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Interview 『春の夢』チャン・リュル監督 ~自分の考えるリズムに合わせて作り、判断は観客に委ねる

Text by 井上康子
2017/10/21掲載



 チャン・リュル監督は2007年に『風と砂の女』で初めてアジアフォーカス・福岡国際映画祭(以下、アジアフォーカス)に参加。その後もアジアフォーカスでは2009年に『イリ』、2010年に『豆満江(とまんこう)』、2014年に『慶州』が上映され、今回の『春の夢』は5作品目の上映になる。映画祭が10年を越えて特定の監督作品を上映し続けるというのは稀有なことだが、それは独自の作品を作り続けることができているからこそだ。アジアフォーカス11年目を迎えた監督に『春の夢』を中心に語ってもらった。

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── シンポジウム「パク・ジョンボムとユン・ジョンビンが語るチャン・リュルの世界」で、『春の夢』の舞台になった水色洞(スセクドン)について「自分の住む街と異なり、人の感情が見える」と発言され、監督が水色洞に惹かれたのだと思いました。水色洞が作品制作のきっかけになったのでしょうか?

私が住んでいる地域は放送局があるビルの森のようなところで、私が住んでいるマンション以外に住宅はありません。私は人が住む街の中で育ったので、昔ながらの市場もある水色洞に行くと気持ちが落ち着きます。頻繁に訪れる慣れた空間です。その風景を自然に撮るようになりました。だから意識してここを撮ろうと思ったというより、自分の慣れ親しんだ場所をただ撮ったという感じです。私が住む街から水色洞までは15分位の距離で近くて撮影に便利だったということもあり、最終的に水色洞を舞台にした映画になりました。私の住まいから水色洞へは地下通路を渡って行くのですが、私の街と水色洞は別世界のように違います。風景や雰囲気ががらりと変わるのです。そのことで水色洞は非現実的な夢のような空間に感じました。それでその空間を撮ったら自分の感じた夢の感覚が映画に投影されたのだと思います。

── 作品中、ジョンビンが「羊肉を食べに行こう」と言っていました。中国に住む朝鮮族は羊肉を食べる習慣があり、監督は朝鮮族なので、水色洞は朝鮮族が多い地域なのかもしれないと思いましたが?

ジョンビンが「羊肉を食べに行こう」と言っていた所は朝鮮族が多い地域で、そこは水色洞ではありませんでした。水色洞は朝鮮族が多い地域ではありません。

── 監督のように中国からソウルに来た朝鮮族のイェリが営む居酒屋は「故郷」という名前で、彼女はアン・スギルの「北間島」(北間島は現在の中国吉林省延辺朝鮮族自治州にあたる)を愛読していました。これは監督自身が故郷を懐かしむ気持ちが強くなったことが投影されているのかもしれないと思いましたがいかがですか?

故郷を懐かしむのは誰もが持っている感情です。自分が特に懐かしく思っているということはありません。イェリという人物から出発して、彼女のような朝鮮族で延吉(延辺の中心都市)出身の人ならと本も選びました。「故郷」という居酒屋は実際に水色洞にあった居酒屋で、閉まっていてどういう店かわかりませんでしたが懐かしさからこういう名前にしたのかと思い、名前を借りました。

── キャスティングについて、シンポジウムで、監督でも俳優でもあり、本作に主演した「ヤン・イクチュン、パク・ジョンボム、ユン・ジョンビンは水色洞の質感に合うのでキャスティングした」とお話でしたが、質感の内容はお金がないとかソウル社会の主流にいないということになるのでしょうか?

彼らの顔を見ると街に相応しい雰囲気を持っていますし、彼らが撮った作品の3人のキャラクターは非主流の人を描いています。ユン監督は江南に住んでいるけれど江南の人だという気がしません。もう少し庶民的な地域に移るんじゃないかという気がします(笑)。

── 『春の夢』というタイトルが上映開始して30分位経って出てきたので驚きました。誰もいなくなったタイミングだったのもあって、それまでのことが夢だったような不思議な感覚に捉われました。最初にタイトルを出さなかったのはなぜですか?

映画全体のリズムを考えた結果です。あそこが合います。

── 寝たきりのはずのイェリのお父さんの声が聞こえてきたり、居酒屋に銃を持って来た男の銃が偽物だったり、夢か本当かという仕掛けを意図的にいろいろ作ったのでしょうか?

自分が考えるリズムに合わせたらこういうふうになりました。見る人によっていろいろ違うでしょうが判断は観客にしてほしいです。いつも上映後に観客と話すと監督よりも明確に分かっているなあと思います(笑)。

── 監督は2007年に『風と砂の女』上映でおいでになった時は中国語で話をされました。その後は韓国語で話をされるようになりましたが、脚本を韓国語で書くのは負担のある作業ではありませんか?

書く時は中国語で書いています。会話は韓国語でできるので口述筆記で脚本を作っています。

── シンポジウムで「ヤン・イクチュン、パク・ジョンボム、ユン・ジョンビンという実名を役名にしたのは名前があまり洗練されてなくて水色洞の住人に相応しかった」とお話しでしたが、韓国語の名前について洗練されていないというようなイメージを持つことができるのは監督の言語能力が既に高いからでしょう。

今はだいたいそういう感じがつかめる様になりました。

── 中心的な人物ではない登場人物の中にボーイッシュな女の子がいると思っていたら、彼女はトランスジェンダーでイェリのことを愛しているのが分かりました。どうして彼女を登場させたのでしょうか?

そういう人は現実世界でどこにでもいます。また、イェリが男性からだけでなく、女性からも愛されるというのを自然に表現するための人物だったという気がします。


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 アジアフォーカスで上映された『風と砂の女』『イリ』『豆満江(とまんこう)』は自身がマイノリティである朝鮮族であることを自覚して作られた初期代表作『キムチを売る女』同様に苛烈を極めるマイノリティの境遇を描いていたが、3年前の『慶州』は作風がガラリと変わり、穏やかに生と死を見つめる作品だった。本作では喜びと悲しみだけでなく、もはや生と死も融合し、監督はそれらを俯瞰して眺めているように思える。彼の興味と体の中に蓄えられたリズムは今後も変化していくに違いない。チャン・リュルはこれからどこに行くのだろう。


アジアフォーカス・福岡国際映画祭2017
 期間:2017年9月15日(金)~9月24日(日)
 会場:キャナルシティ博多ほか
 公式サイト http://www.focus-on-asia.com/

Writer's Note
 井上康子。中国に住む朝鮮族の存在を意識するようになったのは朝鮮族であるチャン・リュル監督の存在や監督作品を知ってからだ。朝鮮族自治州・延吉にはなかなか行くことができず、ソウルの朝鮮族街・加里峰洞に立ち寄ってみた。目に飛び込む看板の文字はハングルでなく漢字、食堂からは羊肉の香りが漂い、朝鮮族が独自の文化を持つことを体感した。


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Interview ハートアンドハーツ・コリアン・フィルムウィーク 『あの人に逢えるまで』カン・ジェギュ監督 ~分断という辛さだけでなく、情緒的なものも見ていただけたら

Text by Kachi
2017/7/23掲載



 カン・ジェギュ監督の短編映画『あの人に逢えるまで』で、主人公の女性がたたずむ背景が、ゆっくりと「あの日」に帰って行く。時間は不可逆だが、人の心の時間はそうではない。それを教えてくれる唯一にして無二の芸術が映画なのである。そしてだからこそ、現実の時間は戻せないという事実を、より強く私たちに感じさせ、胸をしめつける。誰かを待つという時間が、人間の人生の中で最も悲しく純粋であることが、28分間の中に凝縮された、名匠の名にふさわしい短編映画である。

 作品の核心部分に触れている箇所があります。

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カン・ジェギュ監督


── 冒頭に引用されているのは、ヨニがバスの中で読んでいる詩ですよね。あれがどういう詩なのか、また、どうして引用されようと思ったのかお教え下さい。

「ギーターンジャリ」という題名で、インドのタゴール氏(ラビンドラナート・タゴール)の詩です。私は常日頃、詩を沢山読む方ではありません。でもタゴールの詩は個人的に好きです。この詩は、待つ人の心の切実感を凝縮している詩だと私は思います。それでその詩を使いました。

── ムン・チェウォンさんとコ・スさんをキャスティングされた経緯についてお聞かせ下さい。

二人とも韓国では有名な俳優たちなので、「短編映画で彼らのような俳優を使う必要があるのだろうか?」とも考えました。撮影期間が5日間で、準備をする時間も限られていました。私が考えているヨニ、またはミヌという人物を、適切に表現してくれる人たち、特にヨニのような人を演じるには、20代と70代の演技のバランスがとても重要なのです。若い時のほんわかとしたロマンス。そして、一人の男性を生涯待ち続ける純粋な女性の表現。それを、ムン・チェウォンという女優が常に持っている人だなと思うようになりました。先にキャスティングしたムン・チェウォンさんに一番合うのは誰かな?と思って、コ・スという俳優をひとつのフレームの中に入れた時に、1950年代という時代感、「本当に愛し合っている者同士に見えるかどうか?」という条件を総合して見た時に、コ・スが一番合っているのではないかと思いました。


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── 監督からはどのような演技指導をされたのでしょうか?

まず観客は20代のムン・チェウォン(ヨニ役)を見るのですが、ヨニは実際には70代後半です。若い女性がなぜ70代の演技をするのか? それは後から分かることなのですが、20代の役でも70代後半の演技をしていることを悟られないようにするために、お二人にそれを共有し、演技をしてくださいとお願いしました。

── 監督が撮影しながらこだわったシーンはありますか?

20代のヨニが70代後半のおばあさんだったということが、鏡に映ることで分かるシーンがあります。それをどう観客に伝えたらよいのか、かなり神経を使いました。また、どのような状況でそれを見せるのが一番いい方法なのか、特に顔が変わるということをどういう方法で見せればいいのかという点に悩みました。

── 制作過程についてお聞きします。元から女性が主人公のお話だったのですか?

そうですね。『ブラザーフッド』を撮った時に、ドキュメンタリーを見ました。戦争に行った夫を待つおばあさんのお話でした。『ブラザーフッド』では少し変えて、兄弟で待つ、というふうにしましたが、元々は、生涯ずっと戦争でいなくなってしまったおじいさんを待ち続けたおばあさんの話を描きたいと思っていました。その話をこの短編に持って来ました。

── 3人の俳優が実に役にマッチしていました。特にこの映画のクライマックスシーンは、どのように演出されたのでしょうか。特にソン・スクさんは大変なベテラン女優なので、どういった演技をお願いしましたか?

この映画で、とても大事な大切なシーンです。若いヨニにも二つあります。観客に見える若いヨニは、ミヌと別れた時のその時点でのヨニです。ヨニはその後60年間という時間が、そのままの形で止まっています。20才の時は、若い時に愛する男性と別れてそれきり時間が止まってしまい、70代の後半になった今もその時のままなのです。私は二つの顔、別れる時のまま止まってしまったヨニ、そして80を目の前にした今のヨニを描きたかったのです。初めに、「やりたいように好きに演技をしてごらんなさいよ」と言うと、必ず共通性、または相違性が出て来ます。この二つの演技、そしてこの感情を見る時の想い、これは私にとってはとても揺れ動くそういう感情でした。また二つの顔、そして感情を1シーンで同時に見られるということ、それが良かったし、これを見たかったんです。ソン・スクさんに「特にこうして欲しい、ああして欲しい」という話はしませんでした。ただこのシーンは、「二人の演技を私は編集して使いますよ」ということはお伝えしました。二人は一人のヨニだからです。若いヨニが演技する時、ソン・スクさんが見ていて、年老いたヨニを演じる時は、若いムン・チェウォンさんが見ていました。


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── 監督は、南北問題といった社会的なテーマを映画にすることが多いと思います。現在、ちょうど北に融和的と言われている新政権が誕生しました。こうしたことで、監督が映画でテーマにされてきたような「韓国社会の痛み」は、今後変化があると思われますか?

南北問題がどのように進展するかによって、監督として映画を撮る状況が変わってくると思います。ここ10年程はかなり緊張していて、南北間で話し合いというのも持たれない時期が続きました。実はこの『あの人に逢えるまで』と似た内容のシナリオで長編を考えています。それは北朝鮮での撮影が不可欠になってくる作品です。今までの政権では北で撮影するなんて、口にすることもできませんでした。ですが現在の政権では、対話、またはそれに対する努力をしているので、とても肯定的に、そして平和的に進む…。そうすると撮影も北でできる、そういう可能性も出てくるのではないでしょうか。

── 楽しみに待っていたいと思います。最後に日本の観客にメッセージをいただけますか?

(この映画には)時代と歴史と個人という三つの軸があります。歴史によって、国家の利益のために個人の生きざまが変わってきます。そういう中での個人と歴史の関係性を、見てもらえると良いかと思います。また、愛というものの価値観、一人の男性と一人の女性が、お互い生涯を通して愛し続ける。これはそういう愛のお話です。また、この愛のお話を代弁するのが「待つ」という行為です。分断という辛さだけではない情緒的なものも、一緒に見ていただけたら嬉しいです。


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『あの人に逢えるまで』
 原題 민우씨 오는 날 英題 Awaiting 韓国公開 2014年
 監督 カン・ジェギュ 出演 ムン・チェウォン、コ・ス、ソン・スク
 2017年7月22日(土)より、特集上映「ハートアンドハーツ・コリアン・フィルムウィーク」の1本としてシネマート新宿ほか全国順次ロードショー
 公式サイト http://www.koreanfilmweek.com/


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Interview 『きらめく拍手の音』イ=キル・ボラ監督 ~両親の聞こえないという部分を自分なりに読み解きたいのです

Text by Kachi
2017/5/28掲載



 耳の聞こえない両親への視線が優しく、何より主役の二人が実に魅力的だ。しかし、この作品は、家族の美談ばかりが映し取られているわけでも、そうした撮影対象の良さだけを頼みにしたドキュメンタリーでもない。ある少女が葛藤の中で成長し、カメラを手に表現者となる過程を、誠実に紡いだ記録でもあるのだ。両親の代わりに早くから大人の世界に直面せざるを得なかったコーダ(CODA, Children of Deaf Adults:ろうの親を持つ健聴の子)として、時に反発し、寄り添い、そして互いの世界を分かちあっていく姿に、最後は心を掴まれた。


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イ=キル・ボラ監督


── 監督の「イ=キル・ボラ」というお名前ですが、お父様(イ・サングク)とお母様(キル・ギョンヒ)の姓をそれぞれ取られたんですよね?

この映画の作業を通して、母と父、それぞれに関する話をたくさん聞きました。母と父の出会いがあって私がいることを改めて感じたので、両親の二つの名字を自然に使いました。また、韓国だと「イ・ボラ」は平凡な名前ですが、「イ=キル・ボラ」なら、韓国語で「この道を見ろ」になります。そういう意味ならいいなと、この名前で活動を続けています。

── 監督が「自分の両親は、他の人の父や母とは違うところがあるのかもしれない」と感じたのは何歳くらいですか? 何かきっかけがあったのでしょうか?

自然と知っていきました。たとえば、幼稚園での保護者対談に私も同席しなければいけないとか、そういう時に「私の両親は他の家とは違うのかな」と思いました。

── 手話について、監督と弟さんは自然と覚えたのですか?

私の場合、先に手話言語を習得して、次に音声言語を覚えました。弟の場合は、寝ている時に私が話しかけたりして、音声言語が先でした。コーダの場合、長子が先に手話を覚えて、二番目以降の子どもが音声言語を先に覚えるということがよく言われます。


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── 作品を撮るにあたって、コーダの方々と交流したりしましたか?

韓国ではコーダという存在があまり知られていませんので、この映画ができた後に、コーダの組織ができたんです。ですので、他のコーダに会ったこともなかったですし、コーダに関する本も映画も読んだり観たりすることがなかったんです。この作品を撮った時は、本当に無謀なことをしたわけです。

── 監督のおばあ様は手話ができないので、息子であるお父様の口の動きを見て発話を理解しているとのことでしたが、お父様とはどのようにコミュニケーションをとっていらしたのでしょう?

コミュニケーションはできなかったそうです。父の場合、(監督の叔父である)弟もろう者ですが、家族は誰も手話ができませんでした。ろう者がやがて結婚をし、生まれた子どもが手話を覚えるということになるのですが、私の父も母も、生まれた時に家族の中にろう者は自分だけだったので、意思の疎通といっても「ごはん食べた?」「お腹が空いた」「お金あげようか?」くらいしかできません。だから母は、子どもの頃本当にもどかしかったそうです。自分の言葉を誰も分かってくれないし、自分も家族の言っていることが分からないから。かなりのストレスで、髪の毛を全部抜いたり、土を食べたりという行動をしてしまったと、言っていました。手話という言語を覚える前のことです。9歳の時に初めて言語を覚えたという子どもの気持ちがどんなものだったのか、想像がつかないですよね。

── 映画の中のお二人はとても明るくチャーミングで、そんなもどかしい時期を過ごしていたなんて想像できません。

私も時々そう思います。今も、私と弟がいなかったら、両親の家族とは意思の疎通ができないんです。当時は祖母たちは田舎に住んでいて、韓国は国として大変な時期だったので、手話の存在自体も、それを教えてくれるところがあるというのも知らなかったそうです。今では手話ができる家族が増えたので、祖母も「私ももっと早く手話を覚えていたらよかった」と言っていました。

── 作品の内容について、環境音に感動しました。お父様が見ているシーンは無音で、ろう者の世界を表現しているのだと思いますが、一方、その傍らでコーヒーが入れられる音や、時計の秒針といった音も聞こえてきます。こうした繊細な音を、健聴者である自分が聞き逃して生活しているということに気づかされ、映画にある静かな美しさを感じました。こうした演出には、どのような意図があったのでしょうか?

あえて静かな音を強調しようとしたのではなく、音声言語を使っていない家に育っているから、そういった音は自然と込められたと言えますね。でも、映画を観ている人たちが、「聴覚障害を持つ人々の世界は何の音もしないのでは?」と思いがちでしょうが、「あ、思ったよりも音がたくさんあるんだな」と感じてくださったのではないでしょうか。


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── お父様は少し聞こえるのですか?

補聴器をつければ本当にかすかに「音というものがあるんだな」ぐらいになら聞こえると言ってました。音というのはたくさん聞くと「こういう周波数の時にはこの音なんだな」「音声言語の時はこういう音なんだな」と認識できるのですが、私の両親は音自体を聞いたことがないので、父は若干聞こえても「気分がよくない音だな」くらいに感じるだけみたいです。

── 監督はやがてご両親との葛藤があり、高校を退学し、旅に出て、その後ご両親の世界を受け入れていきます。具体的にはどういうことがあったのでしょうか?

両親と私の葛藤というよりも、私と世界の葛藤、家族と世界の葛藤があったといえます。いつも周りの人たちに変な目で見られるとか、差別をされるという壁にぶちあたったり。でも、常に両親には強固で完璧な、彼らの言語とろう文化があって、二人はそれを信じていました。ドキュメンタリーを私が撮ろうとした時、両親の世界は本当に美しくて幸せな世界なんだなと改めて感じました。

── この作品は、監督ご自身の中にあったことや、両親との関わりあいから自然に出てきたようですが、作品を撮られるにあたって何かご覧になったり、参考にしたりしましたか?

韓国の作品『マイ・プレイス』(2014年/パク・ムンチル監督)、家族に関するドキュメンタリー映画です。妊娠した妹を長男が撮りながら、家族の各自それぞれに居場所=マイ・プレイスがあるということを語っていて、人は自分が居るべき場所が必要なんだと教えてくれました。その映画の構成を参考にしました。本はマックス・ピカート「沈黙の世界」です。

── その本は、耳の聞こえない方々についての著書ですか?

というよりも、話す言語とは何かについての哲学書でした。

── 話す言語についての本を参考に、ろう者のご両親の映画を作られたというのが面白いですね。

私は言語学に関心があります。両親の聞こえない世界をそっくり経験することはできないので、両親の聞こえないという部分を自分なりに読み解きたいのです。

── 今おっしゃったことに少し関係しますが、今の世界は、違いを認めることに不寛容だと感じています。耳の聞こえないご両親という「自分とは違う世界」を分かりあっていく経験を映画にされた監督としては、不寛容さに対して、どうすれば打ち勝てると思いますか。

すべては「自分とは違う」という考え方を持つことです。そういう前提なら、最初から理解する必要がないですよね。当然そうあるべきだと思うのですが…。日本の状況は分かりませんが、特に韓国は「みんな同じでなければいけない」という考えが強いんです。みんなが勉強するから自分もしなければいけない。みんな大学に行くから自分も。みんな就職するから自分も。みんな結婚するから自分も…といったようにです。最初から「みんなそれぞれ違う」と思っていれば、自分の人生を自分なりに生きていけて、たくさんのことができますし、解決できるのですが、未だに障害者や人種差別、女性差別、マイノリティへの差別があって、事件や事故も起きています。他人を認めない、違う存在を認めないところから来ていると思っています。



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『きらめく拍手の音』
 原題 반짝이는 박수 소리 英題 Glittering Hands 韓国公開 2015年
 監督 イ=キル・ボラ 出演 イ・サングク、キル・ギョンヒ、イ=キル・ボラ、イ・グァンヒ
 2017年6月10日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次公開
 公式サイト http://kirameku-hakusyu.com/


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Interview 『キム・ソンダル 大河を売った詐欺師たち』パク・デミン監督 ~現実で叶わない痛快さを映画で味わって欲しい

Text by Kachi
2017/1/9掲載



 ユ・スンホ主演の『キム・ソンダル 大河を売った詐欺師たち』が、1月20日(金)より全国公開される。

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 時は1600年代。李氏朝鮮の民は、大国・清との相次ぐ戦乱に、いつも死と隣りあわせであった。辛くも命長らえたキム・ソンダル(ユ・スンホ)、ポウォン(コ・チャンソク)、キョン(シウミン)の3人は「死んだも同然の命、愉しもう!」と意気投合し、紅一点のユン菩薩(ラ・ミラン)も加わり、天下の詐欺集団として名を轟かせることになる。そんな彼らの新たなヤマは、当時、清への上納品であった煙草の売買で生まれる莫大な利益。順調にことが運んだかに見えた矢先、権力者ソン・デリョン(チョ・ジェヒョン)を敵に回したことで、予期せぬ事件が起きてしまう…。

 勧善懲悪の正統派時代劇であり、かつ俳優陣の個性が楽しめる痛快さが魅力である。今回、コリアン・シネマ・ウィーク2016でのプレミア先行上映会に来日したパク・デミン監督にインタビューを行った。

── 映画を拝見して、俳優に魅力があり、男女や年齢を問わず楽しめる内容だと思いました。監督の前作、ファン・ジョンミンさん主演の『影の殺人』(原題:日本未公開作)も、日本統治下で起きた殺人事件を描く映画でした。監督は歴史的な題材に惹かれるのでしょうか。

「当時こういう事件が起きた」ということより、時代背景そのものが重要だと思います。1600年代や日本統治時代は、自分が経験していない時代なので、現代劇を作るよりも「こういうことがあったんじゃないか?」と、自由に描く余地が広がります。時代劇であるからこそ、より新鮮に考え、自由な表現ができるのではないか?と考えています。実際の史実、当時がこういう時代であったというのは、あくまで背景であって、その中で色々なことが自由に描写できるのが面白いのではないかと思います。

── しっかりと時代考証をした上で、自由に表現されていると思いました。こうしたバランスを取る上での苦労や工夫について教えて下さい。

もちろん、ある程度の時代考証はします。特に建物や衣装は、当時の暮らしを外れることなく復元したいですね。当時の人々の暮らしぶりを見たり感じたりすることができれば、「こういう暮らしをしていたなら、こういうこともあり得るだろう」と、自由な発想が生まれる余地が出てくるからです。例えば、劇中に登場する大規模な堤防は、おそらく当時の技術や条件を考えたら無理でしょう。しかし、当時の朝鮮では作られていなかったにせよ、中国の清で同じような事例があり、その技術を導入したと考えれば、不可能ではなかったかも知れません。前作『影の殺人』についても、発明品が出てきて、その中で更に新しい物を見せていったわけですが、実際に時代考証をして、ちゃんとあったものにどのように新しい物を組み合わせていくかが肝心です。「こういう物が当時できていて、もっと頭のいい人が考えたならこういう物もできたのではないか」という風に、自由の余地を持たせたということです。

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── キム・ソンダル、通称・詐欺師のポンイは軽薄で享楽的、でもやる時はやってくれるというキャラクターです。女装してウィンクもします。演じたユ・スンホさんは、あるインタビューで「普段の自分とポンイはだいぶ違うので、演じるのに苦労した」と話していましたが、大変楽しそうでそのようには見えませんでした。

演技するのに苦労されたというのは、おそらく嘘だと思います(笑)。女装するところも、脚本ではモンタージュとしてほんのワンカット見せる予定だったんです。ただ、準備をしている段階で、本人が「せっかくだからもっとやりたい」と意欲をみせたので、シナリオを長くして一つのシーンとしたのです。もちろん、彼が今まで演じてきたキャラクターとポンイはかなり違っていますので、最初は少しぎこちない部分もあったかと思いますが、テイクを重ねるごとに本人も楽しみながら演じているのが見てとれましたし、もっと笑わせたいと思ってややオーバーに見せることもありました。本人もあれこれ試みていたようです。スンホさんの性格は、基本的に真面目なのですが、いたずらっ子な一面も持ち合わせているので、演技をしながらそういう部分が出てきたのではないかと思います。韓国でのDVD発売の準備で、先日、スンホさんに会ったのですが、「撮影現場に行くのが本当に楽しかった。今でも思い出します」と話していました。彼は子役の頃からずっと演技をしていて、大変な経験もたくさんしているはずですが、「キム・ソンダルのおかげで現場へ行く楽しみを知った」と言っていました。

── 今作が映画初出演であるEXOのシウミンさんですが、詐欺団の末っ子という可愛らしさがよく出ていました。彼の純粋さ、可愛らしさは、映画の中で重要で、大切な役柄だったと思います。韓国のアイドルには「演技ドル」と呼ばれる方々がいて、初出演の映画であっても存在感を放っているのをよく見ます。撮影の時のシウミンさんには、演出でアドバイスなどされましたか。

演技経験のないアイドルといっても、やはりアイドルとしての才能を持ち合わせていて、自己表現という面では皆さん長けているので、「演技ドル」と呼ばれる人たちは、そういう意味で初めての作品でも存在感を残せているのだと思います。シウミンさんは、元々、可愛らしさ、末っ子の弟のように見えるところがあったので、それをどう引き出せるかが作品の鍵になると思い、何か新しく作り出すというよりも、彼が持ち合わせている愛らしさを自然に引き出してあげることが大切だと思いました。毎回シーンの撮影に取り掛かる前にあれこれ言うのではなく、「これは本当に起きていることだ、という風に思えばいいよ」と伝えました。そして「キョンというキャラクターはとにかく愛らしくなくてはいけないから、君はそのようにしていてくれればいいよ」と言いました。

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── K-POPアイドルは、歌やダンスで常に高い水準を求められているので、身体的な勘も鋭いのかなと思いました。

カメラのフレーム内に収めるのが難しいシーンがあったのですが、シウミンさんは自然にカメラに合わせてくれて、一発OKでした。やはり体を使って表現するところは特に上手かったです。

── その他、チョ・ジェヒョンさんら演技巧者が顔を揃えています。彼らは自分の演技スタイルを確立していますが、そういった方々への演出はどのようにされましたか。

チョ・ジェヒョンさんは、現場で自分の演技スタイルにこだわる感じではありませんでした。最初に「自分はこのシーンでどうすればいいか」ということを聞いてくださって、その上でまたご本人の考えや意見などをおっしゃって下さいました。まず、ご本人が考える演技をしてもらい、それでよければ何テイクか重ねてもらった中からいいテイクを取って、監督の私が考えている演技と違うところがあったら、「そこはこのように」とか、「セリフのトーンをこうしていただけますか」とお願いすると、「分かった」とそのまま取り入れて試して下さったので、特に難しいことはなかったです。チョ・ジェヒョンさんご自身も映画を撮られた経験があり、監督と俳優の関係についてよく心得ていらっしゃるので、私のリクエストをそのまま聞いて下さいました。

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パク・デミン監督

── ソン・デリョンのように富を持つ人間が、国のあり方を悪い方に変えてしまうストーリーには、現在の韓国社会における財閥と政治のあり方のような問題が暗示されているのでしょうか。

そうですね。ソン・デリョンという悪役をチョ・ジェヒョンさんにお願いする際、「言ってみれば現代の財閥みたいなもので、色々な悪行をするのを懲らしめる物語です」と話しました。時代背景としては朝鮮時代なのですが、これを現代に置き換えてみれば財閥が富を独占して悪いことをしているという感覚です。実際に起きていることとは違って、なかなか現実には(悪者を懲らしめるということは)叶わないのだけれども、悪い奴らをやっつける痛快な感じを、映画を通して皆さんに感じていただけたらと思います。



『キム・ソンダル 大河を売った詐欺師たち』
 原題 봉이 김선달 英題 Seondal: The Man who Sells the River 韓国公開 2016年
 監督 パク・デミン 出演 ユ・スンホ、チョ・ジェヒョン、コ・チャンソク、ラ・ミラン、シウミン(EXO)
 2017年1月20日(金)より、TOHOシネマズシャンテ、TOHOシネマズ新宿ほか全国順次ロードショー
 公式サイト http://kimseondal.jp/


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Interview 『大芝居』ソク・ミヌ監督 ~オ・ダルスは予測を越えた演技を見せてくれる俳優

Text by 井上康子
2016/10/18掲載



 アジアフォーカス・福岡国際映画祭2016で、オ・ダルス初主演作『大芝居(原題 大俳優)』が日本初上映され、監督が来日した。ソク・ミヌ監督は『オールド・ボーイ』の演出部に参加したのを皮切りに、『親切なクムジャさん』『渇き Thirst』などのパク・チャヌク監督作品で助監督を務め、本作で長編デビュー。『オールド・ボーイ』の撮影中に初めて会ったオ・ダルスが独自の演技を見せるのに引き付けられた監督が『渇き Thirst』撮影時の酒席で「映画を作る時は出演してほしい」と依頼し、彼は快諾。時間は経過したが、彼はその約束を覚えていて本作へのキャスティングが叶った。オ・ダルスの魅力や、本作に込めた思いを監督が語ってくれた。

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ソク・ミヌ監督(写真提供 映画祭事務局)


── 監督が脚本も書いていますが、最初からオ・ダルスさんを主演にと決めていたのですか?

最初からではなく、脚本を書いていく中で、演劇を20年以上やっているのに成功していないという雰囲気を漂わせていて、外見もイメージにぴったりで出演依頼しました。5年前に脚本を書き、その後、映画化の準備をしたのですが、5年の間に彼は主演ではないけど韓国映画界で欠かせない大俳優になっていて、主演でも成功すると確信しました。

── 『オールド・ボーイ』撮影中、オ・ダルスさんのどういうところに魅力を感じてファンになったのですか?

まず頭が大きくて、誰にも真似ができない個性があります。そして、彼の演技は独自の演技でとてもおもしろくて、すぐファンになりました。『オールド・ボーイ』で彼はヤクザを演じていたのですが、典型的なヤクザのイメージで演技をするのかと思ったら、彼の演技は全然違っていて、こんなヤクザがいるの?という独特な表現だったので金槌で頭を殴られたような衝撃を受けました。撮影中なので他の人たちは我慢していたと思うのですが、パク・チャヌク監督と私はよく大笑いしていました。予測できないおもしろい表現をするのです。彼の次の台詞はどうだろうと期待しました。『大芝居』に出演したイ・ギョンヨンさんも「オ・ダルスは全世界で唯一無二の俳優。自分の世界を持っている」と高く評価していました。

── パク・チャヌク監督はアドリブを使わないのでは?

パク監督の現場ではアドリブはほとんどありません。既に分っている決められた台詞なのですが、彼が言うとおもしろいのです。彼の表現は予測を越えているのです。

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『大芝居(原題 大俳優)』の韓国版チラシ

── 本作で有名俳優ソル・ガンシク(韓国のトップ演技派、ソル・ギョング、ソン・ガンホ、チェ・ミンシクから命名された)を演じたユン・ジェムンさん、そして、パク・チャヌク監督をモデルにしたカンヌ・パク監督役のイ・ギョンヨンさんはどういう経緯でキャスティングしたのでしょうか? イ・ギョンヨンさんは少し太っているけど、パク・チャヌク監督に顔が似ていると思いました。似ていることが重視されたのでしょうか?

ユンさんは素晴らしい演技をする人で、でも、悪役が多いのが残念でした。私は黒澤明監督の作品が好きですが、ユンさんは韓国の三船敏郎といえる人だと思います。それで私が作品を作る時にはカッコいい役で出てもらおうと思っていました。イさんをキャスティングしたのは彼がパク監督作品に主演したこともあり、パク監督のことをよく知っていたからです。パク監督の話し方とか、知らない人に理解してもらうのは難しいので。パク監督は絶対に怒らない人なのです。パク監督を知っているイさんが演じなかったら、怒る監督になってしまったでしょう。実際のイさんはパク監督に似ていません。髪が短くて監督らしい権威が出ないのでかつらをかぶってもらったらそっくりになったので、別の設定にせず、パク・チャヌク監督をモデルにした監督という設定にしました。オさんを含めて、主演3人の俳優さんは現場で自分の意見を主張するのではなく、私の指示に従って、でも、自分で探してそれ以上の演技を見せてくれました。ベテラン俳優と仕事ができたことは光栄でした。

── パク・チャヌク監督の演出部からスタートされましたが、それはパク監督作品が好きだったからですか?

もちろん、パク監督作品は好きですが、それまでに5本の映画の演出部に応募して落ちて、知り合いの助監督が声をかけてくれて、『オールド・ボーイ』の演出部の一番下っ端に参加できることになったのです。『オールド・ボーイ』は準備段階でだめになったり、興行的に失敗することもないと思えたので安心して参加できました。

── パク・チャヌク監督から学んだことはありますか?

パク監督を見て、自分も死ぬまで守らなくてはと思っているのは「良い監督は良い人だ」ということです。現場はトラブルが多いですが、何が起こってもそれに屈せず、懸命に乗り越える。誰かのせいにせず、新しい方法を見つけて映画製作を続ける姿を学びました。

── 主人公の設定ですが、演技があまり上手くないのが実際のオ・ダルスさんと異なっていることもあって意外でした。

あれは実力がないということではなく、演劇と映画のメカニズムの違いによるものです。主人公のような演劇俳優はすごく情熱を持っていて、最初に実力を出し切ってしまうのです。でも、映画は何テイクか撮り、状況によって良い時と悪い時があるというものです。何テイクか撮って、OKをもらっても演劇出身の人は納得できないところがあり、肩を落として帰宅するのを見てきたので彼らの姿を表現したいと思っていました。

── エンドクレジットに本作に出演した脇役の俳優さんたちのインタビュー映像が挿入されていましたが、中でも「映画に主演したが、それから2年休んでまた俳優を再開した」という俳優さんの話が印象的でした。有名俳優にはなれないかもしれないけど、演じることが好きで続けるという意思が伝わってきました。この作品の主人公の生き方につながるところがありました。

彼は私と20年の付き合いがあり、彼が活躍したのも、辞めたのも、再開したのも見て来ました。こういう作品では主人公は失敗しながら最後は成功で終わるのがほとんどですが、私はそういう終わりにしたくありませんでした。夢に向かって頑張って、失敗かもしれないけど負けではないという生き方があると思います。



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取材後記


 「失敗かもしれないけど負けではない生き方」という監督の言葉が長く胸に留まっている。「社会的な意味での成功は収めることはできなくても、人として誠実に生きていけばよい」という意味ではないだろうか。アジアフォーカス・福岡国際映画祭2016の関連企画、福岡アジアフィルムフェスティバル2016で上映された韓国映画『オフィス 檻の中の群狼』の主人公は企業のインターンで、正社員になれるかどうかという緊張した日々を過ごして、追い詰められていく。現在の韓国では大企業に正社員として就職できる人はわずかで、多くの若者が非正規職などで不安定な仕事を続ける。「負けではない」という監督の思いは作品を通じて、さまざまな状況でつらい思いをしている人々を励ましたに違いない。


アジアフォーカス・福岡国際映画祭2016
 期間:2016年9月15日(木)~9月25日(日)
 会場:キャナルシティ博多ほか
 公式サイト http://www.focus-on-asia.com/

Writer's Note
 井上康子。オ・ダルスのファン。『オールド・ボーイ』から注目していたが、信頼厚い高校教諭・夫であり、異性装者を演じた『フェスティバル』で、彼の演技に完全に参ってしまった。フリフリのレース下着を身に着けて悩む彼の表情はソク・ミヌ監督の言うように予測を越えていた。


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