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Report 第15回東京フィルメックス ~「フィルメックス作品」が持つスクリーンの言葉

Text by Kachi
2015/3/17掲載



 監督のカラーというものがあるように、映画祭が持つ独特のトーンがある。例えば、現在劇場公開中のシンガポール映画、アンソニー・チェン監督『イロイロ ぬくもりの記憶』。共働きの両親の一人息子と、家族を残して出稼ぎに来たフィリピン人メイドのふれあいを描いた佳品だ。淡々としつつも映像に力がある本作を観ていて「やはり」と思った。2年前の東京フィルメックスで上映され、観客賞を受賞していたのだ。

 セリフではっきりとは表現しないが、スクリーンからにじみでるように映像が観客に語りかけてくる。それが「フィルメックス作品」が持つトーンだ。昨年開催された第15回東京フィルメックスで上映された韓国の3作品を見て、そう強く感じた。


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『扉の少女(仮題)』(邦題『私の少女』で5月に劇場公開)

 イ・チャンドン監督がプロデュースしたチョン・ジュリ監督『扉の少女(仮題)』。ソウルから地方都市の麗水(ヨス)へ、派出所の所長として赴任したヨンナム(ペ・ドゥナ)が、村を徘徊する少女ドヒ(キム・セロン)に出会う。ある出来事によってヨンナムは都会を出たが、男権社会の警察で、上司として男性たちを統率しなければならない。田舎の水があわないヨンナムと、養父と祖母から日常的に虐待を受け、同級生にも虐められるドヒ。二人に味方はいない。

 疎外された女性と、虐待を受ける少女の出会いがきっかけとなる映画を撮ったのは、チョン監督曰く「それが一番寂しい二人だから」。ティーチインで久しぶりに来日したペ・ドゥナは、笑顔でファンを魅了していたが、作品では感情を秘めた女性を好演していた。ドヒを助けようとしたことで、逆にヨンナムはあらぬ疑惑をかけられるが、潔白を訴える押し殺した表情の凄みは、さすがというほかない。

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チョン・ジュリ監督(左)とペ・ドゥナ(右)

 子役として名高いキム・セロンの出演作は枚挙に暇がないが、やはりウニー・ルコント監督『冬の小鳥』だろう。養護施設に引き取られた少女を演じていた彼女の、黒目がちな瞳が瞬くたびに胸が苦しくなった。今作でも演技派の目は健在だ。ヨンナムとそっくりの髪型にして、はしゃぐドヒは可愛らしいが、そのあどけない瞳に燃えるような感情がゆらめく瞬間がある。その刹那の怖さは、ぞくりと後味を残す。ヨンナムとドヒの同じ瞳は、ポン・ジュノ監督『母なる証明』の母子を彷彿とさせる。危うい、共依存のような関係だが、離れずにいて欲しいと願ってしまう。本作の原題は『도희야』。「ドヒよ」と呼びかけてくれるのはヨンナムしかいないのだ。


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『生きる』

 『生きる』は、『ムサン日記~白い犬』で長編デビューしたパク・ジョンボム監督の2作目である。177分の大長編だ。

 ジョンチョル(パク・ジョンボム)は建設工場での職を失い、味噌工場に雇われている。心の病気を抱える姉スヨン(イ・スンヨン)は、バスターミナルで誰とでもセックスをし、ジョンチョルを苛立たせる。彼の希望は姪のハナ(シン・ヘッピッ)だけで、余裕のない暮らしでも彼女をピアノ教室へ通わせ、メロディオンでの練習を熱心に見ている。誰かを口汚く罵る時、ジョンチョルはハナに「耳を塞げ」と言う。だがハナも、幼いながらに不満を募らせている。教会へ通っているが、ハナは抑揚なく聖書をそらんじる。ピアノも神への祈りも、自分の生活に希望を持たせてくれないと悟っているのだ。

 冒頭、ジョンチョルは荒涼とした山から大木を引き抜き、岩石を黙々と取り除いている。味噌工場では、厳しいノルマを達成するために働きづめだ。ファーストシーンが象徴するように、彼の日常は、転がり落ちる岩を来る日も来る日も山頂へと押し上げ続ける「シーシュポスの神話」そのものだ。粗暴なジョンチョルが、たった一度口にした「教えてくれ、なぜ俺には何もない?」に弱さと孤独が垣間見え、痛切に響く。

 ただ一人、友人のミョンフン(パク・ミョンフン)が、スヨンを慕い、ジョンチョルを心配して寄り添う。パク監督によれば「IQ130くらいで、がむしゃらなジョンチョルとは違って純粋な人物」として登場させたそうだ。作品の閉塞感を和らげる存在で、ジョンチョルの良心が具現化したような人物にも見える。

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パク・ジョンボム監督

 「4時間以上の脚本を削ってもこの上映時間だった。韓国でも、あまりの長さに辛そうにしている観客をよく見た」とパク監督は笑う。だが監督も述べたように、生きること自体が、ある意味で苦しい。この177分は、観る者の映し鏡のような時間であった。だが最後に本作は小さな光を見せてくれる。そのかすかな希望のために「苦しくても、生きるんだ」と教えてくれる。


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『ONE ON ONE(原題)』(劇場公開予定)

 キム・ギドク監督『ONE ON ONE(原題)』。女子高生オ・ミンジュが突然7人組に拉致され、殺害されるショッキングなシーンから始まる。その後、7人組は一人ずつ、同じく7人の民間人による私刑集団に誘拐され、激しい拷問を受ける。しかし、「なぜオ・ミンジュを殺したか」と尋問される当人たちさえ、理由をまともに答えられない。謎を残したまま映画は終わる。

 キム・ギドクは「痛みを悟るのが人生」と語った。「人生では傷つくことがたくさんあるが、それも生きていく過程。解決を宗教に求めることもできるが、救いは自分で見出さないといけない。自分の欲や不安定さと向き合うことが自らを救うのではないか」。奇しくも監督が話した「生きることの痛みと救済」が、今回上映された韓国の3作品に通底するテーマであった。

 劇中、民間人の私刑集団は、政治家(女子高生を拉致した7人組の元締め)を襲撃することで恨みを晴らそうとするが、「それは解決にならない。批判している自分は卑怯ではないのか? 自分たちも卑怯であることを、国家を批判しつつ放置しているのではないか?という問題提起をしたかった」とギドクは語る。

 本作は、国家が国民に与える痛みについての寓意を描いているが、一人の俳優に善悪複数のキャラクターを演じさせることで、誰もが国民にも国家にも、つまり被害者にも加害者にもなり得る危うさを暗示する。我々は無意識に誰かを犠牲にして生きている。そして「オ・ミンジュ」のような犠牲者をすぐに忘れてしまうのだ。


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ティーチインでのキム・ギドク

 『扉の少女』のドヒとヨンナムの言葉は、瞳の奥にこそある。『生きる』の登場人物たちの孤独や希望は、少ないセリフでこそ十全に表現される。『ONE ON ONE』に限らずギドク作品の多くは、説明的なセリフを極力排し、画で強烈な印象を観る者に与えてきた。善悪や清濁、聖邪では割り切れない人間の営み・存在について、セリフで語らず、また、はっきりと答えを出さないことによって余韻を残す。それが「フィルメックス作品」なのだ。


第15回東京フィルメックス
 期間:2014年11月22日(土)~11月30日(日)
 会場:有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ日劇、ヒューマントラストシネマ有楽町
 公式サイト http://filmex.net/

Writer's Note
 Kachi。映画館勤務。昨年、同人誌『ことばの映画館』に参加。敬愛するイ・チャンドン監督の『オアシス』について書いています。


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