと気づかせてくれる。
題名の『夜間飛行』は、ヨンジュが隠れ家のように使う、もう営業していないショットバーの店名だ。バルコニーからは、沈もうとする夕日が目に映る。思えばイ=ソン・ヒイル作品には、日暮れから夜の場面が多い。そしてその暗さにこそ、イ=ソン・ヒイル監督作品の美しさが凝縮されているように感じる。
劇中ひときわ精彩を放っていたのは、通り雨の夜、ヨンジュがギウンを見送るシークエンスだ。人工的なきらめきとは違う、雨が降った空気をそのまま画の中にとじこめたようなみずみずしさで、ヨンジュの心象風景にも重なる。
暴力は、より少数で弱い立場に向かう。そんな社会の歪みを浮き彫りにする本作は、観ていて痛々しい気持ちにさせられる。だが同時にこの映画は、様々な苦悩を抱えて生きている者へ寄り添うような美しさを持っているのだ。
6月に韓国で行われたソウル・クィアパレードは、日本の反ヘイトスピーチ団体と連携し、同性愛者へ差別的プラカードを掲げる団体へ敢然と立ち向かっていた。だが相変わらず韓国社会は、クィアへ理解があるとは言い難い。『夜間飛行』のエンディングソング「If I Ruled The World」は、元はディケンズの『ピクウィック・クラブ/The Pickwick Papers』を原作に書かれたミュージカルである。その一節が、傷ついた者を包み込むように流れていた。
花開くコリア・アニメーション2015
期間:2015年4月3日(金)~4月10日(金)[大阪]、5月9日(土)・5月10日(日)[東京]、7月4日(土)・7月5日(日)[名古屋]
会場:PLANET+1[大阪]、アップリンク・ファクトリー[東京]、愛知芸術文化センター[名古屋]
公式サイト http://anikr.com/
第24回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭
期間:2015年7月11日(土)~7月20日(月・祝)
会場:シネマート新宿、スパイラルホール
公式サイト http://tokyo-lgff.org/
Writer's Note
Kachi。8月末、横浜のシネマ・ジャック&ベティで開催された、よこはま若葉町多文化映画祭へ行ってきました。ゲストの一人、韓国の映画監督でLGBT当事者のイ・ジョンシク監督は、家出をし、ホームレス生活をする中、やむなくセックスワーカーに従事していたそうです。監督の自伝的短編『フキデルヨロコビ』と、監督の友人で、若葉町で売春をしていて殺された韓国人男性への鎮魂を込めた『Dancing in Yokohama』には、イ=ソン・ヒイル作品の描く格差に通じるものがありました。
>>>>> 記事全リスト
- 関連記事
-
-
Review 『王になった男』 ~権力に興味を持たない影武者 2013/01/23
-
Review 『ソウル・ステーション パンデミック』 ~新・悪意の映画作家、ヨン・サンホの真骨頂 2017/10/05
-
Review 『徳恵翁主(トッケオンジュ)』 ~歴史の波に翻弄された朝鮮王朝最後の皇女をソン・イェジンが熱演 2016/11/30
-
Review 『風と共に去りぬ!?』 ~チャ・テヒョンの新作は、なにかと異質な西部劇風・時代劇!? 2013/07/10
-
Review 『猫たちのアパートメント』 ~猫たちの居場所作りを通して、他者と共存するための術を見せる 2023/01/02
-
スポンサーサイト
Review PFF『ひと夏のファンタジア』 ~新しい映画作りに踏み込んだチャン・ゴンジェ監督の“醒めないひと夏の夢” « ホーム
» Report 「チョン・ウソン シネマナイト」 ~ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2015より
コメントの投稿