Review 『パタパタ』 ~不条理な世界に変化をもたらす一匹のサバの勇気
Text by 加藤知恵
2014/11/16掲載
下北沢トリウッドにて開催される「冬のアニメ祭り」で、12月6日より2週間、韓国の長編アニメーション『パタパタ』が上映される。本作は韓国で2012年に劇場公開されたイ・デヒ監督の長編デビュー作であり、日本では「花開くコリア・アニメーション2014」で初上映された。

まだ薄暗い夜明けの漁港、漁師の抱えるたらいから飛び出した一匹のサバが、地面に横たわっている。それを拾い上げたのは海鮮料理店の板前。サバは彼の店へ運ばれ、店頭に並ぶ水槽の中に放り込まれてしまう。そこではヒラメやアナゴ、タイ、スズキ、イシダイ、アイナメといった様々な魚たちが、人間に食される日を怖れながら日々をやり過ごしていた。
監督は制作に際し、2年もの時間を費やして魚に関する綿密な調査を行ったという。各キャラクターの性格は実際の習性を基にイメージ化されており、繊細な目の動きや愛らしい仕草によって、どのキャラクターも生き生きと魅力的に表現されている。
しかし本作が、サバと仲間たちとの交流を描いた愉快な物語だと思ったら大間違いだ。サバは水槽に入れられた直後、自分の代わりに別のサバが捕まえられ、刺身にされる光景を目にする。そして他の水槽から瀕死の魚が投げ込まると、皆は「食事だ」と目を輝かせながらそれに食らいつく。夜になれば水槽内を牛耳るオールド・ヒラメがでたらめなクイズを出題し、最下位を言い渡されるや問答無用に尾びれを食べられる。逃げ場のない狭い世界を支配する弱肉強食の掟、絶対的な序列意識、そして不条理な独裁。そんな地獄のような環境で、サバはもう一度故郷の海へ帰るべく、幾度も脱出を試みる。
監督のイ・デヒは世宗大学でアニメーションを専攻し、当時発表した短編作品『ペーパーボーイ』(2002年)はアヌシー国際アニメーション映画祭でも上映の機会を得た。卒業後はアニメーション制作会社で5年間働き、個人で『パタパタ』を制作するまでには更に6年の月日を要したという。『パタパタ』のストーリーは彼が会社員時代に感じた閉塞感や不条理な社会への批判意識がベースとなっている。脱出を試みるサバは、いつしかその行動から“パタパタ”と呼ばれるようになる。そして最初はパタパタを馬鹿にしていた魚たちも、その必死な姿を目にするうちに次第に感化されていく。とあるインタビューで監督は、「“パタパタ”は決してただの悪あがきではない。それによって誰かを変えることができるのだから」と語っている。それこそが本作に込められた最大のメッセージなのである。
更なる見どころの一つは「ミュージカル・アニメーション」である点だ。物語の途中で突如3Dから2Dの絵に切り替わり、ミュージカルシーンが始まる展開には驚かされる。しかし楽曲のクオリティは決して侮れない。タンゴのリズムやジャジーなピアノが印象的なアップテンポの曲から、しっとりと憂いを歌うバラードまで、曲のジャンルも実に多様である。それもそのはず、イ・デヒ監督は大学時代にバンド活動を行った経験もある、音楽にかなりこだわりのある人物なのだ。そして実は主人公のパタパタは女性なのだが、これは「保守的なオールド・ヒラメと対立する進歩的なキャラクターとして女性の方が適していたから」という真面目な理由に加え、「ミュージカルシーンの歌を女性の声で聴きたかったから」という、監督のごく個人的な音楽的嗜好も反映されている。
個人的に最も興味深かったのは、ほぼ全ての声優が2役以上を掛け持ちしていることである。パタパタと女性のヒラメの役はキム・ヒョンジという声優が演じているし(これはラストシーンで意味を持つことになる)、全く別のキャラクターであるスズキとアナゴ、アイナメとタイもそれぞれ同一の声優が演じ分けている。エンドロールを見なければ気付かないほど見事な演技力であるが、あらかじめ知ったうえで鑑賞すれば、ますます楽しめるのではないかと思う。
今回「トリウッド 冬のアニメ祭り」で本作は毎日20時より上映される。仕事帰りの会社員も立ち寄れる時間帯だ。社会生活で日々感じる息苦しさを、パタパタの脱出劇に重ねてみるのはいかがだろうか。
『パタパタ』
原題 파닥파닥 英題 PADAK 韓国公開 2012年
監督 イ・デヒ 声優 キム・ヒョンジ、シ・ヨンジュン、アン・ヨンミ、ヒョン・ギョンス、イ・ホサン
2014年12月6日(土)より、下北沢トリウッドにて上映
映画館公式サイト http://homepage1.nifty.com/tollywood/
Writer's Note
加藤知恵。今では結婚し、お子さんもいらっしゃるイ・デヒ監督。今後はもう少し子供目線の作品を作りたいそうですが、「女性を主人公にしたい」という思いは変わらないようです。
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