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Report ソウル2019春 ~柳寛順の映画を見て考えた日韓の歴史。そして、新しい韓国にふれる

Text by hebaragi
2019/3/31掲載



 今年2019年は、1919年に韓国で起きた「三・一独立運動」から100年を迎えた年だ。当時、独立運動を主導した人物の一人が柳寛順(ユ・グァンスン)である。柳寛順は韓国では知らない人がいないくらいの歴史上の人物で、「韓国のジャンヌ・ダルク」と呼ばれることもある。今回訪れたソウルで、彼女に関わる映画2本を鑑賞した。また、伝統公演(演劇)やミュージカル、ガールズグループのライブにも参加し、新しい韓国にも触れたソウル滞在であった。


『抗拒:柳寛順物語』


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 三・一独立運動が起きた当時は16歳だった柳寛順が、日本の官憲によって拘束され、収監されたソウルの西大門刑務所で過ごした1年あまりが描かれた作品。大部分を占める刑務所のシーンはモノクロで、日本の植民地支配当時の息詰まるような雰囲気が伝わってくる。とりわけ、何度か描かれる拷問のシーンは目を覆いたくなる光景であり、日本人のひとりとして見ているのが辛かった。しかし、そのような仕打ちを受けながらも、柳寛順は志を変えることなく、収監された同志とともに「大韓独立万歳」の声を高らかにあげていく。その後、日本の皇室の慶事に伴う恩赦も彼女には適用されず、1年あまりの収監後、獄死する。本作撮影にあたって5日間絶食したという主演のコ・アソンの凜とした表情が見る者に強い印象を残した作品だった。


『1919 柳寛順物語』


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 柳寛順にまつわるドキュメンタリー作品。彼女の生涯を、韓国内外の歴史学者など様々な研究者のインタビューを交えて描いている。80分弱という短い上映時間であり、西大門刑務所でのシーンは少なく、拷問などのシーンも『抗拒:柳寛順物語』よりは少ない。三・一独立運動に際しては、韓国側の発表で7,000人を超える死者が発生したとの説があることが劇中で流れ、改めて歴史上の大きな出来事であったという認識を新たにした。ラスト近く、鳩山由紀夫元首相が西大門刑務所跡地を訪れ、「ここで拷問があったことや、たくさんの命が奪われたことを申し訳なく思う」と語り、ひざまずいて謝罪するシーンが描かれている。日本では歴史認識をめぐって様々な意見があり、時折、韓国側から見れば政治家の「妄言」と言われる発言が話題になる。しかし、日本の中にも様々な考え方があることを映画を見た韓国の人たちに知ってもらう意味では、鳩山元首相の登場は意義のあるシーンであったように思う。

 2本の作品を見て感じたのは、韓国の人たちの歴史を忘れまいとする思いであった。一方、日本では、学校でヨーロッパやアメリカ、中国の歴史は詳細に習うが、韓国の現代史を扱う時間は極端に少ない。現在、日韓の間では歴史をめぐって様々な問題が再燃している。その一方で人的交流は増え続けており、日本ではK−POPや韓国料理が相変わらずの人気を集め、東京のコリアンタウン、新大久保は連日大勢の人たちでにぎわっている。今後、真の相互理解を築いていくためには、文化にとどまらず歴史上の出来事にも関心を持っていくことが必要ではないだろうか。


伝統公演「宮:張緑水ストーリー」


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 15世紀の李氏朝鮮時代が舞台。暴君として悪名高い燕山君と、彼の寵愛を受け「朝鮮三悪女」のひとりとも称される女性・張緑水(チャン・ノクス)の物語。2015年には『背徳の王宮』として韓国で映画化もされている。本作は台詞なしのノンバーバル作品。権力をほしいままにした燕山君と張緑水が周囲を翻弄するが、最後には反旗を翻した部下たちによって二人は倒される。美しいチマチョゴリをまとった女性たちの舞踊シーンも見どころのひとつであり、壮大で豪華な歴史絵巻が観客を魅了する。観客のほとんどが外国人で、時折、舞台袖に設置されたディスプレイに四ヶ国語で説明文が流れ、ストーリーの理解を深めることができる。鑑賞後、もっと韓国の歴史を知りたくなった作品だった。


ミュージカル「パルレ」


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 2005年の初演からロングランを続ける人気ミュージカル。2012年には日本でも公演があった。今回はソウル大学のある若者の街、大学路(テハンノ)の小劇場で鑑賞。6年前に知人のすすめで見たのが初めてだったが、今回も小劇場ならではの舞台と観客の一体感が楽しめた。ストーリーは、あるアパートに住む様々な事情を抱えた住人たちが繰り広げる群像劇だ。主演の書店勤務の女性ナヨンと、モンゴルからの労働者ソロンゴの出会いを軸にラブ・ストーリーの要素もあり、ハッピー・エンドにほっとさせられる。軽快でテンポのよいストーリー展開が楽しく、休憩含め160分という上演時間も全く気にならない秀作であった。


「公園少女」ゲリラライブ


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 ソウルの繁華街、明洞(ミョンドン)で昼食をとり、街歩きをしていたところ、トレーラーを利用した仮設ステージでのライブに遭遇。2018年9月から活動を開始した韓国人5人、日本人1人、台湾人1人の7人組ガールズグループである。ゲリラライブでありながら、小一時間にわたってパフォーマンスが繰り広げられた。ダンスも歌も素晴らしく、まだ肌寒いなか、会場の歩行者天国を埋め尽くした大勢の観客を魅了した。


Writer's Note
 hebaragi。北海道在住。ソウルに行き始めて30年になる。30年前、新千歳空港とソウルを結ぶ便は週2往復のみであったが、現在は7社のエアラインが1日に10往復している。料金も昔からは考えられないほど安く、国内旅行以上に手軽に行けるようになったことは喜ばしい。次のソウル訪問が今から楽しみだ。


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Report ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2019 ~雪に囲まれた街で韓国映画の底力を見た

Text by hebaragi
2019/3/17掲載



 今年で29回目を迎えた、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2019(以下、「ゆうばりファンタ」と表記)に参加した。期間中、たくさんの作品を見たが、韓国映画2本が強い印象を残した映画祭だった。


『人間、空間、時間、そして人間(仮題)』


 キム・ギドク監督23本目の作品だが、監督自身がいわゆる「♯Me Too」運動の当事者として批判にさらされた影響を受け、本作は2018年のベルリン国際映画祭で上映されたのみで、韓国国内での上映は実現されていない。今回、ゆうばりファンタのオープニング作品として日本で初公開された。

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『人間、空間、時間、そして人間(仮題)』

 ストーリーは、廃軍艦に乗り合わせた年齢も職業も様々な人々が、空中浮遊という思わぬアクシデントに見舞われる中で、生き残りをかけた壮絶な争いを演じていくというものだ。

乗組員、国会議員、ヤクザ、売春婦、若いカップル、老人など様々な人々の人間模様が描かれている。同じ船に乗り合わせているにもかかわらず、国会議員だけは客室や食事が特別待遇となっていることに不満を持った他の乗客たちが立ち上がるが、ヤクザたちの脅しに屈してしまう。その後、帰れる見込みのない船の中で、食料の配給が減らされ、乗客たちの不満は極限に達し、殺し合いに発展する。そして最後に残ったのは身重な体のイヴだった。

 時を経て、残されたイヴとその子が、老人が育てていた植物が生い茂った船内での生活を続けている。そして、イヴの子がイヴを襲うシーンで衝撃的なラストを迎える。

本作は、聖書やキリスト教をテーマにしていると同時に、政治家の腐敗や格差社会の問題を提起している。極限状況の中での人間の欲望と本能を赤裸々に描いており、見る者に強い印象を残した。

 主演のアダム役にはチャン・グンソク、イヴ役に藤井美菜、イヴのパートナー役にオダギリジョー、そして謎の老人役にアン・ソンギが出演している。中でも藤井美菜とアン・ソンギの熱演が印象的だった。

 映画祭プログラミング・ディレクターの塩田時敏氏は「この作品を、ゆうばりファンタで上映することに意義がある。監督の問題と映画は別。“罪を憎んで映画を憎まず”だ」と述べ、上映の趣旨を語っていた。一方で、ファンタスティック・オフシアター・コンペティション部門審査委員長の白石和彌監督は、本作上映について「映画祭として作品上映について公式にコメントするとか、関連するシンポジウムを開催することなどを考えるべきでは」と開会式で語っていたように、様々な議論を呼んだことも事実である。塩田氏のコメントも理解できるし、白石監督の意見ももっともであろう。作品が素晴らしいだけにこのままお蔵入りさせるのはもったいないというのが、実際に見た観客の少なくない意見だと思う。しかし、本作がたくさんの人たちに見られる状況を実現するためには、キム・ギドク監督自身が社会に向けて何らかのアクションを起こす必要があるのではないだろうか。


『赤い原罪』


 長編作品が対象のファンタスティック・オフシアター・コンペティション部門で審査員特別賞を受賞した。

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授賞式の模様

 小さな漁村にある教会に修道女が赴任してくる。その街には足の不自由な男と精神病を患う中学生の娘の一家が暮らしている。男は、酒に溺れ、社会と神と聖職者を呪い、修道女に暴言を浴びせ、暴力を振るう。

 そんな男と生活苦から働きに出ている娘を案じて、修道女は家庭訪問をしたり、娘の働く漁港を訪れたりして説得するが、教会の援助は断固として断られる。様々な方法を試みるが打つ手なしの状況で、上司の牧師からは、その家庭の問題から手を引くよう忠告される。その後も男は執拗に修道女につきまとい、最悪の悲劇が起きてしまう。40年後、再び漁村を訪れた修道女が教会を訪れる。そして、男と娘が満面の笑みを見せながら踊っているファンタジックなラストシーンを迎える。

 本作はキリスト教をテーマとしており、聖職者のあり方など、タブーに触れるとも思われる内容から、韓国で様々な議論を呼ぶことが予想された。しかし、韓国で牧師たちを呼んだ試写会でも特に大きな批判はなかったという。ムン・シング監督は本作製作のために、10年間神学校に学び、2年間実際に教会で勤務するという異色の経歴を持つ。また、上映後のティーチインで「もし監督が修道女の立場だったら、あの家族に対してどうすべきだと思うか」という観客からの質問には、「どうすることもできない」と述べ、牧師として聖職者の限界を感じているかのようなコメントをしていた。

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『赤い原罪』のムン・シング監督

 本作が観客に突きつけるテーマはキリスト教にとどまらず様々な社会問題を含むもので、鑑賞後、重く、言いようのないやり切れなさを感じさせる。しかし、たとえ困難でも他者との関係をあきらめてはいけない、というメッセージを感じるものでもあった。

 なお、新人監督の新たな才能を発掘するファンタスティック・オフシアター・コンペティション部門では、『されど青春の端くれ』(森田和樹監督)がグランプリと批評家賞(シネガーアワード)をダブル受賞した。本作は高校生たちが主人公の、若さがほとばしる青春映画である。また、短編作品を対象としたインターナショナル・ショートフィルム・コンペティション部門も秀作揃いで、多くの作品が観客を魅了するなど、充実した4日間だった。

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『されど青春の端くれ』森田和樹監督

 ゆうばりファンタは次回で30回目を迎えるが、冬季開催は今回が最後で、2020年からは6月または7月の開催が予定されている。冬季開催に関わる経費削減や札幌からの集客増加を考慮すると同時に、名物の夕張メロンをテーマとした企画も検討されているという。今年のゆうばりファンタのテーマは「ファンタを止めるな!」だったが、「ゆうばりファンタを止めるな!」が関係者の思いだと聞いた。次回以降も充実した映画祭となることを期待したい。


ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2019
 期間:2019年3月7日(木)~3月10日(日)
 会場:北海道夕張市内各所
 公式サイト http://yubarifanta.com/

Writer's Note
 hebaragi。今回のゆうばりファンタでは、レポートした2本の韓国映画が多くの観客に衝撃を与え、上映後のオープニング・パーティーや居酒屋などで感想を語り合う光景が見られた。2本とも韓国映画の底力が感じられるものであり、何らかの形で多くの人々が鑑賞できる機会が実現することを願ってやまない。


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Report 第23回釜山国際映画祭(6) ~BIFF2018最高の1本…『ハチドリ』

Text by Kachi
2018/12/26掲載



 ひょんなことで知り合ったソウル・鍾路(チョンノ)の独立映画館「ソウルアートシネマ」のスタッフSさんが、今年の釜山国際映画祭(以下、BIFF)作品で韓国人に一番人気なのはキム・ボラ監督の『ハチドリ/House of Hummingbird』(FIPRESCI賞、NETPAC賞、KNN観客賞)だと教えてくれた。Sさんは小津や成瀬を偏愛し、亡き若松孝二監督と若松プロの華やかりし季節を記録した青春劇映画『止められるか、俺たちを』について、今観たばかりだと興奮気味に話してくれる、熱いシネフィルだ。そんな彼女が勧めてくれる映画を見逃す手はないとばかりに、3日間チケットボックスに早朝から通い詰めたが、上映回数が多いにもかかわらず全く手に入らない。どうにか機会を得られたのは、釜山で過ごす最後の夜の一番遅い回だった。

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『ハチドリ』

 舞台は1994年。主人公のウニは、少女から大人の女性に少し背伸びをしつつある、反抗期にさしかかった14歳だ。別の中学校に通う恋人と子どもっぽいファーストキスを経験し、友達同士隠れて喫煙や万引きをし、後輩女子から恋ともつかない情熱を寄せられている。超難関のソウル大学への進学を父から厳命される兄は、プレッシャーへの苛立ちからかウニへ頻繁に手を上げる。年頃らしく奔放な姉に毎晩のように父親は激高し、時として母と流血沙汰の大喧嘩に発展する。大韓民国的家父長制が覆う、当時は当たり前だった家庭環境だ。

 「自分が嫌いになる」 そんな思いに苛まれる毎日の中で出逢ったある一人の女性が、ウニの生活にささやかな変化をもたらす。さしたる興味もなく通っていた中国語教室の新しい女性教師ヨンジは、誰にはばかることなくタバコをくゆらせ、物憂げに視線を投げかけながらも、たおやかさを感じさせた。そのたたずまいに、ウニは心を奪われる。

 突然の大病で入院したウニを訪ねたヨンジは、「もう誰にも殴られてはいけない。誰であっても、あなたに手を上げる人とは闘わないといけないの」と、芯の強い口調でウニに言い、ウニにとっては生涯忘れられない言葉になる。粒ぞろいのBIFF作品の中にあって、特に『ハチドリ』が優れていると感じたのは、エッセイ調の作りでありながら私たちが生きるこの現実世界へ自然にシンクロしているところだ。積み重ねられる繊細なエピソードは、まるで隣りに寄り添ってくれるようである。歴史的惨事の瞬間を映画の主軸として切り取ることで時代に連結し、さらに昨年から世界的なムーブメントになっている#MeToo運動にまでコミットしていく。脚本のディテールと背骨がしっかりしていて、なおかつテクニックだけに頼らない血の通ったストーリーに、心から感動した。ヨンジのセリフには、韓国が幾度となく巨大で野蛮な力に押し流され、足蹴にされようとも、その歩みを止めようとせずにきた姿勢がそのまま、一言で表されているのだ。

 『ハチドリ』に大いに泣かされた帰路、なぜこの国の映画はこれほどまでに豊かなのかを考えていた。ドキュメンタリーにしろフィクションにしろ、現実と切り結ぶことなく安全な映画が、ほぼ見当たらない。疲弊した現実社会に芸術である映画がひきずられてしまううらみはあれど、その生々しい手ざわりは忘れがたく印象を残す。荒涼としたこの世界で生きなければならない時、それでも「世界は美しいのよ」(『ハチドリ』より)と、スクリーンから語りかけられることは何と幸福で、明日を生きるよすがとなることだろうか。映画は良き隣人で、最良の伴侶であることを、釜山で痛感させられたのだった。

(了)


特集記事
 Report 第23回釜山国際映画祭(1) ~ふたたび自由を勝ち得て、豊穣な映画の大海へ
 Report 第23回釜山国際映画祭(2) ~巨匠イム・グォンテクに遭遇…『102番目の雲』
 Report 第23回釜山国際映画祭(3) ~哀れさと傷に寄り添うこと…『ヨンジュ』『呼吸』
 Report 第23回釜山国際映画祭(4) ~歴史修正主義と闘い、ジェンダーロールの呪いを解く…『キム・グン』『記憶の戦争』『軍隊』『ボヒとノギャン』
 Report 第23回釜山国際映画祭(5) ~諦めきれない私たちの焦燥…『辺山』『バーニング』
 Report 第23回釜山国際映画祭(6) ~BIFF2018最高の1本…『ハチドリ』

第23回釜山国際映画祭
 期間:2018年10月4日(木)~10月13日(土)
 会場:釜山市内各所
 公式サイト http://www.biff.kr/


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Report 第23回釜山国際映画祭(5) ~諦めきれない私たちの焦燥…『辺山』『バーニング』

Text by Kachi
2018/12/24掲載



 『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』『金子文子と朴烈(パクヨル)』での演技も記憶に新しいチェ・ヒソを主演に迎えた、ハン・ガラム監督の『アワー・ボディ/Our Body』(女優賞)は、30歳を迎えて未だに公務員試験を受け続け、閉塞感にさいなまれる一人の女性が、同世代のスポーティーな彼女に出逢って変化していく作品であった。同性愛的コードもあったが、それ以上に、世代間に漂う閉塞感があった。ミドルエイジの焦燥と諦めは、今日的テーマとして映画祭作品に反映されていた。

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『辺山』

 筆者は韓国のヒップホップはおろか、ラップについても不見識だ。しかし韓国語のパッチムや激音、濃音とラップ独特の詞の表現の相性、そして悪口(욕)の豊富さが、本家アメリカにも劣らない言葉の応酬を可能にし、ローカライズされた形でシーンを盛り上げていることは、容易に想像できる。『ラジオ・スター』『楽しき人生』『あなたは遠いところに』で「音楽三部作」を完結させたイ・ジュニク監督の新境地『辺山/Sunset in My Hometown』で気づかされたのは、ラップとはセンスと運動神経が要求される上に、大変知的な営みが根にある、ということだ。

 ハクスはヒップホップのトーナメント番組を勝ち進む実力派ラッパーだが、イマイチ大人気とまではいかず、コンビニのバイトでしのぐ毎日を送っている。生まれ故郷の扶安(プアン)・辺山(ピョンサン)に何一ついい思い出はなく、唯一の肉親である父とは絶縁状態。田舎育ちじゃ格好がつかないと、ソウル出身と嘘をついている。ある日、地元の病院から、父が倒れたからすぐに帰郷するようにと連絡が来て、ハクスは渋々10年ぶりに辺山へ足を踏み入れる。未だに地元でつるんで大騒ぎしているダサい同級生たち。学生時代の威光をかさに着て親分面で後輩をこき使い、憧れの美人同級生をちゃっかりモノにしているクソな先輩。何より大嫌いな父親は、入院してはいるものの予想に反してピンピンしている。ハクスへの初恋を今も心に抱くソンミに、はた迷惑な熱視線を送られるわ、地元のドタバタに巻き込まれるわで散々な目に遭いながら、ハクスは反発と追憶に彩られたオリジナルの言葉を紡いでいく。

 ハクスも、病父の世話で地元に縛られながら小説を書くソンミも、やみくもに夢を追える年齢ではない。一方ソンミがそうであるように、韓国でも日本でも、親の介護に追われる歳のラインが確実に低年齢化している。どんなに遅咲きだろうとも、自身の情熱をすり減らして誰かのために生きることはまだ選べない。劇中のバックミュージックでは、心が成熟していない彼らと彼女たちの軋轢ともどかしさがこもったハクスのリリックが刻まれる。音楽をテーマに、人生に起こる喜怒哀楽を温かいコメディに仕上げることには折り紙つきのイ・ジュニクの手腕が、また冴えている。見終わった後、韓国ラップに親しみたくなった。ところで個人的には、ソンミ役のキム・ゴウンはクール系美女で、初恋の相手としては全然がっかりではない。

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『バーニング』

 どこの国でも、映画祭会場のエレベーターは、今観終えた映画の感想大会になる。『バーニング/Burning』上映後、観客はなかなか辛辣なことをつぶやいていた。

 誰もが傑作を観たい。巨匠と呼ばれた監督ならなおのこと、次回作は大きな期待を持って待ち望まれている。しかし私は、必ずしも傑作が観たいわけではないのだということを今回知った。傑作は誰もが観るからである。8年待ち続けたイ・チャンドン監督の新作『バーニング』のように決して放っておけない映画のことを、そうした作品を作り続けるイ・チャンドンのことを忘れたくない。

 肉体労働でその日をしのぐジョンスは、ソウルの雑踏で偶然幼なじみのヘミに再会する。ヘミはアフリカへ行くと唐突に言い出し、その間、飼い猫の世話をして欲しいと頼んで、ジョンスを自宅へ連れ込む。そのまま二人は行きがかりでセックスをする。ほどなく帰国したヘミは洗練された男性ベンを連れていて、迎えに来たジョンスを戸惑わせる。

 ベンはペントハウスにハイソサエティな友人を呼んではホームパーティーを繰り広げ、高級外車を乗り回している。日雇い労働者であり、坡州(パジュ)の農村にある荒れたジョンスの実家や、陽の差さないヘミのワンルームとは雲泥の差だ。ジョンスは皮肉を込めて、ベンを「韓国のグレート・ギャッツビー」と呼ぶ。だが、ベンは飽きたりない毎日を贅沢で取り繕っていたのだ。そしてある日、ジョンスはベンから、ビニールハウスを燃やすことの快楽について聞かされる。それからというもの、ジョンス自身もビニールハウスに火を放つ妄想に取り憑かれる。

 村上春樹の短編小説『納屋を焼く』を原作にしているが、エッセンスだけを借りた作りになっている。小説と違い、主人公のジョンスよりも、エキセントリックな魅力を持つヘミや冷静なベンが、村上春樹的人物をよく表している。個人的に村上春樹の書く斜に構えたような人物像が苦手だったのだが、この三人の若者は筆者の心を掴んで離さなかった。ジョンスの実家がある坡州は、北朝鮮にほど近いため、北が韓国政府を批判する放送がスピーカーで延々流されていて、片やそのそばには、南の守り神のように太極旗が高々と掲げられている。しかし、それらは三人の焦燥や諦め、幻滅に対して、何ひとつ慰謝にはなり得ない。ヘミが裸になって踊るシーンにさりげなく太極旗を入れるイ・チャンドンは、国によるがんじがらめを皮肉っているかのようだ。

 『バーニング』は撮影スケジュールが押したせいでキャスティングが変更された後、ユ・アインが「イ・チャンドンの男」に抜擢された。『ベテラン』『王の運命(さだめ) ―歴史を変えた八日間―』での熱のこもった演技で、すでに韓流イケメン・スターの殻を脱皮していたユ・アインだったが、本作でイ・チャンドンの洗礼を浴びたことで、更に若手俳優たちにおける「実力派」という評価のハードルを格段に上げてしまった。大きな演技をしている訳ではないのに、内部に炎を宿しているような末恐ろしい芝居、としか言いようがないが、極端なことを言えば今後、ユ・アインほどに演じなければ誰もが小手先の役者に過ぎないだろう。

 イ・チャンドンの映画は観ていて痛々しく、心身が疲弊させられる。本作のユ・アインや、『ペパーミント・キャンディー』のソル・ギョングがそうだったように、劇中人物は社会と時代の共苦的人物として自身を惜しみなく作品に捧げ、観客はまるで刃物でも突きつけられるようにそれを見届けるからだ。そもそも娯楽や爽快さは目指されていない。彼の作品にしかない人間の本物がある。描かれる世界はミニマムで時に唐突だが、生々しい焦燥や葛藤、悲しみに必ず寄り添える監督なのである。


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第23回釜山国際映画祭
 期間:2018年10月4日(木)~10月13日(土)
 会場:釜山市内各所
 公式サイト http://www.biff.kr/


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Report 第23回釜山国際映画祭(4) ~歴史修正主義と闘い、ジェンダーロールの呪いを解く…『キム・グン』『記憶の戦争』『軍隊』『ボヒとノギャン』

Text by Kachi
2018/12/16掲載



 今年の韓国映画界では、保守政権下では作られなかった、あるいは公権力の横やりで上映が困難になる、いわば第2・第3の『ダイビング・ベル』になりえたアグレッシヴなドキュメンタリーが生み出された。セウォル号沈没事件の原因を、航路から科学的に分析していったこれまでにない真相究明ドキュメンタリー『2014年4月16日 その日、その海』はその好例だろう。今回の釜山国際映画祭(以下、BIFF)でいえば、『光化-ろうそくの火で歴史をおこす/Light A Candle, Write A History - Candlelight Revolution』は、ソウルの目抜き通り「光化門広場」で行われた大規模な朴槿恵退陣要求デモ、いわゆる「ろうそくデモ」が、いかにして時の政権を追い込んでいったかの記録である。今こそ作られるべき、大変現代性をはらんだ作品であった。こうした映画が残ることの意義はもちろん理解したうえで言えば、ニュースなどでも見られたデモの様子にカメラを回し、参加者の数人にインタビューをしただけでは、映画の出来栄えとして少々物足りない。市民が政治を勝ち取る道のりとなった「ろうそくデモ」は、韓国民主化運動再びといった様相であり、政治への不信と閉塞感にあふれた日本に住む者としては熱い想いで見守っていた。そんなドラマティックな出来事が題材として優れているのは当然で、少々撮影対象の良さに寄りかかりすぎていた。

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『光化-ろうそくの火で歴史をおこす』

 昨年、『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』が韓国で大きな興行成績をあげる裏で、こんな報道が出ていた。ソン・ガンホ扮するソウルのタクシー運転手キム・マンソプのモデルとなった人物キム・サボク氏が、実は朴正煕暗殺未遂事件として有名な「文世光事件」に浅からぬ縁があるというものだ。朝鮮総連の関わりが明らかにされているこの事件で、サボク氏は主犯である文の運転手をしていたという。かねてより光州事件は、朝鮮総連や在日韓国民主統一連合(当時は韓民統)による陰謀論を指摘する動きがあったが、このことを理由にキム・サボク氏は、映画で描かれたような人物ではなく、北の重要な任務を担うスパイであったという論争が巻き起こった。

 当時の証言を省みたり、歴史を丁寧にひもとけば、こうした言説は現実や常識から逸脱したいわゆる“トンデモ論”以外の何ものでもない。しかし、これを「ああいう手合いは相手にしなければいい」とあえて闘わなかったことが、差別的言辞をほしいままに垂れ流す“ネトウヨ”たちの増加であり、今の日本の陰湿な不寛容さの温床になったことを考えると、敢然と声をあげるべき問題である。カン・サンウ監督『キム・グン/KIM-GUN』は、映画という手段で歴史修正主義と静かに闘う映画だ。

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『キム・グン』

 冒頭、元陸軍大領で軍事評論家の池萬元(チ・マノン)氏が弁舌をふるっている。光州事件の際、全斗煥政権が送り込んだ鎮圧隊と戦った、市民軍の顔の輪郭やパーツの位置をもっともらしく科学分析し、「北朝鮮の労働党で写真に写る幹部の誰それに間違いない。つまり市民軍は、北の工作員なのだ」と主張して、覆面をした彼らを“光州No.1”というナンバリングで糾弾する。日本の右派論壇にもよくみられる歴史修正主義だが、池氏の街頭演説での様子をみると一定以上の支持を得ていて、妄言とは切り捨てられない危うさがある。

 この映画のメインビジュアルに使用されている、カメラに強ばった表情を向ける一人の市民軍の男性。監督は、この象徴的な人物「キム・グン」に焦点を当て、彼の足跡と正体を追っていくのだが、その過程であらわになるのは、民主化運動というものが熱気を帯びた季節であった一方で、人々が深く傷を負い、今もそこに閉じこめられている現実だ。

 本作のような映画は、たとえば「この作品が手柄になる」というような思い上がりがどこかに見え隠れすると、作り手自身の独りよがりに過ぎない結果物になる。しかし監督の姿勢には、そうしたナルシシズムは感じられない。事件について口に出せず沈黙して生きている人たちの怒りと慟哭を静かにみつめつつ、今なお生々しい誰かの傷に触れる手に、覚悟と優しさがあるのだ。

 長編ドキュメンタリー『きらめく拍手の音』で、イ=キル・ボラ監督にインタビューしたのは昨年のことだった。コーダ(CODA,Children of Deaf Adults:ろうの親を持つ健聴の子)という難しい自身の立場を、真摯に、しかし明るく捉える監督に、この不寛容の時代をどう生きるべきかを質問した際、障害者や人種差別、女性差別、マイノリティへの差別があり、他人という違う存在を認めない韓国の社会状況を指摘して「すべては“自分とは違う”という考え方を持つこと」と応えてくれた。そんな監督が次回作に選んだのが、ベトナム戦争における韓国軍の虐殺事件についてだ。ベトナム戦争の話題は韓国でも未だに触れがたく、映画の題材にすること自体が困難なはずだ。監督がかつて話した「自分とは異なる他者を認める」という言葉が、こうした形で表現されることに大きな意義を感じる。

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『記憶の戦争』

 『記憶の戦争/A War of Memories』(ドキュメンタリー部門:Biff Mecenat Awardスペシャル・メンション)で、イ=キル・ボラ監督は、幼い頃から耳の聞こえない両親の代わりに周囲と意思疎通にあたっていた経験を生かし、「韓国軍が住民を円形に囲み、銃で虐殺するのをこの目で見ていた」と語る、ろうあの被害者からも証言を得る。妹を殺された男性。ハミ村とフォンニィ・フォンニャット村、それぞれで起きた虐殺事件を生きのびた二人の女性、グェン・ティ・タンさん(二人とも同じ名前)。抑圧と傍観の中で忘れ去られかけている、文字通りの声なき声がすくい取られていく。

 二人の女性は、今年4月22日に韓国で開かれた「ベトナム虐殺真相究明模擬法廷」への出廷を決意する。韓国軍による民間人虐殺の真相究明を目指す「市民平和法廷」は、自分と家族が負った被害に対して、韓国政府の損害賠償金の支給と真相調査などを請求する訴訟だ。模擬法廷なので、法的効力はないが、ベトナム民間人虐殺について少しでも韓国社会でイシュー化することが目的だ。

 しかし、そこに元韓国軍人たちが立ちはだかる。「(自分たちが殺した)あいつらはベトコンで、一般市民ではない。我々は日本人やドイツ人とは違うんだ」と主張し、彼女たちへの抗議行動に出たのだ。平和法廷の場にも乗り込んできて、受付でスタッフに言いがかりをつける。歴史を都合良く変質させようとする者、抑圧する側の人間は誰も彼も同じで、凡庸な暴力的言説と行動を取るものなのだ。

 今、性被害や暴力などの多くの場面で「もう口を閉ざしてはいけない」と、被害者たちが勇気を持って社会に告発している。にもかかわらずその過程で再び傷つけられてしまう理不尽な現実には、怒りしかこみあげてこない。唯一、法廷に参加した女子中学生が「私たちがこの国で、おばさんたちのことを伝えていく」と語りかけていることに救いが見出せた。

 韓国とベトナムの国交正常化以降、歴代大統領の何人かは訪問のたびにベトナムに対する“遺憾の意”を口にしている。文在寅大統領も今年3月に行われたベトナム首相との首脳会談時、ベトナム戦争当時の韓国軍の参戦と民間人虐殺について「私たちの心に残っている両国間の不幸な歴史に対して遺憾の意を表わす」と述べた。しかし、今なお韓国政府は、ベトナムにおける戦争犯罪についての公式的態度を示していない。

 題材の普遍や特殊性の如何を問わず、監督が何を撮り、そのことをどう伝えたいのか。作り手の意思が明確に見えたのが、ケルヴィン・キョン・クン・パク監督『軍隊/ARMY』(ドキュメンタリー部門:Biff Mecenat Award)である。

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『軍隊』

 K-POPアイドルを彷彿とさせる端正な顔立ち。日焼け止めが汗で流れて白くなった肌を、周りにからかわれる。髪型とスキンケアに気を配り、服務の休憩中に彼女へいそいそと電話をかける。信仰を持ち礼拝堂で祈りを捧げることもある。このドキュメンタリーの主人公は、今どきの韓国人青年ウチョルだ。そんな彼にも、否応なしに訪れる兵役義務。『軍隊』は、韓国社会の構造と分かち難く結びつく兵役義務を題材にしたドキュメンタリーだ。

 軍隊というテーマ自体は、さして珍しいものではない。9週間に渡るアメリカ陸軍の基礎訓練を追ったフレデリック・ワイズマン監督の『基礎訓練』や、米海兵隊ブートキャンプの12週間に密着した藤本幸久監督の『ONE SHOT ONE KILL 兵士になるということ』などの先例がある。それらと趣向が異なるのは、『軍隊』はウチョルという一人の青年にフォーカスすることで、全体主義の中の個人の葛藤を表出させようと試みていることだ。

 途中、苦しんだウチョルが射撃訓練を拒否したり、陸軍側の「彼は鬱になった」との申し出があったりするが、カメラは最後まで彼をとらえ続ける。序盤、銃を手で操ることにも四苦八苦していたウチョルだったが、それでもラストシーンでの式典では、何事もなかったように扱いが巧みになっている。その精悍な横顔がりりしくも、どこか哀しく映る。

 本作は全くプロパガンダ的な作りではなく、兵役を否定も肯定もしていないが、青春の時期にこうした管理下に2年間置かれることの歪みに目を向けさせようとする。と同時に感じるのは、監督のナレーションにあった「韓国では男性の先輩から“人に生まれたならば兵役に行かなければならない”と言われる」に象徴される、韓国におけるジェンダーロール(社会から期待されている性役割)の厳密さだ。

 ドキュメンタリーとはタッチも異なる劇映画だが、アン・ジュヨン監督『ボヒとノギャン/A Boy and Sungreen』(FIPRESCI賞)はティーンエイジャームービーならではの爽快感もありつつ、しっかり社会性を押さえた良作だった。

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『ボヒとノギャン』

 思春期真っ只中のナイーブな少年ボヒと、彼の親友で元気な女子ノギャン。ある日ボヒはひょんなことから、幼い頃に事故死したと聞かされていた父が生きていることを知る。母に軽くいなされたボヒは、どこかに生きているかもしれない父親を探しに、ノギャンとひと夏の冒険に出るのだった。

 ボヒとノギャンはいわゆる“プラルチング(幼なじみの大親友)”で、学校でもそのことでからかわれたりしている。たしかに、引っ込み思案で繊細なボヒと、向こう見ずで活発なノギャンというカップリングは、正攻法のボーイ・ミーツ・ガールものならば、惹かれあってゴールインだ。そんなラストを予想したのだが、『ボヒとノギャン』は平凡な恋愛映画とはやや異なる世界線に存在しているのだ。どうやら私自身、男女の出逢いこそ恋愛になるという、ある種の“呪い”で眼がくもっていたのかもしれないことに気づかされる。

 日本も同じだが、年頃の男女が恋愛関係にならないことに問題があるのだろうか。また、たとえば結婚をして子供がいたとしても、何かのきっかけで“本当の自分”に気づいたとき、生き方を変えてみてもいいのではないか。しかし、「男は女を、女は男を求めるべきで、家庭を持って子供をなすべき」とやんわりと厳命してくる不寛容な現実は、なかなかそれを許してくれない。しかし、こうした作品の存在が、ジェンダーロールに縛られた社会の呪いをさっと吹き飛ばしてくれるはずだ。ボヒの義姉の恋人が、コメディリリーフとしていい味を醸していた。


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第23回釜山国際映画祭
 期間:2018年10月4日(木)~10月13日(土)
 会場:釜山市内各所
 公式サイト http://www.biff.kr/


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