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Report 第21回東京フィルメックス ~現実のために、映画ができること

Text by Kachi
2020/12/31掲載



 「淡々とした日常」

 映画の解説文などでたびたび聞かれることのあるこの表現が、今年ほどまぶしく感じられたことはないのではないか。新型コロナウイルスは、私たちの暮らしを不安で劇的なものに変えてしまった。映画界もまた無傷ではなく、世界各国の名だたる映画祭が延期・縮小の憂き目を見た。たとえば、釜山国際映画祭は、予定より2週間遅れての開催で、開幕式やレッドカーペット、レセプションパーティーなどを実施せず、作品は例年より100編ほど減らしての上映となった。国内の映画祭も努力を続けていた。以前から考えられていたことだそうだが、今年は東京国際映画祭と東京フィルメックスは同時期の開催である。この原稿を書いている現在のことを思えば、早々に開催してしまったことは、第3波を予感させる現状を回避できたのが幸いだった。

 ここでは、東京フィルメックスで鑑賞した作品をご紹介する。


『逃げた女』に観る日常の些末の尊さ


 「作家の生き方・私生活と作品は切り分けられるか」

 映画のみならず創作の界隈では、しばしばこんなことが議論の俎上に上げられる。特にロマン・ポランスキーやウディ・アレン、キム・ギドクのように、作り手が著しい倫理規範を踏み外した場合に特に取り沙汰される問題であるが、そうではない場合でも、実生活の反映が映画の質を左右するかどうかは、長く論じられている。

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『逃げた女』

 ホン・サンスの場合はどうか。彼はある時期まで高みからじっと人間観察を行い、そのしばしばみっともなくてばかばかしい一挙手一投足を写し取ってきた。いわば神の視点の存在だったのだが、キム・ミニと出逢って一変したのではないか。『正しい日 間違えた日』は、キム・ミニ扮する画家と恋仲になる映画監督にはっきりと自身を投影する(いい意味での)臆面のなさを見せ、その後はキム・ミニを自身の現し身、孤独な表現者として作品に登場させることがある。ホン・サンスにとって、彼を取り巻く現実は作品のエッセンスなのである。

 『逃げた女』の主人公人妻ガミ(キム・ミニ)は、ソウルで家庭菜園をする友人の家に遊びに来ている。彼女の家で食事をしたり、仲の良い先輩に会ったりしている。立ち寄ったミニシアターでは、過去に一悶着あった友人ウジン(キム・セビョク)とその夫(クォン・ヘヒョ)に鉢合わせたりして、心をさざめきだたせたりしている。

 ミニマリズムと呼ばれて久しいホン・サンスの作風だが、たしかに登場人物・セット・スタッフ(今回、ホン・サンス自身が音楽を担当している)などは簡素だが、セリフは多い。いつも夫とだけ一緒にいるガミは、最近人に会うことを止めていると話す。「人に会うと、しなくてもいい話をしなければいけないから」だ。ホン・サンスの映画のセリフで考えると、これは“どうでもいい話”とは少しニュアンスが異なるのではないか。なぜなら、『逃げた女』で交わされている(というよりも、ほぼ全てのホン・サンス作品に該当する)会話はだいたいが日常の些末なものであり、しかしだからこそ永遠にこちらは見つめていられるし、ささいな生活の会話の端からふと見えた男女の恋愛事件に、彼らしい色っぽさを感じ取るのだ。もしかすると、現実に住む私たちは、余計な話をしすぎているのかもしれない。ちなみにホン・サンスのキム・ミニは、本当に気持ちがいいほどよく食べる。


『迂闊(うかつ)な犯罪』、歴史は“再現”できるのか


 シャーラム・モクリ監督『迂闊(うかつ)な犯罪』。1978年8月に実際にイランで起こった、上映中に放火され400人以上の犠牲者を出したレックス劇場事件を軸にしているが、いわゆるよくあるタイプの犯罪映画でも、歴史の出来事を再現した風の映画でもない。監督が好むという“シネマ・in・シネマ”(映画の中に入れ子のようにして映画が収まっている作品)の形式を取る本作は、たしかにイランで過去にあったイスラム革命といった政治的季節と連結しつつも、映画が事実を再現しうるかという、根源的な問いに果敢に挑んでいるようにみえる。韓国映画を例に引くと、昨年好評を博したカン・ヒョンチョル監督『スウィング・キッズ』が好例である。朝鮮戦争下で米軍が巨済に設置した朝鮮人収容所内で、捕虜たちがタップダンスをするというストーリーには明らかに虚構が入り交じっており、しかし、監督は冒頭の配給ロゴから徹頭徹尾“実際の歴史である”といったトーンで豪胆にやり切っていた。まぎれもなく、その胆力があの映画を力強い感動に導いている。事実の再現とは、突き詰めて考えるなら歴史の一点に存在することが不可能であり、過去の再現とは常に括弧付きの“シミュレーション”としか言いようがないのかもしれない。

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『迂闊(うかつ)な犯罪』


『アスワン』フィリピン麻薬撲滅運動、思い通りにならない現実


 アリックス・アイン・アルンパク監督のドキュメンタリー映画『アスワン』。“アスワン”とは、フィリピンの民間伝承に登場する吸血鬼で、冒頭でそれらが「人を食らっている」と語っている。ドゥテルテ政権が2016年に誕生したのち、麻薬撲滅戦争を掲げた大統領は超法規的な処置で“麻薬組織”の一掃を命じた。警察は、公権力の名の下で罪のない人たちの殺人も辞さない。親が投獄され、あてもないままゴミための中で生活するストリートキッズたちは、警察への悪態を言い放ち、生活も口ぶりも荒んでいて、ここに至るまで幼い心がいかにすり切れたかがうかがい知れる。警官が無辜の人々を突然逮捕し、金を要求して釈放か起訴かを選ばせる卑劣さには言葉を失う。その後、隠されていた監禁部屋が明るみになると人々は解放されるが、証拠不十分のまま移送されることになってしまう。カメラは図らずも教会と人権委員会の限界が浮き彫りになるところも捉えていて、むなしさは募るばかりだが、事態の打開を探る宣教師、ジャーナリストの姿が救いだ。

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『アスワン』


『海が青くなるまで泳ぐ』『仕事と日(塩谷の谷間で)』ドキュメンタリーと劇映画の境界を考える


 続いて観た作品たちは、ドキュメンタリー映画とフィクションの境界を根底から曖昧にさせるような作品だった。

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『海が青くなるまで泳ぐ』

 ジャ・ジャンクー『海が青くなるまで泳ぐ』。本作は、2019年5月に数十名の作家を招いて山西省で開催された文学フォーラムから派生している。文化大革命以前から活躍した山西省の作家である故マー・フォン、現役の4人の作家を焦点に当てている。ちなみにその一人、1960年代生まれの余華は、ハ・ジョンウ監督・主演作品『いつか家族に』の原作小説「血を売る男」の作者である。

 18章から成る本作は、章が変わるごとに作家たちの作品の一節が読み上げられるとともに劇伴が大きくなり、作家の子孫や本人らインタビュイーたちは、こうした取材を受けることに慣れているためか滔々と家族と自身について語る。その“すでに出来上がっている”感覚、つまり現実が侵犯するような兆候がまるでうかがえない様子が、まるでドキュメンタリーとして演出されたフィクションのように見えた。

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『仕事と日(塩谷の谷間で)』

 このジャ・ジャンクーの作品は、C.W.ウィンター&アンダース・エドストロームによる8時間の大作『仕事と日(塩谷の谷間で)』と、不思議な比較関係を持っていた。人口47人の京都府の山村に住まう人々の14ヶ月間を追ったドキュメンタリー的作風でありながら、病床の夫を看病しつつ畑仕事などの日常を送る塩尻たよこ(本人)を中心にした村人の生活を描いた劇映画でもある。加瀬亮、本木雅弘といった俳優陣も役名で出演しているのだから、たしかにフィクションであると言えよう。だが、映像や音の(特に村人の声)の捉え方、たよこが日々つづる日記の挿入など、本作のルックは徹底してドキュメンタリー的である。たよこが日々つづる日記が、そのドキュメンタリー的演出を特に際立たせている。

 『海が青くなるまで泳ぐ』『仕事と日(塩谷の谷間で)』は、既に定まったフィクション/ノンフィクションの境目を揺るがした。他に取り上げた作品も、現実とスクリーンとは常に切り結ぶものだと改めて考えさせられるものであった。今のようにコロナ禍で硬直化してしまった現実に、映画という「演出されたもの」がどう作用できるかを考えさせられるのだった。ささやかな日々が手に届かないものとなった今も、映画は今まで通り「映る」ことしかできないだろう。しかし、そこに映るものにしか、失われたものは存在しないだろう。


第21回東京フィルメックス
 期間:2020年10月30日(金)~11月7日(土)
 会場:有楽町朝日ホールほか
 公式サイト https://filmex.jp/2020/


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Report 福岡インディペンデント映画祭2020 ~釜山独立映画祭推薦の3作品を招待上映

Text by 井上康子
写真提供:福岡インディペンデント映画祭事務局
2020/12/31掲載



 第12回を迎えた福岡インディペンデント映画祭2020(以下、FIDFF)が、11月19日(木)~11月23日(月・祝)に福岡市内で開催された。昨年は募集がなかったコンペが行われ、若手映像作家からの応募113作品、海外・国内招待5作品の計118作品が上映された。初回から交流が継続している釜山の映画祭の作品上映が昨年はなかったが、今年は釜山独立映画祭(以下、IFFB)推薦の3作品が招待上映された。今年は残念ながらコンペ作品を見られなかったが、この3作品は見ることができたので報告したい。


『アイス』イ・ソンウク監督


 クィア映画を対象にしたソウル国際プライド映画祭2019閉幕作。タイトルのアイスは薬物を指す。薬物を探し求めて、クィアの男性二人が彷徨する。身体を重ねる二人だが互いの連絡先も明かさず、いつ警察に捕まるか、いつ身体を壊すかと怯えて過ごす。最後まで緊張を途切れさせることなく見せてくれた。

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『アイス』


『木曜日』ユン・ジヘ監督


 IFFB2019で審査員特別賞を受賞した作品。講師アシスタントの仕事を失った女性と葬儀に出るために自分の店を閉めた男性は、同じ空間を異なる時間に通り過ぎる。無機的な建物の上を静かに時間が流れる。整った構図と映像の美しさが秀逸だった。

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『木曜日』


『Sibal、movie』クォン・へリン監督


 監督自身が登場するドキュメンタリーで、IFFB2019で最優秀の作品に授与される大賞受賞作。タイトルの「Sibal」は韓国語の罵倒表現「クソッタレ!」と「始発」を意味している。映画作りのために借金を抱えてしまい、悪態をつきながら、なぜ映画を好きになったのかと出発地点を探しだそうとする。監督自身が家族も巻き込んでリアルな姿をさらけ出し、あまりのインパクトの強さに画面から目が離せなかった。

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『Sibal、movie』


 作品上映前には各監督のビデオメッセージが映された。例年、監督たちはゲスト来福しており、新型コロナのために来福が叶わなかった残念さを訴えつつ、作品のこと、今できることに励んでいる近況を報告してくれた。整頓された自室で、居住まいを正しての語りにFIDFFと福岡の観客への敬意が滲み出ていた。


第12回福岡インディペンデント映画祭2020
 期間:2020年11月19日(木)~11月23日(月・祝)
 会場:福岡市科学館 6F サイエンスホールほか
 公式サイト http://www.fidff.com/

Writer's Note
 井上康子。FIDFF2016でグランプリを獲得したヒョン・スルウ監督『アレルギー』の主演女優コン・ミンジョン(当時の名はキム・イジョン)さんが『82年生まれ、キム・ジヨン』でジヨンの姉を好演。同じく『アレルギー』主演ソ・ヒョヌさん共々、いろいろな映画で私の印象に強く残る演技を見せてくれている。


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Report アジアフォーカス・福岡国際映画祭2020 ~チャン・リュル監督『福岡』モノクロ版をオープニング上映

Text by 井上康子
2020/10/3掲載



 「アジアフォーカス・福岡国際映画祭2020(以下、アジアフォーカス)」が、9月20日から5日間、福岡市内会場で開催された。チャン・リュル監督が福岡で撮った『福岡』モノクロ版がオープニング上映され、アジアの新作・話題作、アノーチャ・スウィチャーゴーンポン監督特集、日本映画特集など、公式招待22作品の上映があった。また、関連企画として他の会場でもアジア映画上映があり、併せて、22ヶ国・地域、全59作品が上映された。新型コロナ禍でゲスト来福はなかったが上映前には監督たちのビデオメッセージが流された。


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『犯罪現場』

香港とタイの現状を重ねた、福岡観客賞『犯罪現場』とアノーチャ・スウィチャーゴーンポン監督特集


 アジアフォーカス2018に『大楽師』で福岡観客賞(観客投票の第1位作品に授与)を受賞したフォン・チーチアン監督が『犯罪現場』で2度目の福岡観客賞受賞となった。クライムサスペンスだが徹底的な悪人は登場せず、主人公の刑事は犯罪現場にいたオウムから犯人を聞き出そうとするなど『大楽師』同様、作品全体はほのぼのとした温かみがあり、多くの観客に好まれたのが肯けた。受賞メッセージ(映画祭公式サイトに掲載)では厳しい表情で「香港映画にも境界線はない。自分が信じた映画を撮り続けていく」「私たちは今まで諦めたことはない」と語る監督のことばに胸が痛くなった。広東語の自由な表現の香港映画をこれからも見続けたい。

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『暗くなるまでには』

 アノーチャ・スウィチャーゴーンポン監督特集ではアジアフォーカス2010で上映された『ありふれた話』、同2017で上映『暗くなるまでには(2017のタイトルは『いつか暗くなるときに』)』、『クラビ、2562』、「アノーチャ・ショート・フィルム傑作選」が上映された。監督は1976年生まれで、同年にタイのタマサート大学で起きた「血の水曜日事件」で学生たちが虐殺されたことを自身の起点の一部ととらえているようだ。『暗くなるまでには』は事件で生き残って作家になった女性、その作家の映画を撮ろうとする監督達が登場するが、夢と現実、時間と空間は交錯して前衛的だが至って静謐。出来事の意味付けは見る者に委ねられており、主体的鑑賞が促される。2017年にゲスト来福した監督が「観客が想像するのが映画」と語ったことも印象深く、ぜひもう一度見たいと思っていた作品だった。『ありふれた話』では明示はされていないが筆者には虐殺事件で傷ついた生還者の再生がイメージされた。折しもタイでは民主化を求める大規模な集会が開かれ、今後、さらに緊張が高まる気配だ。

 「アノーチャ・ショート・フィルム傑作選」で冒頭に上映された、コロンビア大学卒業制作で監督デビュー作『グレイスランド』と2019年制作『クラビ、2562』では、仏教文化と欧米文化の遭遇が描かれ、タイから米国に留学した監督が文化の異なりに関心を持ち続けていることが伺えた。


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『土曜の午後に』

アジアの新作・話題作 独自な撮り方でアジアの今を見せる


 『三人姉妹の物語』はトルコの雪に覆われた山岳地帯を舞台にした作品。町に出なければ未来はなく、町に出るためには子守奉公をするしかない。三人はそれぞれの事情で奉公先から実家に帰されるが、自分たちの未来のためにまた町に出ようと奮闘する。個性的な三姉妹の逞しさがすてきだった。熊本市賞(観客投票の第2位作品に授与)受賞の『土曜の午後に』は2016年にイスラム過激派が起こした「ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件」を基にした作品で、凶悪なテロ現場をワンショット映像で緊張が途切れることなく見せた。『樹上の家』はベトナムの少数民族に彼らの家について、火星で映画を作ろうとする監督がインタビューを行うという作品。監督は少数民族のアイデンティティに敬意を抱き、家の意味を深めていく。火星が登場するユニークな設定は少数民族同化政策を取る政府を刺激しないための工夫のようだ。『明日から幸せな人になろう』は地方から北京に出稼ぎに来た青年の姿を追う。同居人のいる地下部屋でも、職場でも、町の中でも彼に関心を払う人は誰もいない。大都会の無機的な空間に彼の寂寥が立ち上る。『昨夜、あなたが微笑んでいた』はプノンペンの集合住宅の取り壊し過程を描いたドキュメンタリー。住宅も住民もポル・ポト政権下を生き延びたが、住宅は壊され、住民はわずかな補償金で次の住処を探さなくてはならない。『ジャッリカットゥ』はインド南部の伝統的な牛追い祭りのこと。本作では、肉屋の処理場から脱走した巨大なバッファローを大群衆の男たちが我先に追っていく。そのスピード感が心地良い。『マリアム』では夫の失跡で収入を断たれたマリアムが子供を養うために、夫が死んだと虚偽の申告をして公的援助金を受け、苦境に陥る。監督がカザフスタンのテレビ番組で取材した女性の実話を基にした作品でマリアムは本人が演じている。雪原での生活の厳しさに彼女の人生の辛苦が重なる。


『福岡』モノクロ版上映 チャン・リュル監督が語ったモノクロの良さ


 昨年、カラー版『福岡』がオープニング上映されたのに引き続き、今年はモノクロ版が上映された。「カラーは現実をリアルに写すという点で優れており、モノクロは物語と登場人物の心情に意識をより集中させやすくなるはず」と監督は述べている。確かに、悲しい夢のような『福岡』の物語にはモノクロがマッチしていると思われた。

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『福岡』モノクロ版

 『福岡』後に監督が柳川で撮影した『柳川』は、撮影は完了していたものの、新型コロナの影響でその後の作業が滞っているそうだ。来年は『柳川』が見たい。会場でゲストたちの話も聞きたい。そのような状況になっていることを祈るばかりだ。


アジアフォーカス・福岡国際映画祭2020
 期間:2020年9月20日(日)~9月24日(木)
 会場:キャナルシティ博多(ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13)
 公式サイト http://www.focus-on-asia.com/

Writer's Note
 井上康子。『82年生まれ、キム・ジヨン』が日本でもベストセラーになったことが影響しているのか、小説の翻訳が増えていて喜ばしい。チョン・セラン著『保健室のアン・ウニョン先生』の主人公は高校の養護教諭で霊を見る力を持ち、校内に溜まった悪から生徒を守る。特別な能力を持つ自分がすべきことと諦観し、おもちゃの剣で果敢に立ち向かう姿は誰もが応援したくなるだろう。映画化されないだろうか。


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Report 第24回釜山国際映画祭(BIFF2019) ~分断に直面するとき、どうあるべきかを気づかせる映画たち

Text by Kachi
2020/7/11掲載



2014年6月の記憶


 2014年6月のソウルを忘れられずにいる。折しもブラジルW杯の最中で、仁川国際空港の到着ロビーのモニターでは、韓国代表の試合が映っていた。ありふれた光景だが、モニターの前の人たちの空気は、目の前の試合ではない、どこかもっと遠くを見ているようにうつろだった。その2ヶ月前に国ごと鈍色の海へ沈んでしまったように感じた。ただ、悲しみとともに韓国の人々の心に宿ったのは、政治問題とはわが事なのだという、民主化運動以来の強い怒りだった。その火のような思いが、人々を光化門広場へと駆り立てていく。

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『君の誕生日/Birthday』

 イ・ジョンオン監督『君の誕生日/Birthday』は、フィクションとして、今もなお悲しみの底にいる遺族の姿を映し出すことで絶望に寄り添おうとする。無職の父ジョンイル(ソル・ギョング)と離婚を望む母スンナム(チョン・ドヨン)、子供らしく振る舞いつつもどこか不安を隠す幼い娘イェスル(キム・ボミン)の3人家族のほころびた関係を明らかにしていく中で、セウォル号事故が、ある平穏な家族の日常を永遠に戻らない暗闇へ放り込んでしまったと痛感させる。事故についての検証ドキュメンタリーが多数製作され、未だに解明されていない事実を詳らかにする動きとなっている。他方、本作の役者たちの喪失感は演技ではあるが、チョン・ドヨンは『シークレット・サンシャイン』の母親を、ソル・ギョングは『ソウォン/願い』の父親を彷彿とさせて、亡くなった304人の高校生たちの家族のそれに重なり映画の中で放たれる。そのとき、劇映画の力を改めて感じる。


「History(男性の歴史)」ではなく「Herstory(女性の歴史)」へ


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『Things That Do Us Part/私たちを引き離すもの』

 『82年生まれ、キム・ジヨン』は書籍・映画ともに好評を博した。この作品が先鞭をつけた形になったフェミニズム文化の潮流だが、BIFFにあっては、毎年花盛りだ。特に昨今の韓国では「History(男性の歴史)」を「Herstory(女性の歴史)」としてとらえ直す試みが続いていて、フェミニズム的視点の映像作品が次々と作られており、イム・フンスン監督『Things That Do Us Part/私たちを引き離すもの』や、キム・ドンリョン監督、パク・キョンテ監督『The Pregnant Tree and the Goblin/妊娠した木と鬼』に表れていた。

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『The Pregnant Tree and the Goblin/妊娠した木と鬼』

 前者は『危路工団』のイム監督が、済州島4.3事件や民主化運動といった闘争の歴史で語られてこなかった女性を主人公にするドキュメンタリーであり、後者は議政府(ウィジョンブ)に住む元慰安婦の女性が、同じく慰安婦だった同僚が亡くなったことを知り一人で弔いをはじめるうち、黄泉路と交差するかのような不思議な旅へと足を踏み入れていく虚実入り混じった不思議な映画だ。いずれも伝統的な映画の語り方には収まらない実験的な手法で、彼女たちが背負った物語にアプローチしていく。以前、韓国の実験映画史について、「1980年代の民主化闘争の真っ只中にあった時代は、芸術的に飾ることよりも、率直に憤りが表現される手法が好まれたことで、映画史の中のミッシングリンクとなっている」という話を聞いた。翻って考えれば、女性を描く映画でこうした前衛的な手法を取られるということは、それだけ現代の韓国社会における女性問題のフェーズが、先進的であるといえるのかもしれない。


弱い者たちの強い連帯


 コ・フン監督『Paper Flower/紙の花』。事故で脊椎麻痺の息子ジヒョク(キム・ヘソン)を一人で育ててきた葬儀会社の納棺師ソンギル(アン・ソンギ)が、ウンスク(ユジン)とノウル(チャン・ジェヒ)母子と出会う。ウンスクがジヒョクのホームヘルパーを買って出たことで、体の自由を失って以来心を閉ざしていたジヒョクも、また頑ななソンギルも少しずつ変わっていく。

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『Paper Flower/紙の花』

 昨年、母を亡くして以来、筆者は人が死ぬことと生きることのはざまを、強く意識するようになった。映画や文学など、あらゆる表現のモチーフとして「死」は古典的だ。アン・ソンギの名作『祝祭』をオマージュするシーンは、韓国映画ファンには嬉しい。老練な“おくりびと”に扮したアン・ソンギは、“円熟味”という言葉では表しきれない深みをみせる。その一方、死の様相が『祝祭』の時代とは激変したことも浮き彫りになる。劇中、様々な理由で社会のつまはじきになった者たちが肩を寄せあう食堂の店主が、突然死してしまう。従業員は自分たちで弔いたいと懇願するが、ソンギルの上司は「親族ではない」という理由で突っぱねてしまう。今や単身世帯や核家族がスタンダードとなり、血縁だけで生きて死んでいく時代は、とうに過ぎ去った。「昔は本物の生花を棺に入れていたが、貧しい者は高価で買えなかった。だから紙で花を作って入れたんだ…」。映画の終盤、ソンギルはそう語る。夫から激しい暴力を受け、心と体に癒やしがたい傷を負うウンスクだが、彼女のまなざしも手も常に温かだ。旧い共同体を失っても、新たな結び目で人とつながろうとすることが、現代の優しさなのではないか。韓国社会に希望があるのは、弱く挫かれる者たちがそれでも互いに寄り添い、互いのわずかな力や優しさを分かちあっているからだ。一方で、その紐帯をただ美しいと感動で消費する時代はもう終わりにすべきであるというところまで、この作品は目が届いている。

 パク・ジョンボム監督『Not in This World/この世界にない』。路上生活者のジョンチョル(パク・ジョンボム)は、ストリートミュージシャンのジス(ムン・イェジン)の歌を聴き、お礼にと果物をもらったことがきっかけで交流するようになる。しかしジスは、音楽活動を反対する両親に無一文で家を追い出されてしまう。

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『Not in This World/この世界にない』

 パク・ジョンボム監督といえば、監督・主演をひとりでこなし、かつ長尺の作品で「生きる苦悩」そのものに肉薄するスタイルだ。ジョンチョルが暮らす山の中では、職にあぶれた不良青年たちが、同じく行き場のない少女たちに体を売らせる一大売春地帯を形成している。仲間に加わったジスはやがて金庫番として、暴力で組織を牛耳っていく。ジョンチョルは天涯孤独である一方、亡くなった父親が守護霊のようにジョンチョルに寄り添う。困窮したジスに襲われ、金品を奪われ重傷を負ったジョンチョルは彼女の裏切りに苦悩するが、父は「彼女の手を離してはいけない。こんな世の中で、他人に物をくれるような人間がどこにいる?」「それでも彼女を信じるんだ。お前が諦めてしまったら、この世の中で彼女を信じる人間が誰もいなくなってしまう」と説き続ける。

 非現実ともいえるディストピアの極北は、ほとんど同じことが現実に起きているのかもしれないと、薄ら寒い思いがする。タイトルの『この世界にない』は、幻滅と絶望に満ちた現在に対する眼差しを感じながらも、さすがはパク・ジョンボムで、ラストに小さくも力強い光を残してくれた。人という生き物は等しくもろい。だが、人だけが持ちうる感情というものに、望みをかけてもいいのかもしれない。この人は、祈るように映画を作り続けている。


BIFFの姿勢が映し出す韓国社会


 今回、古典の名作『誤発弾』やカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞した『オールド・ボーイ』などがプログラミングされた〈Special Program in Focus 韓国映画100年の偉大な10本〉が上映され、新旧のシネフィルを大いに喜ばせた。しかしその中に、『サマリア』(2004年ベルリン国際映画祭銀熊賞)も、『うつせみ』(同年ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞)も、『嘆きのピエタ』(2012年ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞)も選ばれなかった。

 根っからのシネフィルだったポン・ジュノやパク・チャヌクと違い、ストックのないキム・ギドクは自分の内なる観念や衝動しか題材にできない。そこで出来上がった、不完全で歪んだ愛のどうしようもなさをファンタジーとして描き出した映画は、彼のそんな映画人生ゆえに唯一無二だった。しかし、ギドクは映画の中だけにあるはずの歪んだ愛情を、ファンタジーではなく現実に、それも暴力という最も卑怯な形で、生身の女性に向けたのである。確かに筆者個人も、ギドクの作品を愛していた。『弓』を観たとき、愛とはこんなにも間違うものなのかと涙した記憶がある。だがあくまで「映画は映画だ」。心を踏みつけにされた誰かの痛みよりも、傑作の美点の方こそ価値をもって語られる習慣と歴史を、変えなければならない。

 『お嬢さん』で二人の女優がラブシーンを演じたとき、パク・チャヌク監督は自身を含め現場から離れ、遠隔操作でリモート撮影し、女性スタッフに音声を録音させる形で臨んだ。現在、韓国の映画作りの現場は変わりつつあり、BIFFがギドク的な映画のあり方に「否」をはっきり表明したことは、こうした変化への連帯を感じる。「映画祭が何を上映するかということは、一種の批評である」とは、映画評論家・山根貞夫氏の言葉だ。名のある映画祭での上映は、それだけで栄光を得ることに等しく、禊ぎが済んだかのような印象を与えてしまう。被害者にとって、自分を傷つけた人間がいつまでも称賛の声を浴びるとき、誰も味方はいないと絶望的な孤独を感じるに違いない。誰かの犠牲の下でこそ傑作が出来上がるという誤解と無関心を捨て去り、新たなあり方を国際的に示そうとした意志だと頼もしく感じたのだ。

 イム・ソネ監督『An Old Lady/69歳』。ヒョジョン(イェ・スジョン)は、入院中に若い男性看護師からの性被害に遭う。事実を知った同居人のドンジン(キ・ジュボン)は、告発して法に訴えようと奔走するが、ショックからヒョジョンは心を閉ざしてしまう。さらに看護師の男性は、彼女との性行為は同意の上だったと主張する。

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『An Old Lady/69歳』

 映画が始まってまもなく、若い男性が69歳のヒョジョンをレイプしたと分かった一瞬、筆者は強い衝撃を受けた。と同時に、そのショックで筆者自身に無意識に内在する差別を目の当たりにさせられた。若さ“にだけ”価値があるわけでも、年齢で被害者の“値打ち”がつけられることも間違いだ。性暴力を「他人によって自尊心を破壊される卑劣な行為」と言うドンジンの心の底からの憤りに救われる。

 分断に直面したとき、自身が分断する側にいるのか、あるいは分断される側にいるのか。筆者がかろうじてまだ「若い」と呼ばれる年齢だからこそ、『An Old Lady/69歳』をまなざす自分が、無意識にも年齢で分断する側にいることに気づかされたように、切り捨てられる側にいなければ、分断に気づくことは出来ないのかもしれない。かつて、韓国映画が自分に内在した分断に気づかせてくれたが、こうして何度でも、自身の誠実さを問われるのだ。

 日本の映画人の多くは、韓国映画の質や製作のスタンス、業界のあり方への羨望を、口々に述べるようになった。一方、BIFFの姿勢が映し出す韓国社会は、強者/弱者という単純で大きな二項対立を飛び越えて、弱者の中のヒエラルキーのような複雑な難しさをどう解きほぐしていくかにまで、歩みを進めているようである。


第24回釜山国際映画祭(BIFF2019)
 期間:2019年10月3日(木)~10月12日(土)
 会場:釜山シネマセンターほか
 公式サイト http://www.biff.kr/


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Report マンスリー・ソウル 2020年1月 ~“ミスター韓国映画”マ・ドンソクがコメディとパニック大作で魅せた存在感

Text by hebaragi
2020/1/26掲載



 真冬のソウルは底冷えが厳しく、外を歩くのが辛いくらいだった。今回は『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』公開中ということもあって、韓国映画の上映が比較的少なかったが、滞在中、韓国映画4本(『始動』『白頭山』『天文:空に問う』『モンマルトルのパパ』)と日本映画2本(『少女邂逅』『Love Letter』)を見ることができた。強い印象を残したマ・ドンソク出演の2本の作品を紹介する。


『始動』


 人気ウェブ漫画の実写化であり、『ベテラン』『EXIT イグジット』の制作スタッフも参加していることも話題となっている本作。学校も家も勉強も嫌いで母に反抗するテギル(パク・ジョンミン)は、友人のサンピル(チョン・ヘイン)と一緒に家出をしてしまう。テギルは中華料理店の料理長のコソク(マ・ドンソク)に偶然出会い、敵対関係になるが不思議な交流が続く。

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『始動』

 近年、数多くの作品に出演し露出度急上昇中、いまや“ミスター韓国映画”と言っていい圧倒的な存在感のマ・ドンソク。彼が登場するというだけで期待が膨らむ。

 体育会系のノリで、トラブルが起きると腕力で解決しようとする彼のキャラクターは本作でも相変わらずだ。しかし、今回はおかっぱ頭のコミカルなビジョアルが意表をつく。しかも、TWICEのファンという設定で、彼女たちが出演するTV番組を見て一緒にダンスをしたり、カラオケでヒット曲「TT」を歌ったりするお茶目なシーンも目を引く。

 マ・ドンソクとふたりの若者の軽快なやりとりが楽しい。テギルの母親役、ヨム・ジョンアも持ち味を発揮している。また、髪を赤く染めたボーイッシュな少女キョンジュ役、チェ・ソンウンが印象に残った。初めて見る女優さんだが、これから注目していきたいひとりだ。

 楽しいコメディ映画であり、家族ドラマの要素も感じられる本作。マ・ドンソクのファンにも、それ以外の人にもおすすめしたい作品だ。


『白頭山』


 韓国映画を見ていて知られざる歴史にふれることは多いが、本作は朝鮮半島の地理の勉強にもなるとも言えるテーマ。北朝鮮と中国の間にある2,744メートルの白頭山は日本の富士山と同様の聖山であり、1,000年に1度大爆発をする活火山。前回946年の大爆発では日本の東北地方にも火山灰が降り注ぐなどの影響があったと言われている。

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『白頭山』

 本作は「いま大爆発が起きたら、ソウルやピョンヤンはどうなる?」というテーマで描いたパニック超大作だ。『神と共に』シリーズのデクスタースタジオが制作に携わり、製作費が300億ウォン(約30億円)に上ったことも話題となった。

 観測史上最大の白頭山噴火が発生。韓国国内はパニックに陥る。そして、韓国も北朝鮮も飲み込むさらなる被害が予想される二次噴火を防ぐため、秘密の作戦が開始される…。

 オープニングから、噴火とそれに伴って起きる地震、津波の映像が圧倒的なスケールで迫ってくる。ソウルのビル街が倒壊、道路は陥没、漢江にかかる橋には容赦なく津波が襲いかかってくる。

 一方、対策本部では、さらなる大爆発への対策として、北朝鮮の核兵器を活用して爆発の被害を最小化させるという奇想天外な対策が検討され、実行に移されることに。さらには、アメリカ軍や中国の思惑もからみ、事態は複雑な方向に…。

 噴火対策に従事する韓国軍のメインとなる大尉インチャン役にハ・ジョンウ、宿敵・韓国と強力して作戦にあたることとなる北朝鮮のスパイ、ジュンピョン役にイ・ビョンホン、噴火の現状を分析し対策を提案する大学教授カン・ボンネ役にマ・ドンソクを起用。豪華なキャストは公開前から関心を集めていた。

 噴火に立ち向かうハ・ジョンウとイ・ビョンホンのやりとりを中心にストーリーが展開するが、深刻な状況下でも時にはユーモアを交えた会話を交わすふたりが印象的だ。

 そして注目は、地質分野専門の大学教授役のマ・ドンソクだ。今までの体育会系キャラを封印し、終始眼鏡をかけ、専門用語を駆使して学者らしい穏やかな物腰で冷静に事態を分析し、対策を提案する演技は知性をアピールするものであり、新鮮な印象を与える。俳優マ・ドンソクの新たな魅力に気づかせてくれる役どころといえよう。

 パニック映画は韓国映画のお家芸であり、2019年に大ヒットした『EXIT イグジット』をはじめ、過去には『新感染 ファイナル・エクスプレス』『ザ・タワー 超高層ビル大火災』『TSUNAMI ツナミ』などの大作が多くの観客を楽しませてきた。

 本作は、これまでフィクションが多かったパニック大作のテーマと異なり、地震の少ない韓国で現実的な脅威とされている白頭山の大爆発をテーマとしていることから観客の関心が高く、公開から1ヶ月弱で観客動員800万人を超えたと報じられている。また、スケールの大きなエンターテイメント作品としてもよくできており、大スクリーンでの鑑賞に適している作品と言えよう。

 本作は既に米国、台湾、香港、シンガポール、マレーシアなど90を超える国・地域に販売され、公開予定となっているという。もし、白頭山で大爆発が起きれば東京ドーム10万個分の火山灰が世界中に落下し、農業被害や航空機の欠航など日本にも少なからず影響があるとのこと。隣国で起きる可能性の高い自然災害に関心を持つ意味でも、日本公開に期待したい。


Writer's Note
 hebaragi。いつも良質な日本映画のラインナップを揃えているCGV明洞駅シネライブラリーで2本の日本映画を見た。枝優花監督の『少女邂逅』と、何度目かのアンコール上映となる岩井俊二監督の大ヒット作『Love Letter』である。『Love Letter』は満席の観客で、公開から25年経った今でもファンが多いことに感銘を覚えた。今月は日本で監督の最新作『ラストレター』が公開される。『Love Letter』同様に手紙をモチーフにしたストーリーとのこと。韓国で公開されれば、またたくさんの観客を集めるに違いない。『Love Letter』韓国公開が日本文化ブームにつながったように、これからも映画を通した文化交流が進んでいくことを期待したい。


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