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Report 第23回釜山国際映画祭(6) ~BIFF2018最高の1本…『ハチドリ』

Text by Kachi
2018/12/26掲載



 ひょんなことで知り合ったソウル・鍾路(チョンノ)の独立映画館「ソウルアートシネマ」のスタッフSさんが、今年の釜山国際映画祭(以下、BIFF)作品で韓国人に一番人気なのはキム・ボラ監督の『ハチドリ/House of Hummingbird』(FIPRESCI賞、NETPAC賞、KNN観客賞)だと教えてくれた。Sさんは小津や成瀬を偏愛し、亡き若松孝二監督と若松プロの華やかりし季節を記録した青春劇映画『止められるか、俺たちを』について、今観たばかりだと興奮気味に話してくれる、熱いシネフィルだ。そんな彼女が勧めてくれる映画を見逃す手はないとばかりに、3日間チケットボックスに早朝から通い詰めたが、上映回数が多いにもかかわらず全く手に入らない。どうにか機会を得られたのは、釜山で過ごす最後の夜の一番遅い回だった。

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『ハチドリ』

 舞台は1994年。主人公のウニは、少女から大人の女性に少し背伸びをしつつある、反抗期にさしかかった14歳だ。別の中学校に通う恋人と子どもっぽいファーストキスを経験し、友達同士隠れて喫煙や万引きをし、後輩女子から恋ともつかない情熱を寄せられている。超難関のソウル大学への進学を父から厳命される兄は、プレッシャーへの苛立ちからかウニへ頻繁に手を上げる。年頃らしく奔放な姉に毎晩のように父親は激高し、時として母と流血沙汰の大喧嘩に発展する。大韓民国的家父長制が覆う、当時は当たり前だった家庭環境だ。

 「自分が嫌いになる」 そんな思いに苛まれる毎日の中で出逢ったある一人の女性が、ウニの生活にささやかな変化をもたらす。さしたる興味もなく通っていた中国語教室の新しい女性教師ヨンジは、誰にはばかることなくタバコをくゆらせ、物憂げに視線を投げかけながらも、たおやかさを感じさせた。そのたたずまいに、ウニは心を奪われる。

 突然の大病で入院したウニを訪ねたヨンジは、「もう誰にも殴られてはいけない。誰であっても、あなたに手を上げる人とは闘わないといけないの」と、芯の強い口調でウニに言い、ウニにとっては生涯忘れられない言葉になる。粒ぞろいのBIFF作品の中にあって、特に『ハチドリ』が優れていると感じたのは、エッセイ調の作りでありながら私たちが生きるこの現実世界へ自然にシンクロしているところだ。積み重ねられる繊細なエピソードは、まるで隣りに寄り添ってくれるようである。歴史的惨事の瞬間を映画の主軸として切り取ることで時代に連結し、さらに昨年から世界的なムーブメントになっている#MeToo運動にまでコミットしていく。脚本のディテールと背骨がしっかりしていて、なおかつテクニックだけに頼らない血の通ったストーリーに、心から感動した。ヨンジのセリフには、韓国が幾度となく巨大で野蛮な力に押し流され、足蹴にされようとも、その歩みを止めようとせずにきた姿勢がそのまま、一言で表されているのだ。

 『ハチドリ』に大いに泣かされた帰路、なぜこの国の映画はこれほどまでに豊かなのかを考えていた。ドキュメンタリーにしろフィクションにしろ、現実と切り結ぶことなく安全な映画が、ほぼ見当たらない。疲弊した現実社会に芸術である映画がひきずられてしまううらみはあれど、その生々しい手ざわりは忘れがたく印象を残す。荒涼としたこの世界で生きなければならない時、それでも「世界は美しいのよ」(『ハチドリ』より)と、スクリーンから語りかけられることは何と幸福で、明日を生きるよすがとなることだろうか。映画は良き隣人で、最良の伴侶であることを、釜山で痛感させられたのだった。

(了)


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 Report 第23回釜山国際映画祭(5) ~諦めきれない私たちの焦燥…『辺山』『バーニング』
 Report 第23回釜山国際映画祭(6) ~BIFF2018最高の1本…『ハチドリ』

第23回釜山国際映画祭
 期間:2018年10月4日(木)~10月13日(土)
 会場:釜山市内各所
 公式サイト http://www.biff.kr/


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Report 第23回釜山国際映画祭(5) ~諦めきれない私たちの焦燥…『辺山』『バーニング』

Text by Kachi
2018/12/24掲載



 『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』『金子文子と朴烈(パクヨル)』での演技も記憶に新しいチェ・ヒソを主演に迎えた、ハン・ガラム監督の『アワー・ボディ/Our Body』(女優賞)は、30歳を迎えて未だに公務員試験を受け続け、閉塞感にさいなまれる一人の女性が、同世代のスポーティーな彼女に出逢って変化していく作品であった。同性愛的コードもあったが、それ以上に、世代間に漂う閉塞感があった。ミドルエイジの焦燥と諦めは、今日的テーマとして映画祭作品に反映されていた。

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『辺山』

 筆者は韓国のヒップホップはおろか、ラップについても不見識だ。しかし韓国語のパッチムや激音、濃音とラップ独特の詞の表現の相性、そして悪口(욕)の豊富さが、本家アメリカにも劣らない言葉の応酬を可能にし、ローカライズされた形でシーンを盛り上げていることは、容易に想像できる。『ラジオ・スター』『楽しき人生』『あなたは遠いところに』で「音楽三部作」を完結させたイ・ジュニク監督の新境地『辺山/Sunset in My Hometown』で気づかされたのは、ラップとはセンスと運動神経が要求される上に、大変知的な営みが根にある、ということだ。

 ハクスはヒップホップのトーナメント番組を勝ち進む実力派ラッパーだが、イマイチ大人気とまではいかず、コンビニのバイトでしのぐ毎日を送っている。生まれ故郷の扶安(プアン)・辺山(ピョンサン)に何一ついい思い出はなく、唯一の肉親である父とは絶縁状態。田舎育ちじゃ格好がつかないと、ソウル出身と嘘をついている。ある日、地元の病院から、父が倒れたからすぐに帰郷するようにと連絡が来て、ハクスは渋々10年ぶりに辺山へ足を踏み入れる。未だに地元でつるんで大騒ぎしているダサい同級生たち。学生時代の威光をかさに着て親分面で後輩をこき使い、憧れの美人同級生をちゃっかりモノにしているクソな先輩。何より大嫌いな父親は、入院してはいるものの予想に反してピンピンしている。ハクスへの初恋を今も心に抱くソンミに、はた迷惑な熱視線を送られるわ、地元のドタバタに巻き込まれるわで散々な目に遭いながら、ハクスは反発と追憶に彩られたオリジナルの言葉を紡いでいく。

 ハクスも、病父の世話で地元に縛られながら小説を書くソンミも、やみくもに夢を追える年齢ではない。一方ソンミがそうであるように、韓国でも日本でも、親の介護に追われる歳のラインが確実に低年齢化している。どんなに遅咲きだろうとも、自身の情熱をすり減らして誰かのために生きることはまだ選べない。劇中のバックミュージックでは、心が成熟していない彼らと彼女たちの軋轢ともどかしさがこもったハクスのリリックが刻まれる。音楽をテーマに、人生に起こる喜怒哀楽を温かいコメディに仕上げることには折り紙つきのイ・ジュニクの手腕が、また冴えている。見終わった後、韓国ラップに親しみたくなった。ところで個人的には、ソンミ役のキム・ゴウンはクール系美女で、初恋の相手としては全然がっかりではない。

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『バーニング』

 どこの国でも、映画祭会場のエレベーターは、今観終えた映画の感想大会になる。『バーニング/Burning』上映後、観客はなかなか辛辣なことをつぶやいていた。

 誰もが傑作を観たい。巨匠と呼ばれた監督ならなおのこと、次回作は大きな期待を持って待ち望まれている。しかし私は、必ずしも傑作が観たいわけではないのだということを今回知った。傑作は誰もが観るからである。8年待ち続けたイ・チャンドン監督の新作『バーニング』のように決して放っておけない映画のことを、そうした作品を作り続けるイ・チャンドンのことを忘れたくない。

 肉体労働でその日をしのぐジョンスは、ソウルの雑踏で偶然幼なじみのヘミに再会する。ヘミはアフリカへ行くと唐突に言い出し、その間、飼い猫の世話をして欲しいと頼んで、ジョンスを自宅へ連れ込む。そのまま二人は行きがかりでセックスをする。ほどなく帰国したヘミは洗練された男性ベンを連れていて、迎えに来たジョンスを戸惑わせる。

 ベンはペントハウスにハイソサエティな友人を呼んではホームパーティーを繰り広げ、高級外車を乗り回している。日雇い労働者であり、坡州(パジュ)の農村にある荒れたジョンスの実家や、陽の差さないヘミのワンルームとは雲泥の差だ。ジョンスは皮肉を込めて、ベンを「韓国のグレート・ギャッツビー」と呼ぶ。だが、ベンは飽きたりない毎日を贅沢で取り繕っていたのだ。そしてある日、ジョンスはベンから、ビニールハウスを燃やすことの快楽について聞かされる。それからというもの、ジョンス自身もビニールハウスに火を放つ妄想に取り憑かれる。

 村上春樹の短編小説『納屋を焼く』を原作にしているが、エッセンスだけを借りた作りになっている。小説と違い、主人公のジョンスよりも、エキセントリックな魅力を持つヘミや冷静なベンが、村上春樹的人物をよく表している。個人的に村上春樹の書く斜に構えたような人物像が苦手だったのだが、この三人の若者は筆者の心を掴んで離さなかった。ジョンスの実家がある坡州は、北朝鮮にほど近いため、北が韓国政府を批判する放送がスピーカーで延々流されていて、片やそのそばには、南の守り神のように太極旗が高々と掲げられている。しかし、それらは三人の焦燥や諦め、幻滅に対して、何ひとつ慰謝にはなり得ない。ヘミが裸になって踊るシーンにさりげなく太極旗を入れるイ・チャンドンは、国によるがんじがらめを皮肉っているかのようだ。

 『バーニング』は撮影スケジュールが押したせいでキャスティングが変更された後、ユ・アインが「イ・チャンドンの男」に抜擢された。『ベテラン』『王の運命(さだめ) ―歴史を変えた八日間―』での熱のこもった演技で、すでに韓流イケメン・スターの殻を脱皮していたユ・アインだったが、本作でイ・チャンドンの洗礼を浴びたことで、更に若手俳優たちにおける「実力派」という評価のハードルを格段に上げてしまった。大きな演技をしている訳ではないのに、内部に炎を宿しているような末恐ろしい芝居、としか言いようがないが、極端なことを言えば今後、ユ・アインほどに演じなければ誰もが小手先の役者に過ぎないだろう。

 イ・チャンドンの映画は観ていて痛々しく、心身が疲弊させられる。本作のユ・アインや、『ペパーミント・キャンディー』のソル・ギョングがそうだったように、劇中人物は社会と時代の共苦的人物として自身を惜しみなく作品に捧げ、観客はまるで刃物でも突きつけられるようにそれを見届けるからだ。そもそも娯楽や爽快さは目指されていない。彼の作品にしかない人間の本物がある。描かれる世界はミニマムで時に唐突だが、生々しい焦燥や葛藤、悲しみに必ず寄り添える監督なのである。


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第23回釜山国際映画祭
 期間:2018年10月4日(木)~10月13日(土)
 会場:釜山市内各所
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Report 第23回釜山国際映画祭(4) ~歴史修正主義と闘い、ジェンダーロールの呪いを解く…『キム・グン』『記憶の戦争』『軍隊』『ボヒとノギャン』

Text by Kachi
2018/12/16掲載



 今年の韓国映画界では、保守政権下では作られなかった、あるいは公権力の横やりで上映が困難になる、いわば第2・第3の『ダイビング・ベル』になりえたアグレッシヴなドキュメンタリーが生み出された。セウォル号沈没事件の原因を、航路から科学的に分析していったこれまでにない真相究明ドキュメンタリー『2014年4月16日 その日、その海』はその好例だろう。今回の釜山国際映画祭(以下、BIFF)でいえば、『光化-ろうそくの火で歴史をおこす/Light A Candle, Write A History - Candlelight Revolution』は、ソウルの目抜き通り「光化門広場」で行われた大規模な朴槿恵退陣要求デモ、いわゆる「ろうそくデモ」が、いかにして時の政権を追い込んでいったかの記録である。今こそ作られるべき、大変現代性をはらんだ作品であった。こうした映画が残ることの意義はもちろん理解したうえで言えば、ニュースなどでも見られたデモの様子にカメラを回し、参加者の数人にインタビューをしただけでは、映画の出来栄えとして少々物足りない。市民が政治を勝ち取る道のりとなった「ろうそくデモ」は、韓国民主化運動再びといった様相であり、政治への不信と閉塞感にあふれた日本に住む者としては熱い想いで見守っていた。そんなドラマティックな出来事が題材として優れているのは当然で、少々撮影対象の良さに寄りかかりすぎていた。

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『光化-ろうそくの火で歴史をおこす』

 昨年、『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』が韓国で大きな興行成績をあげる裏で、こんな報道が出ていた。ソン・ガンホ扮するソウルのタクシー運転手キム・マンソプのモデルとなった人物キム・サボク氏が、実は朴正煕暗殺未遂事件として有名な「文世光事件」に浅からぬ縁があるというものだ。朝鮮総連の関わりが明らかにされているこの事件で、サボク氏は主犯である文の運転手をしていたという。かねてより光州事件は、朝鮮総連や在日韓国民主統一連合(当時は韓民統)による陰謀論を指摘する動きがあったが、このことを理由にキム・サボク氏は、映画で描かれたような人物ではなく、北の重要な任務を担うスパイであったという論争が巻き起こった。

 当時の証言を省みたり、歴史を丁寧にひもとけば、こうした言説は現実や常識から逸脱したいわゆる“トンデモ論”以外の何ものでもない。しかし、これを「ああいう手合いは相手にしなければいい」とあえて闘わなかったことが、差別的言辞をほしいままに垂れ流す“ネトウヨ”たちの増加であり、今の日本の陰湿な不寛容さの温床になったことを考えると、敢然と声をあげるべき問題である。カン・サンウ監督『キム・グン/KIM-GUN』は、映画という手段で歴史修正主義と静かに闘う映画だ。

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『キム・グン』

 冒頭、元陸軍大領で軍事評論家の池萬元(チ・マノン)氏が弁舌をふるっている。光州事件の際、全斗煥政権が送り込んだ鎮圧隊と戦った、市民軍の顔の輪郭やパーツの位置をもっともらしく科学分析し、「北朝鮮の労働党で写真に写る幹部の誰それに間違いない。つまり市民軍は、北の工作員なのだ」と主張して、覆面をした彼らを“光州No.1”というナンバリングで糾弾する。日本の右派論壇にもよくみられる歴史修正主義だが、池氏の街頭演説での様子をみると一定以上の支持を得ていて、妄言とは切り捨てられない危うさがある。

 この映画のメインビジュアルに使用されている、カメラに強ばった表情を向ける一人の市民軍の男性。監督は、この象徴的な人物「キム・グン」に焦点を当て、彼の足跡と正体を追っていくのだが、その過程であらわになるのは、民主化運動というものが熱気を帯びた季節であった一方で、人々が深く傷を負い、今もそこに閉じこめられている現実だ。

 本作のような映画は、たとえば「この作品が手柄になる」というような思い上がりがどこかに見え隠れすると、作り手自身の独りよがりに過ぎない結果物になる。しかし監督の姿勢には、そうしたナルシシズムは感じられない。事件について口に出せず沈黙して生きている人たちの怒りと慟哭を静かにみつめつつ、今なお生々しい誰かの傷に触れる手に、覚悟と優しさがあるのだ。

 長編ドキュメンタリー『きらめく拍手の音』で、イ=キル・ボラ監督にインタビューしたのは昨年のことだった。コーダ(CODA,Children of Deaf Adults:ろうの親を持つ健聴の子)という難しい自身の立場を、真摯に、しかし明るく捉える監督に、この不寛容の時代をどう生きるべきかを質問した際、障害者や人種差別、女性差別、マイノリティへの差別があり、他人という違う存在を認めない韓国の社会状況を指摘して「すべては“自分とは違う”という考え方を持つこと」と応えてくれた。そんな監督が次回作に選んだのが、ベトナム戦争における韓国軍の虐殺事件についてだ。ベトナム戦争の話題は韓国でも未だに触れがたく、映画の題材にすること自体が困難なはずだ。監督がかつて話した「自分とは異なる他者を認める」という言葉が、こうした形で表現されることに大きな意義を感じる。

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『記憶の戦争』

 『記憶の戦争/A War of Memories』(ドキュメンタリー部門:Biff Mecenat Awardスペシャル・メンション)で、イ=キル・ボラ監督は、幼い頃から耳の聞こえない両親の代わりに周囲と意思疎通にあたっていた経験を生かし、「韓国軍が住民を円形に囲み、銃で虐殺するのをこの目で見ていた」と語る、ろうあの被害者からも証言を得る。妹を殺された男性。ハミ村とフォンニィ・フォンニャット村、それぞれで起きた虐殺事件を生きのびた二人の女性、グェン・ティ・タンさん(二人とも同じ名前)。抑圧と傍観の中で忘れ去られかけている、文字通りの声なき声がすくい取られていく。

 二人の女性は、今年4月22日に韓国で開かれた「ベトナム虐殺真相究明模擬法廷」への出廷を決意する。韓国軍による民間人虐殺の真相究明を目指す「市民平和法廷」は、自分と家族が負った被害に対して、韓国政府の損害賠償金の支給と真相調査などを請求する訴訟だ。模擬法廷なので、法的効力はないが、ベトナム民間人虐殺について少しでも韓国社会でイシュー化することが目的だ。

 しかし、そこに元韓国軍人たちが立ちはだかる。「(自分たちが殺した)あいつらはベトコンで、一般市民ではない。我々は日本人やドイツ人とは違うんだ」と主張し、彼女たちへの抗議行動に出たのだ。平和法廷の場にも乗り込んできて、受付でスタッフに言いがかりをつける。歴史を都合良く変質させようとする者、抑圧する側の人間は誰も彼も同じで、凡庸な暴力的言説と行動を取るものなのだ。

 今、性被害や暴力などの多くの場面で「もう口を閉ざしてはいけない」と、被害者たちが勇気を持って社会に告発している。にもかかわらずその過程で再び傷つけられてしまう理不尽な現実には、怒りしかこみあげてこない。唯一、法廷に参加した女子中学生が「私たちがこの国で、おばさんたちのことを伝えていく」と語りかけていることに救いが見出せた。

 韓国とベトナムの国交正常化以降、歴代大統領の何人かは訪問のたびにベトナムに対する“遺憾の意”を口にしている。文在寅大統領も今年3月に行われたベトナム首相との首脳会談時、ベトナム戦争当時の韓国軍の参戦と民間人虐殺について「私たちの心に残っている両国間の不幸な歴史に対して遺憾の意を表わす」と述べた。しかし、今なお韓国政府は、ベトナムにおける戦争犯罪についての公式的態度を示していない。

 題材の普遍や特殊性の如何を問わず、監督が何を撮り、そのことをどう伝えたいのか。作り手の意思が明確に見えたのが、ケルヴィン・キョン・クン・パク監督『軍隊/ARMY』(ドキュメンタリー部門:Biff Mecenat Award)である。

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『軍隊』

 K-POPアイドルを彷彿とさせる端正な顔立ち。日焼け止めが汗で流れて白くなった肌を、周りにからかわれる。髪型とスキンケアに気を配り、服務の休憩中に彼女へいそいそと電話をかける。信仰を持ち礼拝堂で祈りを捧げることもある。このドキュメンタリーの主人公は、今どきの韓国人青年ウチョルだ。そんな彼にも、否応なしに訪れる兵役義務。『軍隊』は、韓国社会の構造と分かち難く結びつく兵役義務を題材にしたドキュメンタリーだ。

 軍隊というテーマ自体は、さして珍しいものではない。9週間に渡るアメリカ陸軍の基礎訓練を追ったフレデリック・ワイズマン監督の『基礎訓練』や、米海兵隊ブートキャンプの12週間に密着した藤本幸久監督の『ONE SHOT ONE KILL 兵士になるということ』などの先例がある。それらと趣向が異なるのは、『軍隊』はウチョルという一人の青年にフォーカスすることで、全体主義の中の個人の葛藤を表出させようと試みていることだ。

 途中、苦しんだウチョルが射撃訓練を拒否したり、陸軍側の「彼は鬱になった」との申し出があったりするが、カメラは最後まで彼をとらえ続ける。序盤、銃を手で操ることにも四苦八苦していたウチョルだったが、それでもラストシーンでの式典では、何事もなかったように扱いが巧みになっている。その精悍な横顔がりりしくも、どこか哀しく映る。

 本作は全くプロパガンダ的な作りではなく、兵役を否定も肯定もしていないが、青春の時期にこうした管理下に2年間置かれることの歪みに目を向けさせようとする。と同時に感じるのは、監督のナレーションにあった「韓国では男性の先輩から“人に生まれたならば兵役に行かなければならない”と言われる」に象徴される、韓国におけるジェンダーロール(社会から期待されている性役割)の厳密さだ。

 ドキュメンタリーとはタッチも異なる劇映画だが、アン・ジュヨン監督『ボヒとノギャン/A Boy and Sungreen』(FIPRESCI賞)はティーンエイジャームービーならではの爽快感もありつつ、しっかり社会性を押さえた良作だった。

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『ボヒとノギャン』

 思春期真っ只中のナイーブな少年ボヒと、彼の親友で元気な女子ノギャン。ある日ボヒはひょんなことから、幼い頃に事故死したと聞かされていた父が生きていることを知る。母に軽くいなされたボヒは、どこかに生きているかもしれない父親を探しに、ノギャンとひと夏の冒険に出るのだった。

 ボヒとノギャンはいわゆる“プラルチング(幼なじみの大親友)”で、学校でもそのことでからかわれたりしている。たしかに、引っ込み思案で繊細なボヒと、向こう見ずで活発なノギャンというカップリングは、正攻法のボーイ・ミーツ・ガールものならば、惹かれあってゴールインだ。そんなラストを予想したのだが、『ボヒとノギャン』は平凡な恋愛映画とはやや異なる世界線に存在しているのだ。どうやら私自身、男女の出逢いこそ恋愛になるという、ある種の“呪い”で眼がくもっていたのかもしれないことに気づかされる。

 日本も同じだが、年頃の男女が恋愛関係にならないことに問題があるのだろうか。また、たとえば結婚をして子供がいたとしても、何かのきっかけで“本当の自分”に気づいたとき、生き方を変えてみてもいいのではないか。しかし、「男は女を、女は男を求めるべきで、家庭を持って子供をなすべき」とやんわりと厳命してくる不寛容な現実は、なかなかそれを許してくれない。しかし、こうした作品の存在が、ジェンダーロールに縛られた社会の呪いをさっと吹き飛ばしてくれるはずだ。ボヒの義姉の恋人が、コメディリリーフとしていい味を醸していた。


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 期間:2018年10月4日(木)~10月13日(土)
 会場:釜山市内各所
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Report 第23回釜山国際映画祭(3) ~哀れさと傷に寄り添うこと…『ヨンジュ』『呼吸』

Text by Kachi
2018/12/13掲載



 昨年、山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された、アナーキーなグランドコアバンド、パムソム海賊団の活躍と落日を追った刺激的なドキュメンタリー『パムソム海賊団、ソウル・インフェルノ』の中で、一瞬シビアな空気が漂う。ドラマーのヨンマンが野外ライブのMCで「俺たちがなぜ親に顔向けできないのかといえば、稼いでいないからだ」と語るシーンだ。7月、文在寅大統領は新婚夫婦や若者世代の住宅難を解消するための対策を発表したが、8月の青年失業率は10%を超えた。映画に目を向けると、リアリズムこそ韓国映画の心髄とばかりに、シビアで酷薄な社会状況から目を逸らすことのない作品が相変わらず豊作だ。その中でも、予定調和を許さないながらも一筋の希望を抱かせる良作に出会えた。

 チャ・ソンドク監督の『ヨンジュ/Youngju』。ヨンジュは16歳の時に両親を交通事故で失い、2歳下の弟を支えながら生きてきた。叔父夫妻はヨンジュが生まれ育った家を売りに出そうとし、弟と激しいぶつかり合いになる。ある日、弟が友人たちと集団で窃盗事件を起こして補導され、多額の保釈金が必要になる。家のことで揉めた叔母からはすげなくされ、行き詰まったヨンジュは、両親を事故死させた男性の下を訪ねる。男性はすでに刑期を全うし、妻と小さな豆腐店を営んでいた。ヨンジュは自らの正体を明かせないまま、夫婦に雇ってもらう。

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『ヨンジュ』

 大学生の弟に、スーパーの倉庫で夜勤のヨンジュ。ふたりは決して裕福ではない。「生きていくために仕方がない」とはよく使われるセリフだが、韓国映画のそれは、選択肢としてのレベルが本当に深刻だ。ヨンジュが借金に奔走し、顔も見たくないはずの家族の下へ足を向けるシークエンスなど、そのヒリヒリするまでの心の在り様が胸に迫る。昨年の釜山国際映画祭上映作『最後の息子』同様、絶望の底まで沈む者が、もがくうちに正しくない手段を選んでしまう心情が、丁寧に書き込まれている。ティーンエイジという多感な時に、早く大人になることが必要だったヨンジュは、もうすぐ20歳を迎えるというが、実年齢よりずっと幼く見える。当初は復讐心を燃やしていたヨンジュだったが、ずっと恋しかった親の温もりに安堵していく。

 人はつらい時、自分が一番不幸だと錯覚してしまいがちだ。だがむしろ、人生に何の傷もない人間がいるだろうか。自分を不幸せにした誰かが実は何も手にしていないことを知って、憎しみの矛先が行き場を失った時、人間はどうあるべきなのだろう。

 クォン・マンギ監督『呼吸/Clean up』(KTH賞受賞)の主人公は、清掃会社で働きながら、酒とたばこにおぼれる日々を一人送る女性、チョンジュ。教会で祈りを捧げるが、心は一向におだやかにならない。ある日、出所者の社会復帰に力を入れる社長が新しく雇った青年ミングを見て、チョンジュはひどく狼狽える。かつて、身体が弱かった息子の手術代を捻出するため、チョンジュが夫と画策して誘拐した男の子だったからだ。身代金と引き替えにミングを解放したが、多額の金銭を捻出したミングの母親は、病気の治療を受けられずに亡くなり、父親は自殺。たった一人で生きていくため、ミングは盗品を売りさばいて逮捕されたのだ。そして、チョンジュの息子も手術の甲斐なく亡くなったのだった。ミングに負い目を感じるチョンジュは、さりげなく目をかける。自分を誘拐した犯人であることに気づかないミングは、いつしか彼女を慕うようになる。

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『呼吸』

 清掃会社はゴミ屋敷はもちろんのこと、不幸にも看取る者もなく亡くなった者の住まいや、凄惨な殺人現場の後始末をも引き受けている。実際に稼働している清掃会社が撮影協力した本作は、グロテスクなまでに現実に忠実なシーンがある。また、清掃現場の風景がそうであるように、家族を失って関係性の断絶の中で生きるチョンジュやミングも、たった一人で死んでいくかもしれない。『呼吸』の観客は、そうした生々しさにはりつめた気持ちで向き合うことになる。

 本作の英題『Clean up』は文字通り、“清掃”と“罪を洗い流すこと”のダブルミーニングになっている。しかし、罪悪感とは物質的な染みや垢ではない。こすって落とそう、なかったことにしてしまおうとすればするほどに、その後ろめたさがますます罪の所在を明確にしてしまうからだ。罪悪感とは、自身の心に刻みつけられたものなのである。

 自身に起きた身を切るような悲しみを、なかったことにして新しく生きることももちろん必要かもしれない。しかし本作が寄り添うのは、罪を犯した上に希望も見いだせなかった、あまりに哀れで、誰よりも孤独な人間たちだ。救済と贖罪は果たして実現しうるのか。『群盗』で弓の名手マヒャンを凜々しく演じていたユン・ジヘが、荒みきった中年女性を力演していた。


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 Report 第23回釜山国際映画祭(6) ~BIFF2018最高の1本…『ハチドリ』

第23回釜山国際映画祭
 期間:2018年10月4日(木)~10月13日(土)
 会場:釜山市内各所
 公式サイト http://www.biff.kr/


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Report 第23回釜山国際映画祭(2) ~巨匠イム・グォンテクに遭遇…『102番目の雲』

Text by Kachi
2018/12/9掲載



 イム・グォンテク監督の102作目である『火葬/化粧』の撮影舞台裏を捉えたドキュメンタリー映画『102番目の雲/Cloud, Encore』で、一瞬取材を忘れるサプライズがあった。上映後、本ドキュメンタリーを手がけたチョン・ソンイル監督のQ&Aの直前で誰かが紹介された。後方の座席にいた私は、観客席の中央付近でゆっくりと立ち上がり、脱帽して挨拶した人物が、イム・グォンテク監督その人だとすぐに反応できなかった。韓国映画界のレジェンドの登場に会場が色めき立つ。釜山に行って最初に出くわした映画スターがイム・グォンテクとは! さすがに体力は年相応の様子だったが、映画を観た限りでは、細部への目配せはますます冴え渡っている。ちなみに私は見逃してしまったが、今映画祭では本作の前編であり、異なるアプローチで制作された『緑茶の重力/Gravity of the Tea』も上映されている。

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『102番目の雲』

 『火葬/化粧』は、2015年に韓国で公開された。癌で余命いくばくもない妻と、自身の課に新しく配属されてきた若い女性部下との間で揺れ動く、化粧品会社重役の中年男性の心情を綴っている。

 重役として個室にいる部長役のアン・ソンギが、観葉植物の隙間から部下をこっそりとのぞき見する。何度かカットがかかり、視線の高さについて微妙な調節が要求される。下品さや卑わいさは不思議と感じない。舞台裏を知って感じたのは、3年前に『火葬/化粧』を観たときに感じた官能美が、視線の語りに支えられていることである。

 『火葬/化粧』で特に印象深かったのは、死期が近づき一人で排泄も困難になった妻を、夫が入浴させるシーンだった。妻の汚れた陰部を夫が洗おうとするのを、羞恥心から力ない手で拒む妻の慟哭が胸に響く。どんな姿を晒そうとも、愛する伴侶として夫から認めていてもらいたいという欲求。迫真という一言では言い表せない演技には、鑑賞当時も畏敬の念を抱いたのだった。『102番目の雲』は、妻を演じたキム・ホジョンの、女優として最も過酷な本シーンの撮影前の強ばった表情をとらえている。イム・グォンテクは彼女に、懇切に重要さを伝える。撮影していて気分のいいシーンではないことは確かだ。でもこれは、彼女にとっての“化粧”なんだと。化粧とはただ美しく飾るばかりではない。性は人間の生そのものと分かち難いという事実に、真剣に向き合うがための描写なのだ。

 『火葬/化粧』そのものを観ていないとなかなか理解の難しいドキュメンタリーではあるが、むしろ今こそ、『火葬/化粧』『緑茶の重力』とともに上映されるべきではないだろうか。『風の丘を越えて~西便制』の劇中歌の「夢、夢、全て夢」という一節が、撮影の合間にうたた寝をするイム・グォンテクの姿に重ねられるシーンの茶目っ気も良かった。


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第23回釜山国際映画祭
 期間:2018年10月4日(木)~10月13日(土)
 会場:釜山市内各所
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