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Review & Interview 『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』ユン・ジェホ監督 ~私たちの現在の選択によって、生み出される未来は変わる

Text by Kachi
2017/5/31掲載



 去る5月10日、韓国で第19代大統領に文在寅が就任した。前回の選挙で朴槿恵に肉薄した知名度は、短期決戦を乗り切るのに十分であり、また前政権を打倒した「ろうそく集会」に積極的に足を運び、その勢いを巧みに生かしての勝利だった。両親のルーツが北にある文大統領は、北に対して宥和的であると指摘されている。このところ連続している北朝鮮の活発な軍事活動に、少なくとも日本は大いに揺れているわけだが、にもかかわらず選挙戦での致命傷とならなかった。ずっと以前から、多くの南の人間は、北に関心を寄せていないのである。それとは正反対に、保守層を中心として北の脅威に危機感を覚える声も根強い。この選挙に限らず、韓国社会にとって北の「同胞」とは、打倒すべき敵か、さもなくば無関心かなのである。

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 我々にはおよびもつかないこうした深い隔たりに、一人の女性のことを思う。ドキュメンタリー『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』の主人公ベーである。マダム・ベーは、自身も脱北のさなかに中国の家庭に売られ、のちに脱北ブローカーの仕事をしながら、北朝鮮の家族を韓国に脱北させ、中国と韓国それぞれに別の家族を持つことになる。まるでスパイのコードネームを思わせる彼女の名前をタイトルに冠した本作は、撮影対象を質実さのみでとらえたドキュメンタリーである。

 この3月、来日したユン・ジェホ監督にインタビューを敢行した。脱北者をだまして多額の金を奪ったり、ベーもそうだったように、違法薬物の売買や売春の温床にもなるなど、脱北ブローカーの存在にはネガティブなイメージばかりがつきまとう。しかし監督は、2013年に初めてベーに会った時の印象を「ブローカーであると分からなかった」と語る。
「前作『北朝鮮人を探して』の際に知り合った脱北者たちのつてで、電話番号を手に入れました。ベーは、私がリサーチをするために脱北者を紹介したり、いろいろ教えてくれるガイドでした。もちろん、私も悪い仕事という先入観があったのですが、彼女に会った時は脱北ブローカーだと思わなくて、皮肉にも親しくなってからそのことを知ったのでした」
 ベーとの出会いによって自らの先入観が打ち砕かれた監督は、脱北者たちがベーをどのように思っていたかを尋ねることもなかったそうだ。
「ある価値を判断するのは、その人が育ってきた環境によって決められるものだと思うんですね。マダム・ベーに会って、私は自分の人生の中でいろんな変化を経験しました。自分が知らない相手に対し、社会が先入観や偏見・環境といったものによって定義を下してしまう恐れがあります。人と人とが会った時は、国家や身分を取り払って接するのが大事なんだと思います。“その人をどう思うか?”と聞くこと自体が、そうしたことと矛盾しているのではないでしょうか」
 人は多くの場合、身近ではない存在、理解しがたいものに対しては固定観念にとらわれがちである。知らないがゆえに忌避し、極度に恐れ、時に差別的言辞や行動へと容易につながってしまう。『マダム・ベー』には、シーンを説明する字幕もナレーションもない。観客に対して制約を加えたくないからである。

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 映画の中で、監督はベーの案内で過酷な経験を共にする。タイ、ラオス、ミャンマーの国境が交わるゴールデントライアングル地帯を抜けてバンコクへと入っていく。
「大人12名くらい。子供もいたので13人でしょうか。だいたいそのくらいの人数で出発します。たとえば1人とか2人では、お金にならないのでブローカーが動いてくれないのです」
 ベーは何とかタイを出国するが、韓国・仁川国際空港に到着した途端、空港で公安に拘束され、スパイ容疑をかけられてしまう。その後、ソウルのはつらつとした子どもの声で、不釣り合いなほど激しい言説の反共スピーチが流れるシークエンスがあり、韓国で新たに浄水器販売の職を得たベーの働きぶりが映し出される。
「タイに流れてきた脱北者たちを、韓国国家情報院の職員が、彼らの意向を聞いた上で、韓国への入国希望者は連れて帰ります。ただ、国家情報院にとっての関心事はたった一つ、脱北者がスパイかスパイじゃないかだけで、それを見分けることだけに集中しています。スパイ容疑で囚われ、判決が出て疑惑が晴れても、国家情報院の施設から出ても2年間は刑事の見張りがついての生活になります。仕事を求める人には、刑事たちが斡旋してくれます」
 現在、ベーはソウル近郊にバーを開業しているという。
「今のベーは、中国の家族も韓国に住む家族も選択していません。そこで稼いで、中国と韓国の家族に、それぞれ送金しているそうです」
 傍目には、ベーの生き方には苦いものがこみ上げてくる。だが、安住の地も安らぐ家族もなくさまよえる悲運の女性とみなしてしまうのは、やはり違う。ここに映っているのは、民族分断によって望まない人生を押し着せられながらも、いばらのような己の生をしぶとく歩もうとする、現代的女傑ともいえる姿である。

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 本作はベーを静かに、忠実に見つめようと努めている。それだけに、ベーの感情が特にほとばしるシーンが強い印象を残す。
「日本の方も韓国人もそうですが、脱北者もカラオケが好きで、彼女も歌うのが大好き。カラオケに頻繁に友人たちと行くことがありました。ある時、彼女についていって、歌うところを撮ってもいいかと尋ね、了解を得ました。いろんな曲を歌った中で、(映画で)使用した曲の詞が一番自分の心に染みたのです」
 監督は、脱北者よりも分断、そして分断という結果論的現象によって「自分のような分断以降に生まれた世代が経験する混乱」に興味を持っているという。
「分断というのは、国家の分断ということだけではなく、実はどの国にもあると思います。家族の別れもそうで、そこには様々な物語があります。“あるシステムによって分かれた”というところから、たとえば一つの分断がもう一つの別れを生み出すという、分断の連鎖が起きるわけです。そのような分断によって生み出された結果をどう表現するかが、私が映画で語るべきことです。私たちは、過去に生きることはできません。認識し、忘れずにいることはできますが、私たちが生きている現在を充実させて生きていくべきです。現在を生きる道には、未来をどうしていくかという選択の可能性がありますが、過去はやり直す機会がありません。ある状況によって生み出された結果を、今現在の私たちがどうするかによって、生み出される未来は変わるかもしれないのです」

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『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』
 原題 마담 B 英題 Mrs.B. A North Korean Woman 韓国劇場未公開作
 監督 ユン・ジェホ
 2017年6月10日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
 公式サイト http://www.mrsb-movie.com/


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Interview 『きらめく拍手の音』イ=キル・ボラ監督 ~両親の聞こえないという部分を自分なりに読み解きたいのです

Text by Kachi
2017/5/28掲載



 耳の聞こえない両親への視線が優しく、何より主役の二人が実に魅力的だ。しかし、この作品は、家族の美談ばかりが映し取られているわけでも、そうした撮影対象の良さだけを頼みにしたドキュメンタリーでもない。ある少女が葛藤の中で成長し、カメラを手に表現者となる過程を、誠実に紡いだ記録でもあるのだ。両親の代わりに早くから大人の世界に直面せざるを得なかったコーダ(CODA, Children of Deaf Adults:ろうの親を持つ健聴の子)として、時に反発し、寄り添い、そして互いの世界を分かちあっていく姿に、最後は心を掴まれた。


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イ=キル・ボラ監督


── 監督の「イ=キル・ボラ」というお名前ですが、お父様(イ・サングク)とお母様(キル・ギョンヒ)の姓をそれぞれ取られたんですよね?

この映画の作業を通して、母と父、それぞれに関する話をたくさん聞きました。母と父の出会いがあって私がいることを改めて感じたので、両親の二つの名字を自然に使いました。また、韓国だと「イ・ボラ」は平凡な名前ですが、「イ=キル・ボラ」なら、韓国語で「この道を見ろ」になります。そういう意味ならいいなと、この名前で活動を続けています。

── 監督が「自分の両親は、他の人の父や母とは違うところがあるのかもしれない」と感じたのは何歳くらいですか? 何かきっかけがあったのでしょうか?

自然と知っていきました。たとえば、幼稚園での保護者対談に私も同席しなければいけないとか、そういう時に「私の両親は他の家とは違うのかな」と思いました。

── 手話について、監督と弟さんは自然と覚えたのですか?

私の場合、先に手話言語を習得して、次に音声言語を覚えました。弟の場合は、寝ている時に私が話しかけたりして、音声言語が先でした。コーダの場合、長子が先に手話を覚えて、二番目以降の子どもが音声言語を先に覚えるということがよく言われます。


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── 作品を撮るにあたって、コーダの方々と交流したりしましたか?

韓国ではコーダという存在があまり知られていませんので、この映画ができた後に、コーダの組織ができたんです。ですので、他のコーダに会ったこともなかったですし、コーダに関する本も映画も読んだり観たりすることがなかったんです。この作品を撮った時は、本当に無謀なことをしたわけです。

── 監督のおばあ様は手話ができないので、息子であるお父様の口の動きを見て発話を理解しているとのことでしたが、お父様とはどのようにコミュニケーションをとっていらしたのでしょう?

コミュニケーションはできなかったそうです。父の場合、(監督の叔父である)弟もろう者ですが、家族は誰も手話ができませんでした。ろう者がやがて結婚をし、生まれた子どもが手話を覚えるということになるのですが、私の父も母も、生まれた時に家族の中にろう者は自分だけだったので、意思の疎通といっても「ごはん食べた?」「お腹が空いた」「お金あげようか?」くらいしかできません。だから母は、子どもの頃本当にもどかしかったそうです。自分の言葉を誰も分かってくれないし、自分も家族の言っていることが分からないから。かなりのストレスで、髪の毛を全部抜いたり、土を食べたりという行動をしてしまったと、言っていました。手話という言語を覚える前のことです。9歳の時に初めて言語を覚えたという子どもの気持ちがどんなものだったのか、想像がつかないですよね。

── 映画の中のお二人はとても明るくチャーミングで、そんなもどかしい時期を過ごしていたなんて想像できません。

私も時々そう思います。今も、私と弟がいなかったら、両親の家族とは意思の疎通ができないんです。当時は祖母たちは田舎に住んでいて、韓国は国として大変な時期だったので、手話の存在自体も、それを教えてくれるところがあるというのも知らなかったそうです。今では手話ができる家族が増えたので、祖母も「私ももっと早く手話を覚えていたらよかった」と言っていました。

── 作品の内容について、環境音に感動しました。お父様が見ているシーンは無音で、ろう者の世界を表現しているのだと思いますが、一方、その傍らでコーヒーが入れられる音や、時計の秒針といった音も聞こえてきます。こうした繊細な音を、健聴者である自分が聞き逃して生活しているということに気づかされ、映画にある静かな美しさを感じました。こうした演出には、どのような意図があったのでしょうか?

あえて静かな音を強調しようとしたのではなく、音声言語を使っていない家に育っているから、そういった音は自然と込められたと言えますね。でも、映画を観ている人たちが、「聴覚障害を持つ人々の世界は何の音もしないのでは?」と思いがちでしょうが、「あ、思ったよりも音がたくさんあるんだな」と感じてくださったのではないでしょうか。


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── お父様は少し聞こえるのですか?

補聴器をつければ本当にかすかに「音というものがあるんだな」ぐらいになら聞こえると言ってました。音というのはたくさん聞くと「こういう周波数の時にはこの音なんだな」「音声言語の時はこういう音なんだな」と認識できるのですが、私の両親は音自体を聞いたことがないので、父は若干聞こえても「気分がよくない音だな」くらいに感じるだけみたいです。

── 監督はやがてご両親との葛藤があり、高校を退学し、旅に出て、その後ご両親の世界を受け入れていきます。具体的にはどういうことがあったのでしょうか?

両親と私の葛藤というよりも、私と世界の葛藤、家族と世界の葛藤があったといえます。いつも周りの人たちに変な目で見られるとか、差別をされるという壁にぶちあたったり。でも、常に両親には強固で完璧な、彼らの言語とろう文化があって、二人はそれを信じていました。ドキュメンタリーを私が撮ろうとした時、両親の世界は本当に美しくて幸せな世界なんだなと改めて感じました。

── この作品は、監督ご自身の中にあったことや、両親との関わりあいから自然に出てきたようですが、作品を撮られるにあたって何かご覧になったり、参考にしたりしましたか?

韓国の作品『マイ・プレイス』(2014年/パク・ムンチル監督)、家族に関するドキュメンタリー映画です。妊娠した妹を長男が撮りながら、家族の各自それぞれに居場所=マイ・プレイスがあるということを語っていて、人は自分が居るべき場所が必要なんだと教えてくれました。その映画の構成を参考にしました。本はマックス・ピカート「沈黙の世界」です。

── その本は、耳の聞こえない方々についての著書ですか?

というよりも、話す言語とは何かについての哲学書でした。

── 話す言語についての本を参考に、ろう者のご両親の映画を作られたというのが面白いですね。

私は言語学に関心があります。両親の聞こえない世界をそっくり経験することはできないので、両親の聞こえないという部分を自分なりに読み解きたいのです。

── 今おっしゃったことに少し関係しますが、今の世界は、違いを認めることに不寛容だと感じています。耳の聞こえないご両親という「自分とは違う世界」を分かりあっていく経験を映画にされた監督としては、不寛容さに対して、どうすれば打ち勝てると思いますか。

すべては「自分とは違う」という考え方を持つことです。そういう前提なら、最初から理解する必要がないですよね。当然そうあるべきだと思うのですが…。日本の状況は分かりませんが、特に韓国は「みんな同じでなければいけない」という考えが強いんです。みんなが勉強するから自分もしなければいけない。みんな大学に行くから自分も。みんな就職するから自分も。みんな結婚するから自分も…といったようにです。最初から「みんなそれぞれ違う」と思っていれば、自分の人生を自分なりに生きていけて、たくさんのことができますし、解決できるのですが、未だに障害者や人種差別、女性差別、マイノリティへの差別があって、事件や事故も起きています。他人を認めない、違う存在を認めないところから来ていると思っています。



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『きらめく拍手の音』
 原題 반짝이는 박수 소리 英題 Glittering Hands 韓国公開 2015年
 監督 イ=キル・ボラ 出演 イ・サングク、キル・ギョンヒ、イ=キル・ボラ、イ・グァンヒ
 2017年6月10日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次公開
 公式サイト http://kirameku-hakusyu.com/


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Review 『きらめく拍手の音』 ~健聴の娘が描いた、ろう両親の完璧な世界

Text by 井上康子
2017/5/28掲載



 健聴者は両手をパチパチたたく聴覚的な拍手をするが、ろう者は両手を上げて手首を回しながら振る。この視覚的な拍手は、あたかも星が輝いているようで美しい。本作はイ=キル・ボラ監督によるドキュメンタリーで、冒頭のこの拍手によって、監督は「ろう者とは視覚による文化を持った人々なのだ」と軽やかに宣言し、ろう両親の手話によるにぎやかな会話が飛び交う日常と家族のこれまでを追っていく。

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 ろう者の伝統的な手話では、手の動きの他にさまざまな表情の変化が文法的に意味を持っている。表情の変化が少ない健聴者の会話と比較すると、圧倒的にインパクトがあり、引き付けられる。結婚までの経緯の中で、父は若き日にサッカー選手として活躍していたが、ろう者の国際試合から帰国した空港に出迎えを約束した母が来ていなかったのでガーンとショックを受けたことを、そして、母は美貌でラブレターが山のように届いていたので読まずに捨てたことを語ったが、表情の豊かさと簡潔な手指の動きのおかげで、まるで再現フィルムを見せられたように情景が浮かんでくる。

 二人のこれまでは、聴こえないための苦労、IMF危機時の父の失業など困難が多かった。監督が生まれた時は夜中に赤ん坊の泣き声に気づけるように補聴器を装用すればかすかに音が聞こえる父が補聴器を耳に固定するようにしたものの、両親はすっかり寝不足になった。監督と弟が歩き始めると母は家事をしながらも片時も目を離さなかった。失業した父が、たい焼き屋台を始め、他の誰も店を出さなかった大雨の日にも店を出したことを振り返り、母は「父さんは害虫よりもしぶとい」とあっけらかんと言い放ち、二人は笑い合う。強固に結びついた、たくましい二人が、表情豊かに手話で会話をする世界は何とも幸福感に満ちていて、監督の言葉通り「完璧な世界」だ。聴こえないという障害はあっても二人の世界に欠落はない。

 両親は明るく、世の中を割り切って生きてきたが、彼らの溢れんばかりの愛情を受けて育った監督と弟はコーダ(CODA, Children of Deaf Adults:ろうの親を持つ健聴の子)としての葛藤を抱えていく。監督は親の通訳者として、9歳の頃には銀行に借金の額を聞き、引越し前は大家に家賃と保証金を尋ねる役目を負わざるを得なかった。「障害者の子だから問題を起こした」と言われないように二人は小中学校では常に模範的に振る舞う。だが、高校入学になると、親の障害から逃れようと二人共が全寮制の学校を選択し、早くに親元を離れてしまう。

 希望校に進学したが監督は「さらに広い世界を見たい」と高校中途で東南アジアへの旅に出る。そして、広い世界を見たことで、ろう者は弱者ではなく、誇り高き存在なのだと気づく。みずみずしい映像を通して、自らの気づきを知らしめんという意思がひしひしと伝わってくる。あるコーダの成長譚でもあることがこの作品の大いなる魅力だ。


『きらめく拍手の音』
 原題 반짝이는 박수 소리 英題 Glittering Hands 韓国公開 2015年
 監督 イ=キル・ボラ 出演 イ・サングク、キル・ギョンヒ、イ=キル・ボラ、イ・グァンヒ
 2017年6月10日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次公開
 公式サイト http://kirameku-hakusyu.com/

Writer's Note
 井上康子。福岡在住。2009年にアジアフォーカス・福岡国際映画祭で上映された、マレーシアのヤスミン・アフマド監督長編遺作『タレンタイム』が8年を経て劇場公開中。異民族の世界に加え、ろう者の世界も肯定する作品の暖かみを8年前以上に私たちは求めているのではないだろうか。


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Review 『トンネル 闇に鎖(とざ)された男』 ~災害をユーモアで描いた中にある、監督の怒り

Text by Kachi
2017/5/2掲載



 セウォル号の沈没から早や3年の月日が経った。この3月にようやく海底から引き上げられた船体は、在りし日の姿を辛うじてとどめてはいるものの、もっと長い年月放っておかれていたように朽ちかけていた。

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 キム・ソンフン監督と言えば、ふたりの汚職警官が巻き起こすモラルなき追走劇『最後まで行く』で、その異能ぶりが世間に知れ渡った。本作『トンネル 闇に鎖(とざ)された男』はいわゆるディザスター・ムービーで、前作とはかなり趣向を変えてきている。韓国は、未曾有の海難事故を経験した。日本も幾度も大きな震災があり、東北と熊本の傷痕は今も癒えたとは言い難い。そして5年前には、トンネルの天井板が落下する事故で死者が出ている。現実がフィクションを超える悲劇に見舞われてしまった今、映画をどう受け止めたらいいのだろうかと、観るのをためらう人も多いかもしれない。しかし、試写で鑑賞して、それが思い過ごしであったことに気づかされた。

 ごく普通のカーディーラー、ジョンス(ハ・ジョンウ)は、仕事の帰り道でトンネルに差し掛かった瞬間、崩れ落ちた天井の下敷きになり、車ごと埋まってしまう。何とか一命は取り留め、救急隊と連絡を取ったジョンス。彼の手元にはペットボトルの水2本、スマートフォン、幼い娘のために用意したバースデーケーキがあるだけだった。救助活動が難航する中、崩落は進み、状況は日増しに悪化していく。

 ジョンスを阻むがれきは、セットとCGの境界が判別できないほどで、「本当に役者を埋めたのか?」と錯覚するほどだが、この映画の凄みは空間によるものだけではない。序盤、トンネルが崩落する場面。類する映画によく見られる、たとえば緩むねじや周囲の震動といった不幸の予兆のカットがない。現実の災厄とは、何も分からぬままこうして降りかかると痛感させるリアリティが冴えている。

 その一方で、「決してパニックにならず、冷静でいるように」と救急隊長から言い聞かせられたジョンスが、極限下で日常を保とうとするさまや、ある闖入者とのやりとりに笑いがこみ上げる。火星に一人取り残される宇宙飛行士のサバイバルを描いた『オデッセイ』のユーモアとポジティブさに似ている。生きるか死ぬかが懸かった局面に持ち込まれた生活の感覚が、緊迫感とのズレを生み、特に映画の前半に笑いを生んでいるのだ。

 夫の無事を祈る妻セヒョン(ペ・ドゥナ)の献身など、韓国映画お得意のヒューマニスティックな展開を期待するところだが、キム・ソンフン監督は王道を巧く逸れていく。その役回りが、キム救急隊長に扮したオ・ダルスであった。「シーン・スティラー」と呼ばれて久しい彼が登場すると、作り手の技量如何によることなく、なんとなく見栄えのいい映画になってしまうせいか、時折「オ・ダルスの持ち腐れ!」と怒りたくなる映画を目の当たりにする。だが今回は持ち前のコミック・リリーフとしての力量を見せつけながら、漢泣きを搾り取っていく。

 仰々しく事故現場を視察に来た官僚連中と、横暴な報道陣。そして、ある不幸な出来事をきっかけに、ジョンスに対する世論は風向きが変わる。大きな声が蔓延させる同調圧力に、たった一人のか細い声はかき消される。キム救急隊長だけが、ジョンスが生きていることを信じて疑わなかった。こうした信念が、セウォル号事故救出の現場に欠けていたのではないか。2014年4月以降、韓国では『グエムル -漢江の怪物-』(2006)が、事故を彷彿とさせると思わぬ注目を浴びたという。得体の知れない漢江の化け物に丸呑みされ、しかし奇跡的に生きていた娘から家族に電話がかかってくる映画のくだりに、ある日突然海の底に消えてしまった我が子を重ねたかもしれない家族の悲痛を、政府の誰かが推し量っただろうか。最終的に信じられるのは、大文字の「国家」でも「国民」でもないという作り手の絶望。人の不運をエンターテイメントにするのではなく、しかしユーモアで軽やかに描く中に、何と激しい憤怒が込められているのか。

 最新作『お嬢さん』が3月に日本で劇場公開された際、パク・チャヌク監督は昨今の韓国映画勢が放つエネルギーの理由を「たくさん苦労しているから。ここまで堕落した政府を経験したことはないと思うし、一般の人たちが抗議したりデモしたり。感情の起伏が激しくならざるを得ない一方、豊かでドラマチックな映画ができるのでは」(2017年3月3日、朝日新聞夕刊より)と語った。確かに『お嬢さん』は、才気がほとばしっていた。キム・ソンフンも間違いなく、そうした映画人の一人である。


『トンネル 闇に鎖(とざ)された男』
 原題 터널 英題 Tunnel 韓国公開 2016年
 監督 キム・ソンフン 出演 ハ・ジョンウ、ペ・ドゥナ、オ・ダルス
 2017年5月13日(土)より、シネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国順次ロードショー
 公式サイト http://tunnel-movie.net/


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