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Review & Interview 『わたしたち』ユン・ガウン監督 ~大人になったはずの心を今も締め付けてくる作品

Text by mame
Photo by Kachi
2017/9/13掲載



 ジャンケンで自分のチームのメンバーを順番に選んでゆくのはリーダー格の子だろうか。ソン(チェ・スイン)はじっと待っている。彼女の決して言葉に出さない、「でも選ばれたい」という気持ちが滲み出た緊張した面持ちを、カメラはずっと追い続ける。やがてその表情が落胆に変わり、とぼとぼと寄る辺なく歩き出す姿を見つめるうちに、いつしか自分も心細い思いをしたあの頃を思い出して、鼻の奥がツンとしてくる。クラスでうまく人間関係が築けない彼女を救ってあげたい思いに駆られるが、方法は大人になった今でもわからない。「ああすれば良かったのかな?」「どうしてそんな事をしてくるんだろう?」 級友の行動に眉をひそめたり、憤慨したり、戸惑いを隠せない自分は、見た目はすっかり大人でも、あの頃と少しも変わってはいないのだと気づかされる。大人になったはずの心を、今も締め付けてくる作品が『わたしたち』だ。

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主役の二人、ジア(左)とソン(右)

 苦い思い出を残して1学期が終わった日、長い夏休みが始まる日に、ソンは転校生のジア(ソル・ヘイン)と出会う。閉鎖的な学校空間が全てである小学生にとって、そこから解放された状態で知り合った友だちというのは特別だ。いつもとは違う自分になれたような、特別な気分を味わう事が出来る。それはジアにとっても同じだったのだろう。ふたりは瞬く間に仲良くなる。毎日を一緒に過ごすにつれ、お互いの家庭環境の違いも理解するが、そんな事はふたりの障害にはならない。問題が起こるのは、いつだってあの閉鎖的な空間に戻ってからだ。夏休み中、あんなに仲の良かったふたりが、ぎこちなくなってしまった理由を、ソンもうすうす気づいている。ジアは、何も言わなくても気づいてほしいと思っている。でも不器用なソンは、直接ジアに問いかける。それだけ、失いたくない友だちなのだ。ジアにとってもソンが、そうであって欲しいと願った。夏休みにケンカしてしまっても、なんとなくきっかけをつかんで、仲直り出来たふたりなのだから。招待制の誕生日会、仲良しの間だけで回されるお揃いのマニキュア…。小学生の、特に女子の世界はいつだって、周りに見せつけるのが目的のごとく残酷だ。

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ソン(右)の弟ユン(左)はトリックスター的存在

 父親と祖父の不和、級友に殴られていつも傷だらけな弟、ユン(カン・ミンジュン)。ソンの視点を通して、「わたしたち」の周りには、「わたしたち」とは違う世界がある事を、ソンはなんとなく理解してゆく。どんなに殴られても懲りないユンが発したある言葉をきっかけに、ソンは「わたしたち」の世界を変えるために、ジアと向き合おうと決心する。彼女たちがこれからもずっと友だちでいられるかどうかなんて誰にもわからない。でも、もう一度仲良くなりたいという気持ちが、ソンの中にあるのは確かなのだから。「嫌なら良いんだけど…」とおずおずと相手の顔色を窺ういつものソンとは違う、確固とした思いが彼女の心を奮い立たせる。ソンの瞳の奥に燃える熱い輝きに気づいた時、圧倒されたのは、見つめられたジアだけではないはずだ。


ユン・ガウン監督インタビュー


── 劇中、ソンがホウセンカでジアの爪を染める場面と、リーダー格のボラ(イ・ソヨン)たちがお揃いのマニキュアを見せ合う場面が対照的でした。染めた爪は時間が経たないと落ちない反面、マニキュアはすぐに落とせるという特徴を活かした演出かと思いましたが、どんな意図がありましたか?

私は映画の中のものに何か象徴的な意味を込めるのは苦手なんです。ホウセンカについては自分が小さい時によくやった遊びで、最近の子はやらないのですが、ちょっと古臭い感じや、友だちを慰めるために手先の器用なソンが思いつく事として似合っていると思い、入れました。ホウセンカを決めてから、対比としてボラたちのマニキュアを考えたのですが、出来上がってみると、思ったよりもディテールとして効果的に働いていると感じました。完成後には、「ホウセンカ=本当の友情、マニキュア=その場限りの友情」という感想もあったりして、観る側が私が考えた以上に良い解釈をしてくれたようです。

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ユン・ガウン監督

── 長編作品は今回が初めてですが、これまでに影響を受けた作品、作るにあたって参考となった作品はありますか?

いつも「これは新しいな」と思った作品からは心を揺さぶられるほど衝撃を受け、影響を受けた作品も数え切れないくらいたくさんあります。撮影にあたっては、子供が出てくる作品をたくさん観たのですが、大人と子供が出る作品、または子供ひとりにフォーカスを当てた作品はあったものの、今回のように子供のみ集団で出てくるような作品は意外と少なく、これを参考にした、というものはありません。個人的に好きなのは、是枝裕和監督の作品や、ダルデンヌ兄弟の作品です。作品を作るにあたり、壁にぶつかった時は、彼らやケン・ローチ監督のインタビュー記事を読んで、俳優との接し方を学んだりしました。

── 企画に参加されたイ・チャンドン監督からは、どのような感想をもらいましたか?

イ・チャンドン監督とは、シナリオの段階でのみ一緒に作業をしたのですが、初期のシナリオは今とは全く違い、もっと大人の目線から子供を見たような、脚色の入った内容でした。2週間に一度ほど、シナリオを提出しては、具体的にどこが、というよりは全体の流れとして「なんだか嘘くさい、真実じゃないね」と言われて改良を重ね、6ヶ月程経った頃、「つまらないかもしれないけど、自分が子供の頃、実際に体験した話を題材にしよう」と今のシナリオを出したところ、OKが出ました。編集の段階でも何度か観ていただき、コメントを寄せて下さったのですが、完成後初めての試写の際に来て下さった時が一番緊張して、目も合わせられない程でした。監督はもともと弟子たちの事をめったに褒めないタイプなのですが、その時は「おつかれさま。君の映画だね」という感想をいただき、監督にとっては褒め言葉ではなかったかもしれませんが(笑)、まさにそれこそが自分の一番聞きたい言葉だったので、本当に嬉しかったです。映画が公開されてからも、「みんなが好きになるような映画になっていて嬉しい。映画館の中は静かだったけれど、おそらくこの先、熱い愛をもらえる作品になる」という感想をいただき、胸が熱くなりました。




『わたしたち』
 原題 우리들 英題 The World of Us 韓国公開 2016年
 監督 ユン・ガウン 出演 チェ・スイン、ソル・ヘイン、イ・ソヨン、カン・ミンジュン、チャン・ヘジン
 2017年9月23日(土・祝)より、YEBISU GARDEN CINEMA ほか全国順次ロードショー
 公式サイト http://www.watashitachi-movie.com/

Writer's Profile
 mame。「いじめがテーマ」と捉えられがちな本作だが、『わたしたち』には、劇中では語られない場面にも、「こうした考えがあっての行動だろうか」とそれぞれのキャラクターに思いを馳せてしまう瞬間がある。語り口は寡黙に見えるのに、いつまでも心に余韻を残すイ・チャンドン作品に通じる「余白の優しさ」を感じ、鑑賞後は懐かしい友だちとの日々を思い返していた。


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Review & Interview 『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』ユン・ジェホ監督 ~私たちの現在の選択によって、生み出される未来は変わる

Text by Kachi
2017/5/31掲載



 去る5月10日、韓国で第19代大統領に文在寅が就任した。前回の選挙で朴槿恵に肉薄した知名度は、短期決戦を乗り切るのに十分であり、また前政権を打倒した「ろうそく集会」に積極的に足を運び、その勢いを巧みに生かしての勝利だった。両親のルーツが北にある文大統領は、北に対して宥和的であると指摘されている。このところ連続している北朝鮮の活発な軍事活動に、少なくとも日本は大いに揺れているわけだが、にもかかわらず選挙戦での致命傷とならなかった。ずっと以前から、多くの南の人間は、北に関心を寄せていないのである。それとは正反対に、保守層を中心として北の脅威に危機感を覚える声も根強い。この選挙に限らず、韓国社会にとって北の「同胞」とは、打倒すべき敵か、さもなくば無関心かなのである。

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 我々にはおよびもつかないこうした深い隔たりに、一人の女性のことを思う。ドキュメンタリー『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』の主人公ベーである。マダム・ベーは、自身も脱北のさなかに中国の家庭に売られ、のちに脱北ブローカーの仕事をしながら、北朝鮮の家族を韓国に脱北させ、中国と韓国それぞれに別の家族を持つことになる。まるでスパイのコードネームを思わせる彼女の名前をタイトルに冠した本作は、撮影対象を質実さのみでとらえたドキュメンタリーである。

 この3月、来日したユン・ジェホ監督にインタビューを敢行した。脱北者をだまして多額の金を奪ったり、ベーもそうだったように、違法薬物の売買や売春の温床にもなるなど、脱北ブローカーの存在にはネガティブなイメージばかりがつきまとう。しかし監督は、2013年に初めてベーに会った時の印象を「ブローカーであると分からなかった」と語る。
「前作『北朝鮮人を探して』の際に知り合った脱北者たちのつてで、電話番号を手に入れました。ベーは、私がリサーチをするために脱北者を紹介したり、いろいろ教えてくれるガイドでした。もちろん、私も悪い仕事という先入観があったのですが、彼女に会った時は脱北ブローカーだと思わなくて、皮肉にも親しくなってからそのことを知ったのでした」
 ベーとの出会いによって自らの先入観が打ち砕かれた監督は、脱北者たちがベーをどのように思っていたかを尋ねることもなかったそうだ。
「ある価値を判断するのは、その人が育ってきた環境によって決められるものだと思うんですね。マダム・ベーに会って、私は自分の人生の中でいろんな変化を経験しました。自分が知らない相手に対し、社会が先入観や偏見・環境といったものによって定義を下してしまう恐れがあります。人と人とが会った時は、国家や身分を取り払って接するのが大事なんだと思います。“その人をどう思うか?”と聞くこと自体が、そうしたことと矛盾しているのではないでしょうか」
 人は多くの場合、身近ではない存在、理解しがたいものに対しては固定観念にとらわれがちである。知らないがゆえに忌避し、極度に恐れ、時に差別的言辞や行動へと容易につながってしまう。『マダム・ベー』には、シーンを説明する字幕もナレーションもない。観客に対して制約を加えたくないからである。

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 映画の中で、監督はベーの案内で過酷な経験を共にする。タイ、ラオス、ミャンマーの国境が交わるゴールデントライアングル地帯を抜けてバンコクへと入っていく。
「大人12名くらい。子供もいたので13人でしょうか。だいたいそのくらいの人数で出発します。たとえば1人とか2人では、お金にならないのでブローカーが動いてくれないのです」
 ベーは何とかタイを出国するが、韓国・仁川国際空港に到着した途端、空港で公安に拘束され、スパイ容疑をかけられてしまう。その後、ソウルのはつらつとした子どもの声で、不釣り合いなほど激しい言説の反共スピーチが流れるシークエンスがあり、韓国で新たに浄水器販売の職を得たベーの働きぶりが映し出される。
「タイに流れてきた脱北者たちを、韓国国家情報院の職員が、彼らの意向を聞いた上で、韓国への入国希望者は連れて帰ります。ただ、国家情報院にとっての関心事はたった一つ、脱北者がスパイかスパイじゃないかだけで、それを見分けることだけに集中しています。スパイ容疑で囚われ、判決が出て疑惑が晴れても、国家情報院の施設から出ても2年間は刑事の見張りがついての生活になります。仕事を求める人には、刑事たちが斡旋してくれます」
 現在、ベーはソウル近郊にバーを開業しているという。
「今のベーは、中国の家族も韓国に住む家族も選択していません。そこで稼いで、中国と韓国の家族に、それぞれ送金しているそうです」
 傍目には、ベーの生き方には苦いものがこみ上げてくる。だが、安住の地も安らぐ家族もなくさまよえる悲運の女性とみなしてしまうのは、やはり違う。ここに映っているのは、民族分断によって望まない人生を押し着せられながらも、いばらのような己の生をしぶとく歩もうとする、現代的女傑ともいえる姿である。

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 本作はベーを静かに、忠実に見つめようと努めている。それだけに、ベーの感情が特にほとばしるシーンが強い印象を残す。
「日本の方も韓国人もそうですが、脱北者もカラオケが好きで、彼女も歌うのが大好き。カラオケに頻繁に友人たちと行くことがありました。ある時、彼女についていって、歌うところを撮ってもいいかと尋ね、了解を得ました。いろんな曲を歌った中で、(映画で)使用した曲の詞が一番自分の心に染みたのです」
 監督は、脱北者よりも分断、そして分断という結果論的現象によって「自分のような分断以降に生まれた世代が経験する混乱」に興味を持っているという。
「分断というのは、国家の分断ということだけではなく、実はどの国にもあると思います。家族の別れもそうで、そこには様々な物語があります。“あるシステムによって分かれた”というところから、たとえば一つの分断がもう一つの別れを生み出すという、分断の連鎖が起きるわけです。そのような分断によって生み出された結果をどう表現するかが、私が映画で語るべきことです。私たちは、過去に生きることはできません。認識し、忘れずにいることはできますが、私たちが生きている現在を充実させて生きていくべきです。現在を生きる道には、未来をどうしていくかという選択の可能性がありますが、過去はやり直す機会がありません。ある状況によって生み出された結果を、今現在の私たちがどうするかによって、生み出される未来は変わるかもしれないのです」

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『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』
 原題 마담 B 英題 Mrs.B. A North Korean Woman 韓国劇場未公開作
 監督 ユン・ジェホ
 2017年6月10日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
 公式サイト http://www.mrsb-movie.com/


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Review & Interview 東京フィルメックス上映作『恋物語』イ・ヒョンジュ監督 ~マイノリティが歩む人生を見つめるような映画を作りたい

Text by Kachi
2017/1/10掲載



 東京フィルメックスで、『私たち』のティーチインの最中、流暢な韓国語でこう語った女性がいた。
「最近の韓国映画、特に商業映画では、メインとなっているのは成人男性で、女性や子どもは排除されているように感じていました。このような映画を作って下さってありがとうございます」
 確かに2016年の韓国を盛り上げた映画を見渡すと、ダブルヒロインが健闘した『お嬢さん』や、興行は不入りだったものの評論家から支持された『荊棘の秘密』を除けば、多くの作品は男性俳優が主役である。そんな中、第17回東京フィルメックスのコンペティション部門で上映されたイ・ヒョンジュ監督『恋物語』の主人公は二人の女性であった。

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『恋物語』の韓国版チラシ

 大学院でインスタレーションを学ぶユンジュ(イ・サンヒ)は、卒業制作の材料探しで訪れた古物回収商の店先で、ジス(リュ・ソニョン)に心を奪われる。その後二人は偶然再会し、ジスの手慣れたアプローチにユンジュがぎこちなく応え、関係が深まっていく。

 顔に降り注ぐ夕時の陽光に目を細めながら、ユンジュがジスを見初める冒頭のシークエンスだけでも、本作のデリケートな美しさを語るのに十分だ。大きな音を立てるようなドラマティックな始まりではないのに、静謐な空間にユンジュの胸の高鳴りが聞こえてくるようで、こちらまで息が上がる思いがする。

 ボーイッシュに見えて、実はとても臆病なユンジュを演じたのは、監督の前作『ごく普通の家族』(原題 バカンス/ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2015上映作)でも主演したイ・サンヒだ。繊細にうつろう彼女の表情からは、一瞬も目が離せない。積極的なジス役のリュ・ソニョンは、スクリーン越しに視線を送られてもときめいてしまうほど、はっとするような容姿だ。静と動が好一対となったキャスティングである。
「ユンジュ役のイ・サンヒさんは、私が通っていた学校の友人の短編映画に出演していて、作品の準備をしていた時に、こちらから声を掛けました。彼女の長所は、映画を画面として観ているうちに、いつしかそのことを忘れて、現実にそこにいるように感じさせる、映画的な顔立ちを持っていることです。短編『ごく普通の家族』はコメディであったため、そういう一面は入れられませんでしたが、今回は意識的に見せることができました。

 ジス役のリュ・ソニョンさんは、オーディションでイ・サンヒさんよりも先にキャスティングしていました。向かいあって座ると、人の心を掴むようなところがあって、実に魅力的な女性だと思いました。オーディションでも、思ったことを自信を持って話すなど、緊張もしていなかったです。そういうところがジスにあうと思いました。

 問題は、女性二人の作品なので、彼女たちの演技というより、ルックスの差でした。二人の友人のキャラクター造型にも関係するからです。でも、その後イ・サンヒさんが決まり、バランスが取れた形になりました」
 劇中のセリフによれば、ユンジュは32歳。筆者と同年齢だ。そろそろ自分がどういう人生を歩んでいくか決めなければならない年齢で、青臭く誰かに恋い焦がれてばかりいられない。だが、卒業制作に手がつかないほど、ユンジュはジスとの恋にのめり込んでしまう。
「劇中の配役と、二人の女優の実年齢は同じで、撮影当時のイ・サンヒさんが32歳、リュ・ソニョンさんが27歳です。ユンジュの方が年上であるのがいいと最初から思っていました。年上の方が経験豊富というのが普通ですが、この映画ではユンジュの方が色んなことに目覚めるのが遅かったという風にしたかったのです。『私はもう恋愛なんて関係ないんだ』『セックスなんてつまらないものなんだ』と決めていた矢先に恋が訪れる、という風にできたらいいと考えていました。ジスは年下ですが、相手をリードしていき、色んな冒険をするタイプ。でも、だからこそ傷ついたこともあるでしょう」
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イ・ヒョンジュ監督

 恋愛とはお互いの感情のバランスだが、ユンジュが自身の感情を抱えきれなくなるにつれ、ジスとの関係も次第に危うくなり、上手く気持ちが伝わらないもどかしさに苦しむ。また、ユンジュは友人に、ジスとの関係を打ち明ける。男友達は悪意のない驚きとともに受け入れるが、のちに意図せずユンジュを傷つけてしまう。一方で、「きわどい冗談も言いあえる気楽な仲だと思っていたユンジュが同性愛者だと知って、裏切られた気持ちになった」(イ・ヒョンジュ監督のティーチインより)ルームメイトの女性からは、手ひどく冷遇される。『恋物語』は、「自分の感情とつきあう難しさ」が主題でもある。
「同性愛という視点だけにこだわらず描写したいと思いました。ある人がある人と出会う状況は、どういうものなのかと考えた時、至極一般的なコンビニという場所にしました。もちろん、レズビアン・コミュニティとしてのバーなどで出会うことも頭にありましたが、普通の男女であれば、こういうところで出会うこともあるでしょうから。この二人だけが特別なんだ、と捉えられるのは避けたかったのです。自分の性的アイデンティティについて、身構えてカミングアウトしたわけではなく『まだはっきりしないけれど、自分のことがようやく分かった。女性が好きだというのが今の気持ちだ。あなたが親しいから話すんだ』という風に描きました。子供が美味しいものを食べて『ああ美味しい!』と言うみたいに。

 ただ、社会的には(同性愛のカミングアウトを受け入れるのは)難しいとされていますし、リアリティに基づくことが重要でしたので、(自然さを意識しつつも)あのようなシーンになりました。別のインタビューで、女優二人に対し『同性愛者を演じるのは難しくなかったか?』という質問があったのですが、『同性愛者を演じることが難しいのではない。それより、男性に置き換えるとかそういうことではなく、相手を好きだという表現をすることが大変だった』と答えていました」
 以前、アジアンクィア映画祭の共同代表である入美穂さんから、レズビアン映画の現状について「ポルノ・ムービーのイメージがつきやすく、商業映画のルートに乗りづらい」という懸念を伺ったことがある。ポルノグラフィーやコメディは、表現手段として重要だが、時に安易な方面に回収されてしまう。本作のベッドシーンは肌の露出こそ少ないが、服の擦れる音や、ユンジュに触れて生々しく崩れるジスの唇まで捉え、二人の性欲をむき出しに表現している。しかし、刺激的なワンシーンとして終わる危うさがないのは、セックスに至った内面が掘り下げられているからだ。カメラは二人の情事を抑制的に映していて、盛り上げるような音楽もない。
「とにかく自然にしたかったのです。二人にも気楽な気持ちで演じて欲しかったですし、誇張したくありませんでした。演技で見せているのではない自然な二人の形に私たちが付いていく、という感じですね。ベッドシーンは、後半にセットへ移動した際、まとめて撮りました。セットに移った初日の夜に最初のベッドシーン、2日目に昼のを撮りました。決まった絵コンテがあったわけではなく、まず二人に動線だけ説明し、一通り動いてもらい、手持ちカメラで方向などを変えつつ、3回か4回撮影しました。その後、足りないところを部分的に取り直しました。二つのシーンに分けたのは、酔った勢いでセックスをしたように見られたくなかったからです。一度そういう関係になりかけて、止めた。そして二人に考える時間を与えて、昼に恋が芽生えるということでスタートさせたいと思いました」
 映画でレズビアンについて伝えていくことは難しいはずだ。クィア映画であるのもさることながら、女性の権利が弱い韓国では、レズビアンはゲイ以上に生きづらく、より歓迎されない現実があるからだ。女性監督として映画を撮り続けるハードルも、男性以上に越えがたいものがある。何より映画にかかわること自体、今は困難な時代である。イ・ヒョンジュ監督の映画づくりへの情熱を支えているのは何か。
「もし学校(韓国映画アカデミー)の金銭的支援がなく、他から援助を受けて稼ぐ映画にしなければならなかったら、『恋物語』のように、キャスティングも撮影方法も自由な作品を作れなかったでしょう。韓国では女性の映画監督も少ないですし、作品を一本撮って、次回作に意欲があっても、なかなか選ばれずに待っている時間が、男性監督よりも長いと思うんです。大変残念で、私も『次はもう撮れないんじゃないか』と不安になる時があります。

 レズビアンについては、私たちも敏感に気づけるわけではなく、存在はしているのになかなか見えないから、知らないから差別してしまうのではないかと思います。当事者も、表に出てしまうと自分の人生が壊れてしまうのではないかと、行き過ぎた考えを持ってしまうのではないでしょうか。同性愛者だけでなく、マイナーな人々というのは韓国にたくさんいて、みんな同じように思っている気がします。そしてマイナーな人というのは、コメディのモチーフとして消費されがちです。そうではなく、マイナーな人たちがそれぞれ歩んでいる人生を見つめるような映画を、私は作っていきたいです」
 ユンジュを傷つける友人たちは、攻撃的なホモフォビアというわけではなく、無自覚なままに少数者の声を封じ込める多数派の人々だ。そうした無知ゆえの偏見や表面化しにくい差別、そして己の正しさを喧伝したいがためだけの多数派批判が、最近の社会には、よりはびこっていように、筆者は感じている。イ・ヒョンジュ監督がマジョリティの鈍感さに自らの「正義」を振りかざすこともせず、無知や無自覚に対して意識的だからこそ、『恋物語』は信じられる映画なのだ。

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イ・ヒョンジュ監督

 今回、東京フィルメックスのコンペ部門では2本の韓国映画が上映されたが、偶然にもこの2作品の英題は、『私たち』は『The World of Us』、『恋物語』は『Our Love Story』で、「私たち」という代名詞が共通して含まれている。この一人称が、パーソナルであり外へ開かれているように、たった一人の「私」と、この世界にいるたくさんの「私たち」が、これらの映画の中には見つけられる。もしイ・ヒョンジュ監督が手近な演出を選んでいたら、『恋物語』はきっと誰かの絵空事のラブ・ストーリーであっただろう。『私たち』が「子供とはこういうもの」という大人側のステレオタイプに陥っていたなら、子供たちは、観客の目にああまで魅力的に写っただろうか。嘘つきで強情で、大切な友達に「ごめんね」すら言えなかったあの日の「私たち」も、大人になっても愛の伝え方が下手な「私たち」も、確かにスクリーンの中にいたのだ。


第17回東京フィルメックス
 期間:2016年11月19日(土)~11月27日(日)
 会場:有楽町朝日ホールほか
 公式サイト http://filmex.net/

『恋物語』
 原題 연애담(恋愛談) 英題 Our Love Story 韓国公開 2016年
 監督 イ・ヒョンジュ 出演 イ・サンヒ、リュ・ソニョン
 公式サイト http://ourlovestory.modoo.at/
 第17回東京フィルメックス<東京フィルメックス・コンペティション>招待作
 日本劇場未公開


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Review & Interview 日本映画『つむぐもの』キム・コッビさん ~映画初主演・石倉三郎との異色の組み合わせで魅せる心の交流

Text by mame
2016/2/9掲載



 頑固な和紙職人と、気の強い韓国人。容易には相容れないふたりが心を通わせていく様を描いた映画『つむぐもの』が、3月4日より開催される第11回大阪アジアン映画祭コンペティション部門で世界初上映された後、3月19日より全国の映画館で順次公開される。脳腫瘍により半身マヒになった和紙職人、剛生役に石倉三郎、和紙づくりの手伝いのつもりが、思いがけず剛生を介護するヘルパーとして派遣されたヨナ役にキム・コッビと聞き、実力派の共演に期待が高まった。

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 キム・コッビといえば、どこか影のある神秘的な役が多いイメージだが、今回は将来を模索する若者を等身大で演じ、新境地を見せている。石倉三郎演じる剛生とは初対面から衝突しあうが、いつしか悪友のように「タケオ!」「おい、韓国人!」と呼びあい、不思議な化学反応を見せてゆく。ヨナは腹が立つと韓国語でニッコリと暴言を吐き、剛生はヨナの作る料理にぶつくさ文句を言いながらも、お互いに無理をしない、絶妙な距離感を保っている。冒頭の扶余(プヨ)の博物館では仕事中に悪態をついていたヨナだが、剛生の工房を開放して観光客にデモンストレーションを見せるシーンでは心から楽しそうで、見ているこちらも顔が綻んでしまう。
「周囲が扱いに困るほど気性の荒いふたりですが、似た者同士だからこそ、一緒に居て楽だったのではないでしょうか」
と、1月27日に東京で開かれた完成披露試写会にあわせて来日したキム・コッビさんは、インタビューでにこやかに語ってくれた。

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完成披露試写会での舞台挨拶の模様

 映画では介護の現実も描かれる。剛生が訪問介護を受ける介護施設で「福祉とは『ふだんのくらしのしあわせ』の頭文字なんですよ」と、誇らしげにヨナに語る介護福祉士の涼香(吉岡里帆)だが、一見乱暴にも見えるヨナの入居者への接し方に触れ、自分の理想としてきた介護のあり方に思い悩む。理想と現実が入り交じる介護の世界では、一概にどの方法が正しいとは言い切れない。だが、入居者を危険から遠ざけようと思うあまり、時にはその行動を制限してしまうヘルパーが多い中で、入居者の表情から、今何が求められているかを読み取ろうとするヨナの向きあい方には、ハッとさせられる。
「いつでも過剰なほど親切にされると、入居者は『もしかしたら本心じゃないのかも』と不安になってしまうのではないでしょうか。それに対してヨナは、入居者を感情のある人間として扱い、向きあっています」
 ヨナは彼女なりに剛生を支えようと奮闘するが、韓国人という事で、剛生の息子から偏見の目を向けられる。かつては剛生も偏見のかたまりだったが、ヨナとの共同生活を経て気持ちが変化してゆき、最終的に剛生の事をいちばん理解しているのは、ヨナに他ならなかったのだと気づかされる。

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 キム・コッビさんにとって日本映画への出演はこれが初めてではないので、
「いちばん最初に日本の作品に出る時には、何か先入観があったかもしれないですが、今となってはそれも思い出せません」
と語る。
「日本と韓国、両方の映画制作を経験してみて思うのは、日本の方がやや保守的かも。あと、日本人は秩序を大切にする。規則を変えようとする時に、上の人へ意見するのを少しためらったりとか。それから、これは最近韓国人にも当てはまる気がしますが、必要以上に自分を卑下する傾向があるかも。『ありがとう』と素直に言えば良いところを、『すみません、申し訳ありません』と謝ったりとか」
 鋭い指摘に思わずうなずいてしまう。調和を重んじるばかりに意見を言えなくなってしまったり、自信過剰に思われたくないと、自分を卑下してしまう事は、誰しも思い当たるのではないだろうか。

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舞台挨拶での石倉三郎さんとコッビさん

 周りの人間に感情をぶつけながら成長してゆくヨナは、今までコッビさんが演じてきた中で、最も親しみやすいキャラクターかもしれない。
「私はヨナほど怒りっぽくありませんが(笑)。私の中にある、ヨナに似た部分を引き出して表現するよう心がけました。いつも演じる時に考えるのは、様々な顔を持っているのが人間で、それは置かれた境遇や、人間関係によって変化するものだと思うんです。ここで喋っている私と、違う人と一緒にいる時の私とでは、全く違う人間のように思われるかもしれませんし。置かれた状況次第で、人間の性格は変わるものなのではないでしょうか」
 時に近寄りがたいほどのカリスマ性を漂わせたり、ふと見せる笑顔が愛らしかったり、どんなシーンでも違和感なく演じられるキム・コッビの演技の秘密は、こうした柔軟な考え方に基づいているのかと、感じられた瞬間だった。

 剛生との共同生活を経たヨナが、今後どう変わってゆくのか。それは微妙に移ろう彼女の表情から予感する事ができる。言葉で説明するのではなく、表情で見せる。随所に抑えた演出が光る作品だった。

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『つむぐもの』
 日本映画 日本公開 2016年
 監督 犬童一利 出演 石倉三郎、キム・コッビ、吉岡里帆、森永悠希、宇野祥平、内田慈、日野陽仁
 2016年3月19日(土)より、有楽町スバル座ほか全国順次ロードショー
 公式サイト http://www.tsumugumono.com/

Writer's Note
 mame。犬童監督(犬童一心監督とは特に血縁関係は無いそうです)がこだわりを見せた、相手と自分の親指を合わせる「指キッス」。見覚えがあるので、韓国では一般的なのかな?とコッビさんに聞いてみると、そうでもないようです。「でも、指切り→ハンコ(親指を合わせる)→サイン→コピー(手のひらを合わせる)はありますね」と聞き、「あ!これだったか!」と納得しました。


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Review & Interview 『チスル』オミョル監督 ~済州島の大地に眠る人々に捧ぐ、モノクロームの鎮魂歌

Text by mame
2014/3/10掲載



 煙にまみれた民家から、物憂げに空を見上げる兵士。室内には祭事に使われたと思しい錫の食器が床に散らばるが、住民の姿はない。隣の部屋に続く扉を開けると、別の兵士が刀を研ぐ不穏な音が響き、背後には全裸の女性が棚に詰め込まれるようにして息絶えている。兵士はそれを見て特に驚く様子もなく、研がれた刀を借り、供え物の梨を割って食べ始める…。

 『チスル』はこんな狂気に満ちた描写から始まる。もはや死に対する感覚が完全に麻痺してしまった兵士と、逃げる意味もわからず放浪を続ける島民のお互いをいたわる優しさ。その温度差に背筋も凍るような恐怖を感じた。

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 済州島で1948年に起こった4・3事件を発端にした大量虐殺が題材と聞くと、あまりに重く、観るのをためらう方もいるだろう。だが、モノクロで描かれる映像の美しさに圧倒され、鑑賞後は不思議な余韻が残る。豊かな色彩を奪われた済州島は、まるで島全体が慟哭しているかのような異様な風景に様変わりし、木々が風に揺られるのを見るだけでも、身をちぎられるような痛みを感じるのだ。いつしか私は島の気持ちに呼応するかのように、島民たちの無事を案じ、目が離せなくなっていた。『チスル』は、済州島の人々を慈しむ鎮魂歌の役割を果たしていると確信した。

 『チスル』は4つの章で構成されている。神位・神墓・飲福・焼紙。韓国の祭事にまつわるそれぞれの言葉の意味を把握できなくとも、神秘性が高められ、荒涼とした風景に緊張感が張りつめる。戦争映画というよりもホラー映画を観ているような、得体の知れない恐怖感に包まれるのは、神々の視点を感じさせるからだろうか。

 「4・3事件の事は、韓国でも知っている人が少なくなりつつあった。『チスル』を企画した当時は李明博政権下にあり、事件が“済州島民による暴動”と片付けられ、亡くなった方の遺骨発掘作業への予算も削られる等、事実に逆行するような風潮があった。事件が忘れ去られる事への危機感が、この映画を作る原動力になったと思う。だが、事件をテーマにする事で、怒りがこみ上げてくるのではなく、今も済州島の土に眠る方々への弔いの気持ちが湧いてくる作品にしたかった」

 済州島出身のオミョル(五滅)監督は済州大学で東洋画を専攻。普段は劇作家として活躍しており、『チスル』が4本目の長編映画となる。インタビューに同席したコ・ヒョッチン(高赫辰)プロデューサーは西洋画を専攻していたと聞き、だからだろうか、映像の随所に水墨画を思わせるような、山の風景が俯瞰で現れたり、洞窟で密やかにチスル(じゃがいも)を分けあう姿には、レンブラントの絵画のような抑制された美しさが発揮されている。

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共同取材時の監督。記者陣からは「井筒和幸監督似」という声も

 あまりに惨たらしい事件を扱っているにも関らず、登場する島民はどこか呑気で、洞窟での会話にも「明日には出られるだろう」といった和やかな空気が漂う。

 「実際にはもっと緊迫していたかもしれないが、映画の中では、彼らに幸せな時間を与えたかった。それこそが事件の前は島の日常風景だったはずだから」

 題名になっている『チスル』の通り、食事シーンが印象的だ。兵士達のそれは、梨や白飯、豚を丸まま茹でるなど、食材は豊かだが、食べる姿は欲望を満たす行為の一環にしか思えない。対して島民達の食糧はチスル(じゃがいも)のみだが、皆で分けやすいようにと大量に持ち運ばれ、お互いをいたわりあいながら、明日を生き延びるための糧として、ひとつずつ大切に頬張られる。無意味な虐殺行為に疑問を抱き、葛藤を繰り返すパク一等兵が空腹で食べたいと願ったのも、贅沢の象徴である白飯ではなく、土にまみれたチスルだった。

 地實(チシル/지실)。漢字で「大地の実」と書かれ、済州島の方言で「チスル/지슬」と呼ばれるこのじゃがいもが、島民たちにとってはまさに生命に直結したかけがえのないものである事を感じさせる。

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 製作期間にも予算にも制限があり、借金からスタートした自主映画だったが、サンダンス映画祭をはじめとする世界各国の映画祭で賞を獲り、なんとか製作費を取り戻せたという。結果的には『息もできない』の持つインディペンデント映画の動員記録を塗り替え、今では事件のあった4月3日を国家的な記念日にしようとする動きも生まれていると聞き、改めて韓国においてこの映画の持つ影響の大きさに驚かされる。

 「済州島を題材にした映画はこれからも作り続けていきたい。済州島は私を育ててくれたもうひとりの母のようなもの。その歴史を振り返る事は、自分そのものを見つめる事で、自分にしかできない事と思っているから」

 米軍及び韓国軍主導による「暴徒鎮圧」の名の下に行われた大量虐殺で、犠牲となった島民は3万人以上。今でも済州空港の滑走路の下には多くの犠牲者の遺骨が埋まっているという。アジア有数のリゾート地として脚光を浴びる今の姿からは想像もつかない、もうひとつの済州島の姿だ。だが、島に伝わる民話をベースに描かれる崇高な表現は、全ての悲しみを包み込んだ大地を持ってこそ、今の済州島の美しさがある事を私達に知らしめてくれる。


※ 監督の本名はオ・ギョンホン(오경헌)。演劇は本名で、映画ではペンネームの「오멸」で活動していますが、このペンネーム、漢字で書くと「五滅」とのこと。本記事でのカタカナ表記は、姓名を分けず「オミョル」としました。


『チスル』
 原題 지슬 - 끝나지 않은 세월2 英題 Jiseul 韓国公開 2013年
 監督 オミョル 出演 ヤン・ジョンウォン、イ・ギョンジュン、ソン・ミンチョル
 2014年3月29日(土)より、渋谷ユーロスペースほか全国順次ロードショー
 公式サイト http://www.u-picc.com/Jiseul/

Writer's Note
 mame。『チスル』に興味を持ったのは、題材よりも、そのスチールの美しさに魅力を感じたから。美大出身という監督のプロフィールを見て納得。抑揚の効いた美しい表現は、映画ファンのみならず美術ファンを含む幅広い層に受け入れられそうです。


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