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Report アン・ソンギ ナイト

Reported by 井上康子
2012/8/30掲載



はじめに


 圧倒的な演技力と堅実な自己管理で60歳に至る現在までずっと韓国映画界の中心に居続け、清廉さや暖かみを感じさせる人柄からも「国民俳優」と呼ばれ、高い人気を保ち続けているアン・ソンギが、最新主演作『折れた矢』の上映に併せて福岡アジア映画祭のスペシャルゲストとして招待されました。7月14日に開かれたトーク・イベント「アン・ソンギ ナイト」は、映画祭代表でアン・ソンギとも個人的に交流のある前田秀一郎さんが聞き手となり、これまで映画祭で上映されたアン・ソンギ出演作を中心に歴史的な流れに沿って質問し、アン・ソンギが答えるという形式で進められました。

※ 福岡アジア映画祭上映作は映画祭上映時のタイトルで表記。



トーク


前田:子役時代のことや成人してまた俳優になったきっかけから聞かせてください。

アン:5歳から中学生まで10年あまり子役をしました。そして、高校・大学を終えてまた俳優として再デビューしました。先日、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームでハンドプリントをして来ました。その時に「若く見えるが55年間俳優をやってきた」と言ったら皆に笑われました。俳優を再開したのは78年頃です。大学ではベトナム語を専攻しました。軍人で大学生であるROTC(*)に属していたので、卒業後はベトナム戦争に参加する予定でした。けれど、私が卒業と同時に韓国からベトナムへの派遣が中止され、翌年にはベトナム戦争も終わりました。状況が変わったので、三星(サムスン)や現代(ヒュンダイ)などいわゆる大企業の就職試験を受けましたが、私はベトナム語専攻だったため就職できませんでした。ROTCで同期だった人は皆、就職できたのですが。それで、私にできることは何かと考え、それは演技ではないかと思い、俳優になるために努力をしました。2年間準備をし、1978年から4本、助演で映画に出ました。1980年に『風吹く良き日』で主演デビューし、次にイム・グォンテク監督作品『曼陀羅』に主演し、今まで途切れることなく俳優業一筋でやってきました。

(*) Reserve Officers' Training Corps。大学で学生として授業を受けながら、同時に軍事訓練を積み軍人教育を受ける制度。卒業後、軍役に就くことが義務付けられている。

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トークの模様(左:前田氏、右:アン・ソンギ)

前田:特に、ペ・チャンホ監督の作品には12本も主演していますが、コンビがうまくいったのはなぜですか?

アン:ペ・チャンホ監督は元々はイ・ジャンホ監督の助監督でした。イ・ジャンホ監督とは『外人球団』(1988年・第2回で上映)まで一緒に仕事をしました。その後、ペ・チャンホ監督と一緒に作品を作るようになりました。ペ・チャンホ監督とはとても気が合って、映画の解釈の仕方なども彼とは似ているのです。1985年に私が結婚するまでは、いつもその時に予定している映画の話をして、時には一緒にくつろぎに出かけたり、共に長い時間を過ごしました。イ・ジャンホ監督とペ・チャンホ監督は、二人を抜きにしたら1980年代の韓国映画を語れないほど重要な方々です。その1980年代の韓国映画の歴史の中に自分が存在できたのは幸福なことでした。

前田:イ・ジャンホ監督は1987年の第1回に『寡婦の舞』のゲストで来てもらいましたし、ペ・チャンホ監督は1991年の第5回に『神様こんにちは』のゲストで来てもらいました。二人は1980年代の韓国映画を世界に知らしめた方々です。

前田:1988年に出演した『チルスとマンス』(1990年・第4回で上映)は当時、映画として表現することが認められなかった北朝鮮の問題を扱った作品でターニング・ポイントになったと思います。

アン:私はマンス役で出演しましたが、父親が北朝鮮と関わりがあり、当時は連帯罪があったため家族として巻き込まれてしまったという役柄でした(**)。当時、政治的に敏感な部分を題材にした作品です。韓国は1960年代に軍事政権となり、私が映画に出演し始めた1970年代後半は韓国映画にとって最悪の状況で、表現の自由を奪われていました。特に映画は芸術の中でも直接的な表現が可能ですので他のジャンルよりも制限が厳しかったのです。1970年代の韓国映画はそんな理由で文芸映画や啓蒙映画がほとんどで、他に商業映画としては主に女性を主人公としたラブ・ストーリーが多かったです。特に現実離れしたラブ・ストーリーがほとんどでした。1970年代の後半から映画を始めた私としてはもっと社会的で現実的な映画に出演したかったので、そういう作品を選んで出演しました。それで『チルスとマンス』に出演しましたし、主人公が北朝鮮の人間である『南部軍』にも出演しました。『ホワイト・バッジ』は反戦映画で、お金のためにベトナム戦争に参加したという、一般的な描き方とは違う描き方をしていて、当時としてはとても画期的なストーリーで出演を決めました。

(**) 北朝鮮と何らかの関わりがあれば共産主義者とみなされ、本人だけでなく家族に対しても連帯罪として公職に就くことが禁止されるなど厳しい処罰が行われた。マンスは連帯罪により公職に就けず、企業の就職試験でも事実上排除されるのでペンキ屋の看板かきをして生計を立てていたという見方ができる。

前田:1989年の第3回でチャン・ソヌ監督の『成功時代』を上映して、それがきっかけで1990年に初めてソウルに行きました。その時にチャン・ソヌ監督の紹介で初めてアン・ソンギさんに会いました。その時は『南部軍』の撮影中で話を聞かせてもらいました。それから、毎年ソウルに行くようになりアン・ソンギさんとも親しくなりました。1995年の第9回でカン・ウソク監督の『トゥー・コップス』を上映し、翌年の第10回で10周年記念として『トゥー・コップス』を再上映し、その時に初めてアン・ソンギさんにゲストとして来てもらいました。1996年の第1回釜山国際映画祭では私とアン・ソンギさんは一緒に短編映画の審査員をしましたが覚えていますか?

アン:昨日、少しその話を聞いていたので思い出しました。10年以上前のことはあんまり覚えていません(笑)。

前田:その後も毎年、釜山国際映画祭に行って、アン・ソンギさんとも毎年どこかの会場で会って、映画祭の参加者はポジャンマチャという屋台でよくお酒を飲むのですが、お酒もよく一緒に飲んでいます。

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アン・ソンギ自ら乾杯の音頭

前田:次のターニングポイントは、2000年の第14回で上映したイ・ミョンセ監督の『情け容赦なし』への出演になると思います。

アン:私はそれまではずっと主演で、短時間の出演は友情出演でした。『情け容赦なし』での私の役はほとんど助演に近いものでした。それでこの役を私に依頼したイ・ミョンセ監督に戸惑いを感じました。俳優というのは主役ばかりすることができないのは分かっています。歳を取るにつれて助演が増えるのは当然と思いますが、最初は戸惑って辛いものがありましたが、この作品のおかげで自然に主演から助演へ移るきっかけができ、気持ちが楽になりました。新人俳優賞を取ったし、主演俳優賞もたくさん取りましたが、この作品への助演出演を契機に『MUSA-武士-』で助演俳優賞(2001年・青龍映画賞)を取りました。

前田:今回上映した『折れた弓』は13年ぶりにチョン・ジヨン監督が作った作品でしたが、出演の経緯を聞かせてください。

アン:チョン・ジヨン監督作品には、私は『南部軍』『ホワイト・バッジ』に出演しています。13年ぶりに出演することになったのは、チョン監督が準備はされているのになかなか作品化することができなかったという背景がありました。チョン・ジヨン監督がこの作品で再登場したのを映画人たちも大変喜んでくれました。日本には年配の監督がいますが、韓国は年配の監督が活動するのが難しい環境があります。チョン・ジヨン監督(1946年生まれ)より年上の監督はイム・グォンテク監督(1936年生まれ)しかいません。久しぶりにチョン監督がメガホンを取って映画が出来たのは韓国映画史にとってもすばらしいことだと思います。

前田:毎年、釜山でチョン・ジヨン監督に会うと「新作が取れない」と嘆いていたので、この作品が撮れたことを祝福したいです。ベテラン監督を支援するという形でノー・ギャラ出演でしたが、支援の仕方を具体的に教えてください。

アン:作品自体が良くなかったら出演しなかったと思いますが、シナリオがとても良かったし、チョン監督と一緒に仕事がしたかったのでノー・ギャラで出演することに決めました。『フェア・ラブ』(邦題『不器用なふたりの恋』でDVD発売)もノー・ギャラで出演しましたが、良い映画にはノー・ギャラでも出演すべきだと思います。『フェア・ラブ』は低予算映画でしたが、打ち上げの費用も私が出したりしたので、私は負担した金額の方が大きかったのですが、『折れた矢』は投資した金額よりも成功報酬を多く受けとることができました。いずれにしても、価値のある作品には眼がないので、状況によっては皆で力を合わせて良い作品を作りたいといつも思っています(拍手)。



おわりに


 アン・ソンギが福岡アジア映画祭に招待されたのは、これが2回目です。1996年の第10回でアン・ソンギが初めてゲストとして登場した時の場内のどよめきは、今でもはっきり記憶しています。

 16年ぶりにアン・ソンギの話を生で聞いていると、改めて、彼が軍事独裁政権下の人々の苦痛や戦争の傷跡など韓国の人々が抱える痛みをずっと体現してきたのだと納得しました。また、映画祭では1988年の第2回で『ディープ・ブルー・ナイト』、『外人球団』を上映して以降、数多くのアン・ソンギの出演作を上映しており、映画祭のおかげでアン・ソンギの姿をスクリーンや、時には生のゲストとして見る喜びをもらえたのだという振り返りもできました。

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トーク後のサイン会の模様

 年齢を経て主演作が少なくなるということに悩み、乗り越えたという個人的な思いまで語る率直さが親しみを感じさせてくれましたし、良い作品を作るためなら状況によってはノー・ギャラもいとわないという常に韓国映画界全体を考える姿勢が尊敬を集めるのだろうと思いました。

 トークはパーティー形式で、ホテルを会場にして行われましたが、全国から彼のファンが参加し、日本での人気の高さも実感できました。



Reporter's Profile
 井上康子。福岡市在住。1980年代からのアン・ソンギ ファン。福岡アジア映画祭には1995年の第9回から毎回参加している。


第26回福岡アジア映画祭2012
 7月6日(金)~7月8日(日)@九州日仏学館5Fホール
 7月13日(金)~7月15日(日)@中洲・明治安田生命ホール
 公式サイト http://www2.gol.com/users/faff/faff.html


特集 第26回福岡アジア映画祭2012
 福岡アジア映画祭とは?
 Review 『折れた矢』
 Review 『ネバーエンディングストーリー』
 Review 『不気味な恋愛』
 Review 『ペースメーカー』
 Report アン・ソンギ ナイト


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Review 『ペースメーカー』

Text by 井上康子
写真提供:福岡アジア映画祭
2012/8/30掲載



 脚のトラブルで引退した元マラソン・ランナー、チュ・マノ(キム・ミョンミン)は、友人が営むチキン屋の手伝いをして生活している。早くに両親と死に別れ、肉親は弟のソンホ(チェ・ジェウン)だけだが、彼とも疎遠になっている。ある日、マノの元監督で、2012年のロンドン・オリンピックに向けて、マラソン代表監督に就任したパク(アン・ソンギ)がやって来て、若い優勝候補のためにペースメーカーになるようマノに要請する。

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 「ペースメーカー」とは、マラソンなどで優勝候補がベストの速度を維持できるよう戦略的に投入される選手のことで、優勝候補のために風を防ぎ、他の選手の牽制も防ぐという役割も持つ。マノは断念したランナーの世界に復帰するか悩むが、また走りたいという思いからパクの要請を受け入れ、選手村での合宿生活をスタートさせる。オリンピックの事前競技会では経験の浅い若い選手のために、ベテランとしてペースメーカーの役割を果たしていくが、次第に脚の状態が悪くなり、「これ以上無理をすると走れなくなる」と医師に宣告される。オリンピックが最後の走りになると覚悟を決めたマノは、ペースメーカーとして他の選手のために走るのではなく、自身のために完走しようと決意する。

 自分のために完走するというストーリーは、家族のトラブルに見舞われた主人公がそれでもアテネ・オリンピックのハンドボール決勝戦に出場することを決意した『私たちの生涯最高の瞬間』を想起するものであり、描き方によっては本作も感動作になったのだと思う。残念だったのは人物の描き方が大雑把だったことだ。マノが完走を決意する理由は作品の中でも重要なものであるが、その理由の一つは弟に自分がペースメーカーとしてではなく走る姿を見せたいというものだった。弟の学費のため自分は希望の進路を諦めるなど、実生活でもペースメーカーのような役割を果たしてきたマノ。ソンホはそのことを負担に感じ、兄とも疎遠にしていたのだが、ある日ついに「気が狂いそうだった」と怒りをぶつけ、マノは「そんなにおまえが負担に感じていたなんて…」と泣き崩れる。ここは観客の感動を誘う場面として設定されたのだろうが、なぜ、二人はそのような感じ方をするのだろうかと当惑してしまった。また、棒高跳びの若く美しいスター選手(コ・アラ)がマノに淡い恋心を抱くというのも作品のひとつの柱であったが、彼女が好意を抱く理由となったマノの発言「好きなことと得意なことのどっちを選ぶ?」は印象には残るが、なぜこの発言から恋心を抱くのかが理解できない。このように登場人物の思いが理解できないシーンが多く、感動には至らなかった。また、エンディングはご都合主義に走ってしまい、この作品のテーマを結果的に否定する内容になってしまっている。

 ティーチインに参加したアン・ソンギからも「監督は舞台やミュージカルをやっていて映画は初めてだったので、たくさんの人とお金を必要とする映画の現場は大変だったと思います。特にこの映画はスケールが大きいので。初めての作品ならもっと小さな規模のヒューマニズムを描いた作品にすべきでした。この作品はスケールが大きく細かい部分に気を配るのが難しかったと思いますし、興行的にも成功したとはいえません。次は作品性のある映画を撮れば成功するでしょう」と率直で厳しい発言があった。

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キム・ダルジュン監督

 人物の描き方は不十分だったが、主人公を演じたキム・ミョンミンの演技、また演技以前の身体の仕上がりは期待を裏切らないものである。『私の愛、私のそばに』では難病患者を演じるため20キロ減量するなどストイックな役作りで知られ、作品毎に様々なキャラクターに変身してきた彼が、今回も完全にマラソン・ランナーになりきっており、一見の価値がある。また、実際にロンドンで撮影したというオリンピックのマラソン・シーンはスケールが大きく迫力がある。

 キム・ミョンミンが義歯を付けて演じた目的をたずねられた監督は「歯並びが悪くても貧乏で矯正できないということを表わすため、そして、こちらが本当の理由ですが、走っているシーンを横から撮ることが多かったので、横顔に強烈な印象をもたせようと思いました。歳を取った馬が走るときに横から見ると歯が出っ張っているように見えますよね。そんな感じに撮りたかったのです」と答え、アン・ソンギがそれを受けて「毎日ランニングをしています。監督役だったので走ることはありませんでしたが、本当は歳を取った馬として走りたかったです」と発言し、会場が笑いに包まれた。


『ペースメーカー』
 原題 ペースメーカー/英題 Pace Maker/韓国公開 2012年
 監督 キム・ダルジュン 主演 キム・ミョンミン、アン・ソンギ、コ・アラ
 第26回福岡アジア映画祭2012「コンペ作品」部門上映作品
 映画祭公式サイト http://www2.gol.com/users/faff/faff.html


特集 第26回福岡アジア映画祭2012
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Review 『不気味な恋愛』

Text by 井上康子
写真提供:福岡アジア映画祭
2012/8/30掲載



 タイトル通りホラーと恋愛を融合させたラブコメ。ホラーとコメディを組み合わせた『時失里(シシルリ)2km』の脚本を書いたファン・イノの監督デビュー作で、脚本も彼が手がけている。

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 ストリートのマジシャンをしているチョグ(イ・ミンギ)は、蒼白く緊張した面持ちで自分のパフォーマンスを気にも留めずに立ち去る女性を見かけ、彼女の不思議な雰囲気にとらわれて後を追いかける。そして、その女性ヨリ(ソン・イェジン)をアシスタントにして始めた新しいイリュージョン・マジックは大成功を収めるのだが、ヨリはチョグたちと打ち解けようとせず、仕事が終われば一目散に帰宅してしまう。彼女は亡霊が見え、彼女のところには様々な亡霊がやって来るのだが、彼女と関わろうとする人は亡霊に気づき、怯えて、彼女から離れてしまうため、あらかじめ誰とも親しくならないようにしているのだった…。

 ホラーの要素としては、パロディというほどあからさまではなく、名作ホラー3作品が再現されている。ヨリの自宅の食卓は『4人の食卓』そのままであり、彼女が亡霊を避けるシェルターとして室内に張っているテントは『シックス・センス』の少年のテントと同じである。そして、全身無残な傷をもつ亡霊(『4人の食卓』)が登場したかと思えば、チョグにとりついたのは生きている肉親のためにメッセージを届けに来た亡霊(『シックス・センス』)である。そして、ヨリの親友の亡霊は長い黒髪をたらして、ヨリに近づく男たちを攻撃するが、その容貌は『リング』の貞子そのものである。既視感があり、テイストが異なるこれら亡霊たちの登場は、お化け屋敷を覗いているような猥雑でゆるい楽しさがある。また、チョグの職業がマジシャンであり、非日常的なイリュージョンに亡霊の要素を組み込ませているのは独自の楽しさとなっている。

 コメディの楽しさを見せてくれるのは何といってもソン・イェジンであり、普段は緊張して相手の目をろくに見ることもできないくせに、極度に酒癖が悪く、酔うと相手を睨みつけ、気楽に日々を過ごしているチョグを「うすっぺらな豚皮野郎」と本音を出してののしるヨリ役を余裕たっぷりに演じ、コメディエンヌとして十分な力量があることを見せている。

 チョグはマジシャンなので、何か特別な力で亡霊を退治するのかと思っていたが、そんなことは全くなく、小心者で、ヨリのところにやって来る亡霊たちに対して極めて無力である。結局、二人は嵐が通り過ぎるのを待つように、亡霊をやり過ごすだけで、亡霊が存在するという状況は変わることはない。チョグが輝きを放つのは、自分のことだけを考えていた「うすっぺらな豚皮野郎」から成長し、自分はそのややこしい状況から逃げ出せるにもかかわらず、ヨリの身を案じ彼女のそばに留まるという決意を見せるからである。

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ファン・イノ監督

 会場からは「彼女に取り憑いた亡霊を退治するのでなく、取り憑いたままにしたのはなぜか」という質問が出たが、監督は「この映画は単純に霊に取り憑かれた女の子の話ではありません。取り憑かれるというのは一つの障害の例であり、貧しさや身体の障害や社会的な偏見が障害になることもあります。そういった障害を乗り越えて恋が実るところを見せたかったのです。障害をなくすのではなく克服するのがこの作品のテーマです」と答えていた。はからずも『ネバーエンディングストーリー』の、病気は治らないが克服していくというテーマと同様であったことは興味深い。


『不気味な恋愛』
 原題 不気味な恋愛/英題 Spellbound/韓国公開 2011年
 監督 ファン・イノ 主演 ソン・イェジン、イ・ミンギ
 第26回福岡アジア映画祭2012「コンペ作品」部門上映作品
 映画祭公式サイト http://www2.gol.com/users/faff/faff.html
 『恋は命がけ』という邦題で「韓国映画セレクション 2013春」にて2013年3月2日(土)よりシネマート六本木ほかロードショー
 「韓国映画セレクション 2013春」公式サイト http://k-selection2013.com/

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Review 『ネバーエンディングストーリー』

Text by 井上康子
写真提供:福岡アジア映画祭
2012/8/30掲載



 偶然、同じ病院で同じ時に余命数ヶ月であると宣告された男女が恋におちていく。真面目で何事も計画的に処理しなくては気がすまない銀行員の女性ソンギョン(チョン・リョウォン)と弟夫婦の家に寄宿して気楽にその日暮らしをしている男性ドンジュ(オム・テウン)という対照的な生き方をしてきた、本来であれば決してどちらからも好きになることはなかったはずの男女が、余命数ヶ月という特異な状況を共有したことから、互いに恋愛感情を抱くようになる。ティーチインでチョン・ヨンジュ監督は「病気を劇的な瞬間として設定しました」と話していたが、韓国映画やドラマでよく見受けられる「難病もの」の湿っぽさはなく、病気という劇的な状況に置かれたことにより、予想だにしなかった恋におち、思いもよらなかった行動を取るという、心の変化を肯定的に描いている。設定は作為的であるが、その後の二人の心の変化はたいへん自然で納得できる描き方になっており、この作品が長編デビュー作である監督の力量が伺え、グランプリ受賞も妥当と思われた。

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 ソンギョンは余命わずかと知らされると、ドンジュを運転手にして、納骨堂を探し、死装束を求め、棺桶を選ぶ。専門店で死装束を試着したソンギョンがニッコリとポーズをとってドンジュに見せるシーンはウエディング・ドレスを試着しに来たカップルの姿そのもので、違和感による笑いを誘うと同時にソンギョンの健気さやかわいさを見せて、監督のセンスの良さを感じる名シーンである。ドンジュは本来の計画性のなさもあり、最初は死の準備をするソンギョンに否定的だったが、彼女の健気さにひかれるようになり、ソンギョンも自分の計画に付き合ってくれるドンジュの暖かさに安らぎを見出し彼にひかれるようになる。一攫千金を夢見るドンジュは毎週ロトを買い、当選番号が発表されるテレビ番組を見ることを欠かさず、生真面目なソンギョンは最初はあきれていたが、ドンジュを愛し始めると運転手をさせていても彼が番組を見逃がさないようにと気にかけるようになる。ソンギョンの機転でテレビのある食堂に入った二人はうれしそうに並んでロトの番組に見入る。自分の行為をドンジュが喜んでくれたという満足感にあふれてテレビに見入るソンギョンは人を好きになった時のキラキラした高揚感に包まれていて本当に可愛らしい。「恋が人に与える奇跡を表現したかった」と監督は語り、ここがその奇跡を表現したシーンだと思えたが、嫌悪していたロトの番組でさえ、満足を得る対象になるというのはまさに「恋が人に与えた奇跡」だろう。ドンジュもソンギョンを好きになったことで自分のことだけを考えていた気楽なその日暮らしの生活から抜け出し、自分の余命以上にソンギョンの健康を気遣うようになる。

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チョン・ヨンジュ監督

 ソンギョンを演じたチョン・リョウォンのキャスティングについては、「もともと歌手をしていたときのクールな印象や、おでこが出ているところにしっかりした女性のイメージを感じて彼女が合うと思いました」、また、ドンジュ演じるオム・テウンについては、「純粋で優しい眼をしていてこのキャラクターにぴったり」とのコメントが監督からあったが、特にチョン・リョウォンは内心は不安で一杯なのに死に向けての準備をきちんとすることで死へ向かう哀しみに耐えようとする地に足のついたしっかりさをうまく表現している。

 二人は病気を抱えたままだが、気持ちの上では病気に負けず、明るいエンディングを迎える。劇的なトラブルに見舞われても人生に肯定的に向き合うというメッセージが最後まで伝わってくる。


『ネバーエンディングストーリー』
 原題 ネバーエンディングストーリー/英題 Never Ending Story/韓国公開 2012年
 監督 チョン・ヨンジュ 主演 オム・テウン、チョン・リョウォン
 第26回福岡アジア映画祭2012「コンペ作品」部門上映、「福岡グランプリ2012」受賞作品
 映画祭公式サイト http://www2.gol.com/users/faff/faff.html


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Review 『折れた矢』

Text by 井上康子
写真提供:福岡アジア映画祭
2012/8/30掲載



 2007年に韓国で実際に起きた事件、かつての裁判で自分に対して有罪判決を言い渡した判事に矢を撃ったとして元大学教授が拘束された「クロスボウ・テロ事件」をもとにした作品。相手が判事であったために被告が正当な裁判を受けることができず、重い量刑に処せられてしまったことを司法の問題として描いている。監督は『南部軍』『ホワイト・バッジ』(1992年・東京国際映画祭「東京グランプリ・都知事賞」・最優秀監督賞受賞)など、リアルな描写で社会的メッセージの強い作品を生み出してきたベテランのチョン・ジヨン。本作は彼の13年ぶりの作品となる。主人公を演じるのは「国民俳優」アン・ソンギ。彼がチョン監督作品に主演するのは『ホワイト・バッジ』以来20年ぶり。

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 数学の教授として勤務している大学で、入試に出題された数学の問題に誤りがあることを指摘し、公表すべきだと主張したキム・ギョンホは秘密裏に処理しようとする教授たちにより解雇されてしまう。教授の地位にあることの確認訴訟に敗訴し、控訴が不当に却下されたために、彼は担当判事に正当な裁判を要求しようと判事の自宅へ出向き、事件が起きる。実際は、ギョンホは判事の反省を促そうとクロスボウで威嚇しただけで、撃ってはいなかったのだが、撃って傷を負わせたとされ、検察は彼の行為を「法治国家への挑戦でテロ」と断定し、「厳罰に処す」と発表する。判事の血がついたシャツ、腹部に傷があるという診断はあるが、判事の血であることの検証は認められず、腹部の傷も殺傷能力の高いクロスボウの矢によるものとは思われない浅い傷である。そして、判事が事件の時に壁に当たって「折れた」と主張する矢はどこにも存在しないのに、ギョンホが矢を撃って傷を負わせたと決めつけられる。

 本作同様に司法の問題を扱った最近の作品として『トガニ 幼き瞳の告発』があり、こちらは事件の衝撃性を重く描いていたが、本作は独習した法律知識を武器にして裁判でも一歩も引くことなく、判事に対してさえ「これが裁判ですか? 判事を忌避します」と訴える主人公のキャラクターの強さを前面に出して見せている。保身をはからない潔さと融通のきかなさがほどよく調和して、小気味よくユーモラスな仕上がりになっている。ティーチインではゲストとして登場したアン・ソンギが「監督からシナリオを受け取って読んで、翌朝には出演オーケーと返事をしました」「シナリオの完成度がとても高い」と発言していたが、本来重いテーマをユーモアを交えて処理し、また、法廷での応酬には緊迫感をもたせており、笑いと緊張の連続で最後まで飽きさせることがない。

 主人公のキャラクターの強さを前面に出した作品であるという意味では、この作品はまさに主人公を演じたアン・ソンギの映画であり、1980年代から1990年代にかけて彼が演じた知的な主人公を彷彿とさせる役を力強く演じている。担当の弁護士ともうまく付き合えない偏屈者のように見えた主人公は、実は強い使命感をもっており「韓国は法治国家です。法は数学と同じように美しい。法を守らない裁判官たちを法を使ってやっつけます」と言うのだが、このような知的で信念をもった台詞がさまになり、法廷での長い弁舌によどみがなく、厳しい状況に置かれていても暖かみのある父・夫であり、加えて、エンディングではたいへん茶目っけのあるユーモアまで見せており、さすが「国民俳優」アン・ソンギだと思える。

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アン・ソンギ

 ギョンホは一度だけ弱気になるのだが、それは彼を屈服させようとする司法側の企てにより、房内で受刑者からレイプされたためである、また、ギョンホの信頼を得た彼の担当弁護士はもともと労働争議を専門にしていたが、過去に争議を阻止する側の暴力により労働者が重傷を負わされたことがトラウマになり労働争議を担当できなくなるなど、少しずつ出てくる悲惨な出来事のリアルさが印象的で、これはやはり『南部軍』、『ホワイト・バッジ』でリアルな描写をしたチョン・ジヨン監督作品だと納得できる。ギョンホは支援者から「司法被害者の英雄」と見なされていたが、韓国では実際に「司法被害者の会」という名の当事者団体もある。歴史的に軍政下での裁判に問題があったということが大きな理由だろうが、司法に対する信頼感が日本に比べて低いために、「司法被害者」という表現があるのだろう。ギョンホが反省を促そうと威嚇した判事は彼を解雇したS大学出身であり、大学の意向に判事が沿ったことも示唆されているので、ギョンホの「法を守らない裁判官たちを、法を使ってやっつける」という発言もリアルな重みをもっている。

 低予算で製作された作品で、アン・ソンギら俳優の多くがノー・ギャラで出演したことでも話題になったが、今年韓国で公開されるや350万人を動員するヒット作となった。「千の顔を持つ男」と評される演技派俳優ムン・ソングンは、前大統領選で盧武鉉(ノ・ムヒョン)の応援活動を繰り広げて当選に大きな役割を果たしたが、そういう彼が実際の政治的志向とは異なる超保守派の判事になりきって、アン・ソンギ演じる主人公と火花が散るような法廷対決をしているのも見ものである。映画祭代表の前田秀一郎さんが司会をし、アン・ソンギが質問に答える形で行われたトーク・イベント「アン・ソンギ ナイト」では、「シナリオがとても良かったし、チョン監督と一緒に仕事がしたかったのでノー・ギャラで出演することに決めました」という発言に大きな拍手が沸き起こった。アン・ソンギを中心とした出演者たちの心意気のこもった作品でもある。


『折れた矢』
 原題 折れた矢/英題 Unbowed/韓国公開 2012年
 監督 チョン・ジヨン 主演 アン・ソンギ、パク・ウォンサン、ナ・ヨンヒ
 第26回福岡アジア映画祭2012オープニング特別上映作品
 映画祭公式サイト http://www2.gol.com/users/faff/faff.html


特集 第26回福岡アジア映画祭2012
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福岡アジア映画祭とは?

Text by 井上康子
写真提供:福岡アジア映画祭
2012/8/30掲載



 今年で26回目を迎える福岡アジア映画祭が、7月6日から15日まで福岡市内2会場で開催されました。オープニング特別上映作品として『折れた矢』(韓国)が上映され、スペシャルゲストとして主演俳優のアン・ソンギが来福。アジアの長編を紹介する「コンペ作品」部門では、『ジャンプ!アシン』(台湾)と韓国から『ネバーエンディングストーリー』、『不気味な恋愛』、『ペースメーカー』の3作品が、短・中編やドキュメンタリーを紹介する「パノラマ作品」部門では『イ・ミョンセの時間旅行』(韓国)など8作品が上映されました。

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 福岡アジア映画祭は、前田秀一郎さんと今村ミヨさんが中心となって、多くの市民ボランティアによって企画・宣伝・字幕製作・通訳などがされている全国でも珍しいタイプの映画祭です。1987年に第1回を開催して以来、毎年欠かすことなく開催されているのは、前田さんたちの映画に対する愛情と強い意志があってのことだと敬服します。

 この映画祭の特長は、前田さんがこれまでに映画祭で上映してきた作品の監督や俳優たちとの交流を維持し、それが今回のようにアン・ソンギのような超大物の来場につながるということ、また、多くのアジア映画を日本に紹介してきた実績から毎年、釜山国際映画祭や香港国際映画祭に招待されており、そこで上映されていた新作がいち早く紹介されるということです。また、長編作品の多くでは(時には短・中編作品でも)スタッフやキャストを招いてティーチインが行われているのも大きな魅力となっています。


第26回福岡アジア映画祭2012
 7月6日(金)~7月8日(日)@九州日仏学館5Fホール
 7月13日(金)~7月15日(日)@中洲・明治安田生命ホール
 公式サイト http://www2.gol.com/users/faff/faff.html


特集 第26回福岡アジア映画祭2012
 福岡アジア映画祭とは?
 Review 『折れた矢』
 Review 『ネバーエンディングストーリー』
 Review 『不気味な恋愛』
 Review 『ペースメーカー』
 Report アン・ソンギ ナイト


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Review 『ロス暴動の真実―コリアタウンはなぜ襲われたか―』

Text by Kachi
2012/8/26掲載



 今年6月、ある歴史的な重要人物の訃報が伝えられた。ロドニー・キング。1992年に起こったロス暴動の引き金とされる「ロドニー・キング事件」の被害者その人である。しかし、ロス暴動の悲劇には隠された主役が存在した。当時増え始めていた韓国系アメリカ人である。「人種のるつぼ」と形容されるほど多様な人種を抱えていたロサンゼルスで、なぜ敵意は韓国系アメリカ人へ向けられたのか。この土地でくすぶり続けてきた火種を一気に燃え上がらせた葛藤とは…。

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 本作は、移民が海外で「一時の客人」ではなく、その国の人間として生きていくことの難しさを浮き上がらせる。お互いを理解すれば全てが解決する、という楽観主義では埋められない隔たり。ロス暴動とは、移民と彼らを受け入れる側とがよりよく生きていくための死闘だったのだ。

 そして、これは過ぎ去った20世紀の事件ではなく、国際化の進む今だからこそ振り返るべき出来事だ。去年7月、ノルウェーで移民政策への不満から極右思想を持つ青年が多くの命を奪った事件は記憶に新しい。悲痛な歴史を振り返る中で、作品は「異なる人間同士が平和な関係を築くには」という普遍的な命題へ行き着く。今も民族間の葛藤を抱える国々はもちろん、「移民問題とは無縁」と思われがちな日本でも、多くの人に見られるべきドキュメンタリーだ。


『ロス暴動の真実―コリアタウンはなぜ襲われたか―』
 アメリカ映画/原題 Clash of Colors/2008年
 監督 デビット・キム ドキュメンタリー
 2012年9月1日(土)、Theater Cafe(名古屋市大須)にて上映。ノンフィクション作家・高賛侑氏のトークあり。
 Theater Cafe 公式サイト http://www.theatercafe.jp/

Reviewer's Profile
 Kachi。1984年、東京生まれ。図書館勤務。イ・チャンドン監督の『オアシス』で韓国映画に目覚めました。


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Review 『プンサンケ 豊山犬』

Text by Kachi
2012/8/15掲載



 朝鮮戦争の後、半島を分断した休戦ライン・38度線。そこを越えてソウルと平壌(ピョンヤン)を行き来する運び屋がいる。一言も口を利かない正体不明の男は、「帰らざる橋」(注1)に残された依頼人からのメッセージを受け取ると、3時間以内に依頼されたものを何でも運ぶ。彼が吸う北朝鮮産の煙草の銘柄からついた呼び名は「プンサンケ」。ある時プンサンケ(ユン・ゲサン)は、韓国に亡命した元北朝鮮高官の愛人イノク(キム・ギュリ)をソウルに連れてくるという依頼を受ける。危険な目に遭いながら国境を越えた二人には言葉で表現できない感情が芽生えていた…。

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 プンサンケは最後まで無言な男だが、瞳は感情を雄弁に語っている。離散家族の手紙や旗が揺れる「自由の橋」(注2)。彼はそこで悲しげにアリランを歌う老婆に、いつも持ち歩いているカメラを向ける。彼が運んだビデオレターに映る南の家族と涙の再会をする北の家族もファインダーに収める。その優しいが寂しい瞳から、この男は憎むべき相手ではないと直感できる。そして故郷を失い、もちろん韓国にも居場所などなく「来なければよかった」とつぶやくイノクは、何にも組せず生きるプンサンケと運命づけられたように惹かれあうのだ。しかし、小さな個人は国家の思惑の中で無情にもひねり潰されていく。

 「南北統一」といっても、北か南、どちらかによる統一。果たしてそれを「統一」と呼べるのだろうか。「おまえはどっちの犬だ?」と苛烈に尋問する韓国情報員や、口を割らせようと拷問する北朝鮮工作員に対して、決して答えないプンサンケが象徴しているものは火を見るより明らかだ。

 監督はチョン・ジェホン。嫉妬心にかられプンサンケの前でこれ見よがしにイノクを抱く元高官や、イノクの宝石を欲しがり「南朝鮮がうらやましい」とこぼす北の工作員など、人間の欲を露悪的に提示してみせる手法はデビュー作『ビューティフル』(2008年)を彷彿とさせるが、細かい笑いどころや、結末へいざなうスリル感は前作より増している。何より従来描かれてきた〈亡命〉や〈脱北〉のイメージを覆すアクロバティックな〈運び屋〉のプンサンケを誕生させた点に驚かされた。南北分断という、今なお朝鮮半島に横たわる深刻な問題をここまでスリリングに軽やかに扱えたのは、若手監督のなせる技だろう。そして主人公が〈喋らない男〉といえば…韓国映画ファンにはお馴染み、チョン監督の師匠キム・ギドクが、『ビューティフル』に引き続き脚本を担当している。

 「プンサンケ(豊山犬)」とは北朝鮮原産の希少種の犬のこと。ひとたび噛み付けば離さない凶暴さを持ちながら飼い主に忠実であるというプンサンケ。その名の通りに生きる男と、彼に「飼い主を失ったプンサンケに似ていますね」と寂しげに言った女。国家も民族もない、人間の純粋な心が宿った二人を思うにつけ、今もなお引き裂かれている人々に思いを馳せずにいられない。

(注1)板門店にある「帰らざる橋」は、朝鮮戦争後に捕虜の交換が行われた場所。捕虜たちはここで北か南かを選んだが最後、二度と戻ることができなくなることから、この名がつけられた。
(注2)坡州(パジュ)市にある「自由の橋」は、韓国民間人が自由に北朝鮮に近づくことのできる最北限で、ここの鉄柵には離散家族のメッセージが多く下げられている。


『プンサンケ 豊山犬』
 原題 プンサンケ 豊山犬/英題 Poongsan/韓国公開 2011年
 監督 チョン・ジェホン 主演 ユン・ゲサン、キム・ギュリ
 2012年8月18日(土)より、ユーロスペースにてロードショー、8月25日(土)より銀座シネパトスほか全国順次公開
 公式サイト http://www.u-picc.com/poongsan

Reviewer's Note
 Kachi。1984年、東京生まれ。図書館勤務。『クロッシング』『ムサン日記~白い犬』『かぞくのくに』、そして『プンサンケ 豊山犬』。北朝鮮シリーズとしてレビューしてきた作品から見て取れたのは、「近くて遠い国」に住む人々が私たちと同様に、大切な家族や友人を思い、ありふれた穏やかな生活を望んで生きているという至極当然のことでした。この当たり前なことが政治的な問題で忘れられがちな今、映画を見ることの意義を改めて感じました。





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Review 『かぞくのくに』に見る北朝鮮の「人間」の姿

Text by Kachi
2012/8/9掲載



 1959年から1984年までの間、在日コリアンを北朝鮮に移住させる事業、いわゆる「帰国事業」が行われていた。9万人にもなった帰国者には、北ではなく南の韓国が故郷の人や日本で生まれ育ったコリアン、そして彼らと結婚した日本人妻も多く含まれていた。当時の北朝鮮は、アメリカの影響を強く受けている軍事独裁政権の韓国よりも、ソ連の下で社会主義国として安定していたのだ。日本では差別と偏見で将来に希望を持てない。「主席」の恩恵を受けながら“地上の楽園”を作っていく「帰国事業」に、誰もが夢を抱いたとしても不思議ではない。

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 『かぞくのくに』は「帰国事業」で北朝鮮へと渡った兄・ソンホが、病気治療のため3ヶ月の滞在が許可され25年ぶりに日本の家族のもとへ帰って来るところから始まる。妹のリエら家族、友人が再会を喜ぶが、ソンホは無口であった。医師の診断の結果、良性の腫瘍だが経過を見るために3ヶ月では治療ができないと言われてしまう。母とリエは他の病院を探し、父は滞在の延長を申し出ようとする。しかし突然「明後日帰国せよ」との命令が下る…。

 親元を離れて渡った国では目立つことも自分の意見を言うことも許されず、適応していくために兄は妥協し、感情を抑えて生きるしかなかった。たった一度激高したソンホが父に言い放った「分かるわけない」という一言には、25年という歳月が家族の間に生んだ溝を感じさせる。しかし『かぞくのくに』は、そんな痛みをはらみつつもあからさまな批判に終始することなく、北朝鮮に暮らす「集団」ではない「人間」の姿をきちんとすくい取る。象徴的なのは、北の監視人として帰国者に張り付いているヤン同志だ。厳しい目つきでソンホを見張る彼だが、「祖国」が禁じる「腐って病んだ資本主義社会」を、日本でこっそり味わっている。マスゲーム、軍事パレード、「将軍様万歳」といったキーワードでは語られなかったその姿にクスリとさせられるが、同時に私たちが北朝鮮に対する時に忘れていた大事なこと、「その国でどんな人間も我々同様に生きている」ことに気づかされる。

 心に複雑なものを抱えて妹を思いやる兄・ソンホを井浦新が、ソンホとは対照的に感情豊かに生きる妹・リエを安藤サクラが好演。そして、自身も家族を題材にした『息もできない』で監督・主演をしたヤン・イクチュンが、厳しさと悲しさを眼差しにたたえた北の監視人ヤンにピタリとはまっている。

 梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督には三人の兄がいるが、皆「帰国」している。三人の兄を投影したソンホが、監督の分身のリエにかけた「もっとわがままに生きろ」という言葉と、ラストでのリエの行動。政治的な問題を扱いながら「与えられた人生をどう精一杯生きるか」を考えさせてくれる作品である。

 映画の公開にあわせ、梁監督の手記『兄―かぞくのくに』(小学館、2012年)が刊行された。そこでは映画の元となったエピソードも含めた「家族の話」が綴られている。赤裸々に語られた事実は切なく、読む者は言葉を失うが、映画をより深く味わうためにあわせて読んでもらいたい。


『かぞくのくに』
 日本/英題 Our Homeland/2012年
 監督 梁英姫(ヤン・ヨンヒ) 主演 井浦新、安藤サクラ、ヤン・イクチュン
 2012年8月4日(土)より、テアトル新宿、109シネマズ川崎ほか全国順次ロードショー
 公式サイト http://kazokunokuni.com/
 公式facebook http://www.facebook.com/kazokunokuni
 公式twitter http://twitter.com/kazokunokuni

Reviewer's Profile
 Kachi。1984年、東京生まれ。図書館勤務。イ・チャンドン監督の『オアシス』で韓国映画に目覚めました。





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Report 『かぞくのくに』 東京初日舞台挨拶

Reported by Kachi
2012/8/9掲載



 ドキュメンタリー『Dear Pyongyang ─ ディア・ピョンヤン』でデビューし、最愛の姪をカメラでとらえた『愛しきソナ』など自身の家族を撮影し続ける在日コリアン2世の梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督が、初めて実体験をフィクションとして映画化した『かぞくのくに』が、8月4日(土)にテアトル新宿で封切られた。立ち見も出た初日、舞台挨拶には兄・ソンホ役の井浦新、妹・リエ役の安藤サクラ、そして梁英姫監督が登壇した。

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初日を迎えて

安藤:とにかく現場の思い、監督の熱意にやられた映画作りでした。監督の思いは世界に向いています。是非みんなに見てもらいたいです。

井浦:今日は、この映画が一人で歩いて行く記念すべき日。観た皆さんの心に新しい何かが生まれていたら幸いです。そして是非周囲の人に広めていって欲しいと思います。

監督:(感極まって目をうるませながら)今日の日はベルリンよりも緊張して迎えました。この映画に出た大森立嗣さんに「地べたを這いずるように作った映画だね」と言われましたが本当にそうでした。家族に会えない代わりに映画を選んでしまったけれど、『かぞくのくに』では私の分身のサクラちゃんが、自分の代わりに兄といてくれているようでした。


映画の裏話

井浦:一番最初に撮ったシーン、覚えてる?

安藤:覚えてる! クランクインは8月1日で、車に一緒に乗ってるところ。

監督:とにかく酷暑で…。

安藤:兄弟のシーンはまとまらなくて、みんなで悩みました。

監督:そんな時、サクラちゃんに「私はずっとお兄ちゃんを見ていればいいんですね」と言われました。

安藤:もう食べていないとやっていられなかった(笑)。悩むし、暑いし、カメラは壊れるし…。体から湯気が出てるようでした。

監督:そう。代わりのカメラなんてないから、扇ぎながら撮影して。

井浦:兄弟間の距離、二人で距離感を試しあいながら作っていった。

安藤:思いをセッションしあいながら…(二人の間を電流が走るようなジェスチャーに一同爆笑)。


役作りで監督からアドバイス・要望は?

監督:私が兄と持っている思い出を二人に話し、それを吸い取った二人の演技なので、特に指導はしてないんです。


最後に

監督:『かぞくのくに』は、勉強になるようにと作ったものではありません。何かを感じ取ってほしい、と思います。見たことに対して、感動したとか、腹が立ったとか思ってくれれば良いです。で、後でGoogleで検索したりしてくれれば(笑)。


 イベント終了間際、安藤さんが「この映画がヒットすれば、監督は家族を守れるかもしれない」と発言された。梁監督は『Dear Pyongyang ─ ディア・ピョンヤン』を発表したことで、北朝鮮から入国禁止を言い渡されてしまっている。それでも家族の映画をやめないのは「それが家族への敬意だから」と監督は言う。安藤さんの一言は、そんな監督の思いに応えて『かぞくのくに』に関わった人たちの気持ちを言い表したようだった。


『かぞくのくに』
 日本/英題 Our Homeland/2012年
 監督 梁英姫(ヤン・ヨンヒ) 主演 井浦新、安藤サクラ、ヤン・イクチュン
 2012年8月4日(土)より、テアトル新宿、109シネマズ川崎ほか全国順次ロードショー
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 Kachi。1984年、東京生まれ。図書館勤務。イ・チャンドン監督の『オアシス』で韓国映画に目覚めました。





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Review 『かぞくのくに』 ~ふたつの国に翻弄された家族の哀しみ

Text by mame
2012/8/9掲載



 「北朝鮮への帰還事業」と言われても、多くの日本人にはピンと来ないのではないだろうか。私たちがメディアで目にする北朝鮮は、あまりに謎が多く、滑稽なほど厳格な国だ。だがそんな国にも、在日として日本で育ちながら、「祖国」である北朝鮮に帰り生活する人々がいて、中には日本に家族を残したままの者もいる。

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 『かぞくのくに』は北朝鮮から25年ぶりに帰国した息子と、彼の帰りを待ちわびていた家族の再会を描いた物語だ。病気治療のため、25年ぶりに日本を訪れたソンホ(井浦新)は、自分の生まれ育った町が近づくにつれ、懐かしさに駆られて車を下り、自分の足で家に向かう。当時の面影を残した近所の商店街を歩きながら、彼はそっと胸の金日成バッジを外す。

 映画は終始こうした静かなエピソードを積み重ね、淡々と家族の情況を映していく。家族で食卓を囲んだり、学生時代の仲間と同窓会をしたり、描かれるエピソードは「帰国」というより「帰郷」を感じさせる、ありふれた暖かいエピソードだ。だが、この帰国までに費やした長い年月、やっと実現した監視つきの滞在、そして突然の本国からの帰国命令。「近くて遠い国」である北朝鮮との距離は、直接的な関りのない私たちだけでなく、家族にとっても、その遠さは変わりないのだと思い知らされる。

 最初はぎこちなかったソンホの表情は、昔の仲間に囲まれて本来の柔らかさを取り戻し始めるが、そこから誰にも語ることのできない深い悲しみが消えることはない。

   「お前はもっとわがままに生きていいんだ」

ソンホは妹のリエ(安藤サクラ)に語りかける。家族のために自分の身を犠牲にしているソンホを思うと、リエは納得できず、両親や監視役のヤン同志(ヤン・イクチュン)に怒りをぶつける…。

 在日コリアンである梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督は、今まで『Dear Pyongyang ─ ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』と自分の家族をテーマにドキュメンタリーを作ってきた。初のフィクションである『かぞくのくに』は、その集大成ともいえるだろう。「在日」が抱えるアイデンティティの悩みは、多くの映画で描かれてきたテーマだが、『かぞくのくに』は、そんな自身の存在意義を悩むことすら否定される、国家権力への憤り、日本と北朝鮮、ふたつの国に翻弄された家族の哀しみを、静かな演出で浮かび上がらせ、観る者の胸を打つ。離れて暮らす家族を思う気持ちは、国籍に関らず、私たちに共通する普遍的な思いなのだと気づかされた。


『かぞくのくに』
 日本/英題 Our Homeland/2012年
 監督 梁英姫(ヤン・ヨンヒ) 主演 井浦新、安藤サクラ、ヤン・イクチュン
 2012年8月4日(土)より、テアトル新宿、109シネマズ川崎ほか全国順次ロードショー
 公式サイト http://kazokunokuni.com/
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Reviewer's Note
 mame。1983年、岡山県生まれ。『かぞくのくに』に出演するヤン・イクチュンさん、運転手役の塩田貞治さんの姿は、シネマコリア配給作品『まぶしい一日』(2006年、韓国)でも観ることができます。この作品は先日インタビューさせていただいた杉野希妃さんのデビュー作でもあるのですが、杉野さんの役はなんと梁英姫監督の体験がベースとなっているとか。何とも不思議な縁を感じますね。





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Review 『トガニ 幼き瞳の告発』はなぜ韓国社会を変革したのか?

Text by 加藤知恵
2012/8/1掲載



 教職者による幼い聴覚障害児への性的暴行を告発した本作は、昨年9月に韓国で公開されるや一ヶ月余りで460万人の観客を動員。その反響を受けて事件は再調査が実施され、わずか半年の間に、加害者の再逮捕、現場となった障害者学校の閉校、更には障害児への性暴力犯罪の処罰に関する法律改正が実現された。一連の現象が「トガニ事態」と命名されるほど韓国社会を揺り動かした作品だ。

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 原作は韓国のベストセラー作家・孔枝泳(コン・ジヨン)の同名小説。軍隊服役中に小説を読み衝撃を受けた俳優のコン・ユ自らが働きかけ、映画化が実現したという。孔枝泳は実力・話題性を兼ね備えた韓国を代表する人気作家であり、2006年に映画化された『私たちの幸せな時間』も動員300万人を超えるヒットを記録している。もし作者が別の作家だったならば、この事件がこれほど注目を集めることはなかったかもしれない。彼女の影響力は大きく、決して簡単な素材ではないこの『トガニ 幼き瞳の告発』も10社以上の映画制作会社が版権争いに名乗りを上げた。

 その権利を勝ち取ったサムゴリ・ピクチャーズが白羽の矢を立てたのが、ファン・ドンヒョク監督だ。彼はソウル大学・新聞学科在学中に映画の魅力に目覚め、大学院で初めて自主映画製作を経験。その後、アメリカへの映画留学中に、韓国の海外養子をテーマにした短編『Miracle Mile/奇跡の道路』(2005)を撮影し、注目を浴びる。そしてその作品を見た制作会社から依頼を受けた『マイ・ファーザー』(2007)で長編デビュー。冷静かつ鋭い視点を持つ社会派監督として高い評価を得た。その彼も、『トガニ 幼き瞳の告発』の依頼については決意までに一ヶ月の検討期間を要したという。告発という目的のためとはいえ、残忍で生々しい犯罪現場を映像化するのは精神的にも容易ではない。また、小説で細かに描かれている人物の心情や作者の主張を、映画という媒体でどのように表現すべきか、演出・脚本上の難しさもあった。

 実際に小説と読み比べてみると、設定や構成が大きく変更されているのが分かる。例えばコン・ユ演じる主人公カン・イノのキャラクターの違い。原作ではイノには妻子がおり、事業に失敗し経済的に疲弊する中で、妻の紹介によりかろうじて障害者学校の職を得て教師に復職する。そして彼が学校を摘発する過程で、彼自身もまた過去に教え子と関係を持った事実が暴露され、罪の意識と正義感の間で葛藤するという、ある意味アウトロー的な側面を持つキャラクターだ。しかし時間的な制約やコン・ユ本人のイメージとの兼合いもあり、映画ではトラウマの部分は全て削除され、「妻と死別し病気の子供を抱える美術教師」というかなりシンプルで清潔な設定に変更となった。ストーリーの厚みが半減した点は残念だが、一方でこの美術教師という設定は非常に効果的だ。映画の前半に、知的障害を持つユリとイノがお互いの似顔絵を描き合うシーンがある。「顔に傷があるからイヤ」というユリの台詞で事件の卑劣さを暗示させるだけでなく、この一場面のみでイノの誠実さ、ユリの純粋さ、そして二人の心理的距離の変化を全て描き切っており、監督の実力を感じた。

 また全体的に、よりドラマティックな内容の脚色が目立つ。特に印象的なのは、イノが告発を決意するシーン。校長や同僚に反発や不信感を抱きつつも、生活のために踏み切れないイノが、校長室からゴルフクラブを持ったパク教師に連行される傷だらけのミンスとすれ違う。その瞬間彼の中で抑え込んでいた感情が一気に噴出し、校長に贈るはずの鉢植えでパク教師に殴り掛かる。ストーリーのターニングポイントとなるこの重要な場面は、すべて映画版の創作だ。そして、衝撃的で悲しいエンディング。原作では、事実上裁判に敗れたイノが活動から手を引きソウルへ帰京してしまう。残された子供たちの生活は多少改善されるものの、状況は大きく変わらない。小説らしい、曖昧で余韻を残した終わり方だ。しかし元々関心のある人たちによって読まれ、じっくりと時間をかけて感情移入を促す小説とは違い、映画は2時間という枠の中でいかに観客の心を揺さぶることができるかが重要である。映画版は小説よりもはるかにシンプルで、憤り・悲しみの感情をダイレクトに刺激する作りになっている。

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 このような演出効果が一つの要因ではあろうが、なぜ小説ではなく、映画の公開によって一連の「トガニ事態」が起こったのか。先日、韓国の法曹関係者と会う機会があり、疑問をぶつけてみた。まず第一に、この作品が公開されたのは、ソウル市長選挙を一ヶ月後に控えて国民が政治・社会情勢に非常に敏感になっていた時期だ。その中で「幼い障害児への暴行」という最も残忍な事件が明るみになったことをきっかけに、他の虐待事件や性犯罪事件が次々と告発された。それが大統領や政治家の目にも留まり、ある種政治的なパフォーマンスの意図も含めて処分が行われたのでは?とのこと。また、過去30年の間に軍事政権から民主化を成し遂げ、大統領によって政治体制が大きく変化する韓国では、法改正自体が日本より頻繁に行われている。改正運動の主体となるのは市民団体やNPOだ。今回の事件もNPOや人権団体によって摘発がなされ、強い要請を受けたことで、法改正が容易に進んだのではないか、という話だった。

 金属を溶かす容器である「坩堝(るつぼ)」を意味する「トガニ」という言葉。霧の深い田舎町の障害者学校という閉鎖された空間で、炎に身を焼かれるような苦しみの中、ただじっと怒り・悲しみ・絶望に震えていた子供たち。そのような重々しいテーマの作品にもかかわらず、撮影中は常に笑いの絶えない、明るく楽しい現場だったという。目を背けたくなるようなストーリーや予告編の映像に身構えてしまう方もいるかも知れないが、巧妙なストーリー構成と演出で観客の心を掴み、社会現象を巻き起こした一大ヒット作品として、ぜひ劇場に足を運んでいただきたい。


『トガニ 幼き瞳の告発』
 原題 トガニ(るつぼ)/英題 Silenced/韓国公開 2011年
 監督 ファン・ドンヒョク 主演 コン・ユ、チョン・ユミ
 2012年8月4日(土)より、シネマライズ、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
 公式サイト http://dogani.jp/


Reviewer's Profile
 加藤知恵。東京外国語大学で朝鮮語を専攻。漢陽大学大学院演劇映画学科に留学。帰国後、シネマコリアのスタッフに。花開くコリア・アニメーションでは長編アニメーションの字幕翻訳を担当している。先日、久しぶりに韓国を旅行。美味しい料理と韓国人の情の深さにたっぷり癒されてまいりました。





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